方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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足利義昭~信長包囲網を築き上げた将軍

◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 158
戦闘  42
智謀 166
魅力 100
野望  85

えーっと、足利義昭ね。
室町幕府の最後の将軍ね。
昔、大河ドラマで、玉置浩二がやっていた。
ちょっと甲高い変な声で喋っていた。
絶対にあれは違うと思ったけど、完全はまり役だったー。

そんな義昭さま、この方も苦労の連続。
父は、足利幕府第12代将軍の足利義晴。
兄は、足利幕府第13代将軍の足利義輝。

で、義昭さま、兄・義輝との争いを避けるために、5歳で仏門に入って僧侶となる。
僧侶の中でも、地位は高かったらしい。
で、そのまま僧侶として、終わるはずだった。

ところが、ここで事件が起きる。
将軍だった兄・義輝が三好三人衆に襲われて暗殺される。
聞いた話だと、義輝は、襲撃を察知していたんだとか。
で、襲撃の前日、一旦、室町御所から脱出をする。
ところが、家臣たちが、将軍の権威失墜を恐れて、義輝に御所に戻るように説得する。
しかも、家臣一同、将軍と共に討死する覚悟であると言われ、結局、義輝、室町御所に戻ってしまう。
そして、その翌日、三好三人衆に襲われて暗殺される。

で、義昭さまの身にも、危険が及んできた。
ちなみに、一番下の弟で、金閣寺の住職だった足利周暠は、三好三人衆によって暗殺されている。
で、義昭さまも、三好三人衆に捕まってしまう。
このままだと死ぬのも時間の問題。
かと思ったところ、幕府家臣が義昭さまを救い出して、かろうじて脱出成功。

そして、一旦、近江国(今の滋賀県)の大名・六角義賢に匿ってもらう。
で、安心したのも束の間。
再び、事件が起きる。
六角義賢、まさかの三好三人衆との同盟。
で、義昭さま、近江国(今の滋賀県)から逃げ出す。

次に頼ったのが、若狭国(今の福井県)の大名・武田義統。
武田義統、実は、義昭さまの妹婿だった。
つまり身内。
少なくとも命を狙われる心配はなかった。
まー、僕なんか、親から「血の繋がりだけで身が守れると思うなよ」ってよく言われたけど。

で、当時の武田家。
完全に衰退していた。
当然、義昭さまの上洛をバックアップするだけの軍事力もなかった。
甲斐武田ならまだしも、若狭武田ではね。。。
それで、義昭さま、若狭国(今の福井県)から去ってしまう。

次に頼った越前国(今の福井県)の大名・朝倉義景。
朝倉家と言えば、一乗谷を中心に越前国(今の福井県)を支配する名門。
政治・文化・軍事と全ての分野で実績のある大大名。
のはずだった。

で、当時の朝倉家。
ここも完全に衰退していた。

一向一揆との戦いは終わらない。
家臣たちが義景の言うことを聞かない。
嫡男が亡くなって落胆する。
で、朝倉義景、やる気なし。

しかも、その間に、阿波公方と謳われた足利義栄が三好三人衆に担がれて、将軍となった。
結局、各地をさまよって時間だけが過ぎただけ。
で、義昭さま、越前国(今の福井県)から去ってしまう。

行く当てはなかった。
しかも、畿内周辺で三好三人衆に対抗できる勢力もなかった。
ところが、そんな義昭さまに味方する大名が現れた。
それが、織田信長。
そして、義昭さまを奉じて、三好三人衆を蹴散らして上洛。
こうして、義昭さま、ついに都に戻り、足利義栄が病死したこともあり、将軍の座に就く。

一応書くと、兄・義輝が暗殺されたのが1565年。
で、都に戻ったのが1568年。
つまり、約3年間、各地をさまよっていた。

でも、これで義昭さまの苦労が終わったかと言うと、そうでもない。
一つの苦労が終わると、別の新しい苦労が始まる。
それは、人生のお約束。

義昭さま、なんと織田信長と仲たがいをしてしまった。
義昭さまが何かしようとすると、信長がすぐに邪魔をするのね。
義昭さまとしては、将軍による政治をしたかったわけ。
でも、実際に政治をするのは信長だった。
で、義昭さま、堪忍袋の緒が切れた。

幕府家臣に「織田信長を敵にしてはいけません」と言われても、聞く耳を持たない。
「戦っても勝ち目はありません」と言われても、全く気にしない。
なんと、義昭さま、信長包囲網を築く。
本願寺、浅井、朝倉、六角、三好、比叡山などを味方にして、信長と戦うのね。
で、さすがの信長も不利を悟り、一旦みんなと和睦をすることになる。

ところが、和睦したものの、再び、義昭さまと織田信長は対立する。
で、義昭さま、再び、信長包囲網を築く。
しかも、今回は、本願寺、浅井、朝倉、六角、三好、比叡山だけではなかった。
松永、武田、畿内の豪族など、多くが義昭さまの味方となった。

信長、完全に追い詰められる。
ところが、中心メンバーだった武田信玄がまさかの病死。
で、武田軍は引き上げてしまう。
その結果、信長は息を吹き返すと、逆に義昭さまを追い詰める。
そして、義昭さま、ついに京都から追放される。

そして、義昭さまが頼ったのが、安芸国(今の広島県)を中心に中国地方を治めていた毛利輝元。
何とか備後国(今の広島県)に移り、毛利輝元の庇護を受ける。
幕府の実態はなかったものの、将軍としての権威はまだあったらしいのね。
で、再び、義昭さま、信長包囲網を築く。

今回は、武田、上杉、毛利、宇喜多、松永、本願寺、畿内の豪族などが参加する。
しかも、信長の家臣だった者たちも、反旗を翻した。
特に、毛利家の進撃は、義昭さまにとって心強かったと思う。

で、最終的に、どうなったかと言うと・・・

上杉、毛利 ⇒ 滅亡寸前
宇喜多、本願寺 ⇒ 信長に降伏
武田、松永、畿内の豪族 ⇒ 完全滅亡

結局、ここでも信長包囲網は失敗する。

足利義昭の人生を振り返ってみると、幕府再興の夢は叶わなかった。
でも、滅亡する大名が多い中で、大名として家を残したのは、評価していいんじゃないかな。

今回はこの辺で。

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