方丈記に、似た運命
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その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、
【原文】
その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひさだめざるがゆゑに、地を占めてつくらず。土居を組み、うちおほいをふきて、継目ごとにかけがねをかけたり。もし、心にかなはぬ事あらば、やすく他へ移さむがためなり。そのあらためつくる事、いくばくのわづらひかある。積むところ、わずかに二両、車の力をむくふほかには、さらに他の用途いらず。
【訳】
その家の様子では、一般の家とは異なるものだった。広さは四畳半程度で、高さは二メートルもない程である。家を建てる場所を選ばなかったため、土地を購入して家を建てたわけではない。土地の上に土台を敷いて、屋根を取り付け、建材の継ぎ目には掛け金を掛けている。というのも、もし、そこで気に入らないことがあれば、さっさとよそに引っ越すためである。
また、その家を建て直すのにどれほどの苦労がかかるだろうかと思うかもしれないが、実は、大して苦労することはない。家を解体してそれらを車に乗せたところで、実は、車2台分にしかならないのだ。従って、車の費用はかかるが、それ以外の費用は全くかからないのだ。
【わがまま解釈】
今回は、長明さんが建てた方丈の庵のお話。
で、これが、一般の家とは異なるらしい。
広さは四畳半。
高さは2メートルもない。
と書いてある。
狭い。
しかも、部屋じゃなくて家だから。
下手したら、そのへんの屋台の方が大きいぐらいか。
で、家を建てるためには、土地がいる。
土地を買わないといけない。
ところが、長明さん、土地を買うお金を持っていなかった。
ていうか、当時も、マイホームを建てるのに、土地を買うという概念があったんですね。
いや、なんとく早い者勝ちでOKと思っていたので。。。
で、どんな家かというと、
①土地の上に土台を敷く。
②屋根を取り付ける。
③建材の継ぎ目は、掛け金を掛ける。
といった感じ。
すごく簡単な造り。
プレハブ感覚だろうか。
どうして、ここまで質素な造りにしたのか。
「そこで、もし、嫌なことがあったら、すぐに引っ越しができるようにするため」
なんと、そこまで考えていたのか。
長明さん、方丈記では、自分は、二回引っ越しをしたとある。
鴨川の河原の家と方丈の庵。
また、カウントはされていないけど、大原で出家生活をしていたともある。
この時は、和歌所寄人の職も捨てている。
節目節目で挫折をし、思い通りにならない人生を歩んできた長明さん。
とにかく、嫌なことがあれば、そこをあきらめて新天地を目指すつもりだったのだろう。
長明さんは、逃げていたのだろうか。
それとも、幸せになれる場所を探していたのか。
もし、引っ越すとなった場合。
家を解体したり、立て直すのがめんどくさいように思う。
これについて、長明さんは、「一見、手間がかかると思うかもしれないが、実は、そんなことはない」と書いている。
というのも、留め金を外せば、すぐに家が解体できるんだとか。
しかも、解体した家を車に乗せても、二台分にしかならないとある。
ちょっと費用はかかるけど、ほとんどかからないとある。
まーね、四畳半の家だし、そんなものかもしれない。
今で言うと、キャンピングカーか。
移動が楽な点も、この家のメリット。
この方丈の庵、後でも出てくるけど、もともとは維摩という人物が住んでいた家だそう。
維摩さんというのは、お釈迦様の在家の弟子だったとか。
「維摩」だけど、「ゆいま」と読む。
この維摩さん、くせのある人物だった。
賢いんだけど、人にダメ出しをすることで有名だった。
ある日、この維摩さんが病気になって、しばらく寝込んだことがあった。
で、お釈迦様が心配して、弟子たちに維摩さんのお見舞いに行くように命じる。
ところが、この維摩さん、さっき書いたけど、賢いんだけど、人にダメ出しをすることで有名だった。
で、みんな、維摩さんにやり込められたことがった。
だから、誰も、お見舞いに行こうとしなかった。
で、最終的に、文殊菩薩がお見舞いに行くことになる。
文殊菩薩と言えば、お釈迦様の弟子の中で、知恵第一と謳われた人物。
文殊菩薩なら、維摩さんに対抗できるだろうと思ったのかもしれない。
で、文殊菩薩を先頭に、みんなが後ろをついて、維摩さんの家に行く。
でも、維摩さんの家は、方丈の家だから狭い。
だって、四畳半程度の家だから。
全員が入れるわけがなかった。
と思いきや、
お見舞いに行った全員、維摩さんの方丈の庵に入れてしまったとか。
僕も、このたりのことは詳しくは知らない。
ていうか、入れるわけないだろって思うし。
でも、入れたらしい。
まー、物語だからいっかー。
この維摩さんだけど、維摩経というお経のモデルになった人。
で、その中に、不二法門という教えがある。
いや、僕も、これを調べていて知っただけだけど。
それによると、全ての物事は、二項対立のようなものではないと説いている。
二項対立は難しい四字熟語だけど、簡単に言えば、相反する概念が両立するというか、不可分であるというか、そんな感じだろうか。
例えば、善と悪。
これなんかは、何が善で、何が悪かというのは難しい。
善でないから悪というのでもない。
例えば、きれいときたない。
きれいときたないの間に、明確な線を引くことは難しい。
結局、その人のさじ加減一つで、どっちにでも転んでしまう。
例えば、生と死。
すでに目の前にあるものが、新たに生まれることはない。
生まれることがない以上は、死ぬこともない。
と、まー、そんなことを説いた人物。
だいぶ話が飛んだけど、長明さんの方丈の庵の凄いところは、移動式ってところだと思う。
方丈記の冒頭で、川と泡沫の例えがあったけど、家ですら泡沫だと長明さんは理解したんだろう。
恐らく、当時、移動式の家というのはなかったのではないだろうか。
今回はこの辺で。
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