方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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三好長慶~戦国時代の最初の天下人

◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 172
戦闘 140
智謀 170
魅力  83
野望  89

三好長慶って、戦国時代の最初の天下人。
多分ね。。。
なのに、知名度のなさと言ったら、ねえ。。。
戦国時代って信長・秀吉・家康が中心だから仕方ないけど。

で、だいたい、日本史の部屋の登場人物を紹介するときって、僕は、大河ドラマから入るパターンが多いのね。
なのに・・・
なのに・・・
三好長慶、大河ドラマに登場したことがない。
これじゃあ、紹介できないよー。

で、急遽、三好長慶のアンケートをしてみた。
「三好長慶って知っていますか?」

で、得られた回答がこれ↓

知っている・・・ 7%
知らない・・・・90%
クソ・・・・・・ 3%

いや、知らないが90%は、そうだろうと思ったよ。
ただ、クソが3%ってなに!?
正気か!?
まー、これ、冗談だから許してね。

で、この三好家、実は、織田信長によって滅ぼされているのね。
だから、三好家って弱いと思われている。
でもね、その時は、長慶は病死していたし、優秀な家臣団もほとんど残っていなかったから。
少なくとも、長慶存命中の三好家は、最強だったから。
武田、上杉、織田、毛利とか、その辺の大名とは完全に格が違うから。

って、必死に三好長慶最強説を唱えてみる(笑)

ただ、この三好家って、隆盛も早かったけど、滅びるのも早かった。
おそらく、絶頂期は10年ぐらいか。
だから、ここだけを見れば、平家一門とすごく似ている。
しかも、三好長慶も平家も阿波国(今の徳島県)が本拠地。
あっ、でも、平家の本拠地が阿波国(今の徳島県)というのは言い過ぎ?
でも、平家の軍事力って阿波水軍でもっていたところあるし、まっ、いいか(笑)
だいたい、大宰府を追われた平家一門が、屋島に本拠地を構えられたのも、阿波水軍のおかげだし。

で、この三好長慶、とにかく周囲の大名と戦をしている。
自分の主君ですらボコボコにやっつけている。
将軍だっておかまいなし。
京都から追放してしまう。

なのに、意外と、相手の息の根を止めることはしない。
やはり、相手が主君や将軍だとまずいと思ったのか。
ただ、長慶、足利幕府の実権を握ると、もう完全な無敵状態。

京都・大阪・堺を中心に近畿一帯を支配し、しかも、四国も支配下に置いている。
優秀な兄弟、優秀な家臣もたくさんいる。
企業経営でいうところの、ヒト、モノ、カネを全て手に入れた状態。
もう、完全無欠のロックンローラー。
当時の書物にも、三好長慶のすごさは記載されていて、周辺国にも知れ渡っていたとか。

しかも、三好長慶、武力だけの筋肉バカではなかった。
教養も深く、連歌もうまく、茶の湯にも精通していたんだとか。
つまり、この人、文化人でもあったわけ。

で、このまま、ずーっと三好政権が続くと思っていた。
でも、さっきも書いたけど、三好政権が続いたのは10年ぐらい。
意外と早かった。

そう言えば、1985年。
この年、阪神タイガースは日本一になった。
先頭バッターの真弓から、バース、掛布、岡田へと続く最強ダイナマイト打線。
あの時、阪神は強かった。
このまましばらくは阪神の時代が続くと思っていた。

ところが、その2年後の1987年。
阪神、最下位。
わずかで2年でどうやったらここまで弱くなるんだっていうぐらい、急に弱くなった。
そして、そのまま阪神は、暗黒時代に突入。
たとえが相応しいか分からないけど、三好家の没落もこんな感じ。

それで、三好家の最盛期は、1550年~1560年ぐらい。
一応書くと、1560年は、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破っている。

で、ここから、三好家没落までの年表を書くと、次のような感じ。

<三好家没落までの年表>
1561年4月  弟の十河一存が病死
1562年3月  弟の三好義賢が戦死(久米田の戦い)
1563年8月  嫡男の三好義興が病死
1564年5月  弟の安宅冬康を誅殺
1564年7月  三好長慶病死

三好長慶って4人兄弟の長男で、下に3人の弟がいた。
上から、三好長慶、三好義賢、安宅冬康、十河一存の順になる。
あと、子どもは嫡男・義興がひとり。

分かりますか?
わずか3年の間に、兄弟、息子が全員死亡。
最後は自らも病に侵されて病死。
祟りか?。。。

しかも、嫡男の三好義興は22歳の若さで亡くなり、しかも、一人っ子だから後継ぎがいない。
最終的には、十河一存の息子を養子としてもらう。
弟の安宅冬康を誅殺については、家臣であった松永久秀の讒言を信じてのことだとか。
その後、久秀の讒言だったことが分かる。
で、長慶、「やって、もーたー」と思ったかどうかは分からないけど、一気に病が重くなり、そのまま亡くなる。

ついでに亡くなった年齢を書くと、次のような感じ。

(長男)三好長慶/43歳
(次男)三好義賢/36歳
(三男)安宅冬康/37歳
(四男)十河一存/30歳
(息子)三好義興/22歳

みんな若くして亡くなっている。

最後に、長慶亡き後の三好家について。
三好宗家を三好義継(十河一存の長男)が継ぐも、義継、三好三人衆、松永久秀が仲間割れをして、三好家は衰退していく。
しかも、阿波公方・足利義栄を将軍として錦の御旗にするも、この義栄までもが29歳で亡くなってしまう。
それで、このタイミングで、織田信長が足利義昭を錦の御旗に上洛をしてきたために、三好家は織田家に降伏する。
そして、最後は、足利義昭の信長包囲網に参加して織田家と戦うも、三好家はこの戦いで完全滅亡する。
これでおしまい。

今回はこの辺で。

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