方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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衣食のたぐひ、またおなじ。藤の衣、麻の衾、得るにしたがひて、

【原文】
衣食のたぐひ、またおなじ。藤の衣、麻の衾、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のをはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、姿を恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす。
すべて、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはおよばず。ただ、我が身ひとつにとりて、昔、今とをなぞらふばかりなり。

【訳】
衣・食についても同じである。衣服については、藤の着物、麻の夜具など、そこら辺のものから取ってそれを身に付ければよい。食べ物については、野原に生えるヨメナ、木の実を採取して、質素な食事で健康を保てばよいのだ。人との付き合いもないので、みすぼらしい姿を恥ずかしいなと後悔することもない。食べ物で贅沢できる環境ではないため、たとえ粗食であっても食事が美味しいのだ。
私は、今書いたようなここでの生活の楽しみを、裕福な人に対して言っているわけではない。ただ、今と昔の自分を比べて、こういう今の生活も悪くないと思うだけである。

【わがまま解釈】
前回は、身体を動かすことについてのお話だった。
少しは歩いた方が良いよーっていうお話。
その方が、体にも良いからと。

で、今回は、衣・食に関するお話。

で、まず、衣について。
長明さん、服については、藤の着物、麻の布団で十分と書いている。
でも、藤の着物って、藤(藤の花)が着物になるのか?
で、困った時はインターネットに全頼りということで、ささっと調べてみた。
すると、藤織物、確かにあった。

昔から、藤織物、麻織物、苧麻織物は、植物由来の織物としてあったみたい。
で、藤織物だけど、仕事着、普段着としてふつーに使われていた。
通気性が良くて、丈夫だったので、夏場にはよく着られたとか。
ただ、この藤織物、粗末な服というイメージがあったらしい。
で、長明さんは、藤の服でも十分だと書いている。

麻の布団。
これも、粗末な布団という意味らしい。
ちなみに、平安時代の布団は、今とは全然違っていた。
はっきし言って、布団じゃない。
布レベル。

長明さん、寝床には、蕨を敷いているとどこかで書いていた。
もーね、そういうレベル。
これだけでも、今の時代に生まれて良かったと思ってしまう。

とにかく、服にしても布団にしても、粗末なものでも十分ということね。

次に、食について。
ヨメナや木の実でも食べれば十分とある。
ヨメナというのは、キク科の植物なんだとか。
ただ、野菜ではなくて、あくまでも草、雑草。
で、昔から、食用として食べられていたらしい。

それから木の実。
栗とか、柿とか、胡桃とか、銀杏とかだろうか。
まー、この辺なら良いかもしれないけど。

で、食について、質素な食事で良いとある。
質素と言えば聞こえは良いけど、貧祖じゃないかって思うけど。。。
長明さん、たとえ粗食であっても食事がおいしいと書いている。
そうかもしれない。

ただ、間違って、毒の植物を食べることはなかったのかと思ってしまう。
今でも、山菜取りに行った人が、毒の山菜を間違って取ってしまうってことがある。
それを思うと、とてもじゃないけど、野山の草花を食べる気がしない。
質素な食事で命を落としたくないし。。。

ここから少し雑談。

曹洞宗の大本山に永平寺というお寺がある。
おそらく、日本最強の修行道場だろうか。
実は、僕も、二回旅行で行った。
あくまでも旅行。
修行はしていない。

ちなみに、曹洞宗の開祖は道元禅師。
道元禅師は、源通親の子だと言われている。
で、この源通親は、長明さんと同じく和歌所寄人だった人物。
長明さんからすると、「あー、源通親さんのお子さんですか」といった感じだろうか。

僕は、この部分を読んで、永平寺を思い出した。
というのも、今でも、永平寺では、質素な生活をしている。
永平寺では、贅沢を嫌う。

以前、永平寺の動画を見たことがあった。
で、食事については、次のものが紹介されていた。

朝食・・・お粥、たくあん、ごま塩
昼食・・・麦飯、みそ汁、たくあん、おから
夕食・・・麦飯、みそ汁、たくあん、煮物

うーん、これだけで栄養的に問題がないのか。
で、その動画では、永平寺の一日分のカロリーは1500kcalとあった。
ちなみに、日本人の一日の平均消費カロリーは2200kcalらしい。
足りてないけど、大丈夫か?

長明さんの方丈の庵の生活も、こんな感じだったろうか。

それで、人との付き合いがないため、自分の姿を恥ずかしいなと思うこともないとある。
以前も、どこかで、修行をしなくてもそんなに恥ずかしくないとかあった。
もはや、今さら恥を感じるほどの身でもないということだろうか。

源家長は、源家長日記で、以前、大原で長明さんに会った時に、あまりにもその姿が痩せ衰えていたのでびっくりしたと書いている。
「これがあの長明さんか」と。
このことを知れば、長明さんも、あーやっぱり恥ずかしいなと思ったかもしれない。

最後に、長明さん、今の話は、裕福な人に聞かせるためのものではないとある。
ただ、今と昔の自分の生活を比較してみた。
そして、今の生活も悪くはないと思うと。
どうだろう、本心かもしれない。
もしかしたら、負け惜しみかもしれない。

でも、別に、都の人の生活にダメ出しをするつもりもなかったのではないか。
説教をするつもりもない。
どこかの偉いお坊さんが、贅沢な毎日を送っている都の人たちに、「喝を入れてやる!」という感じでもないように思う。
もちろん、今の自分の生活を自慢するつもりもなかっただろう。

どこに住んだとしても、どんな家に住んだとしても、何を着て、何を食べたとしても、贅沢をしなければそれなりの満たされた生活を送ることができる、そんな感じだろうか。
自分は、そのことを身をもって学んだということかもしれない。

そして、自分は、日野山の方丈の庵で元気で暮らしている、そんなところではないか。

昔、「P.S.元気です、俊平」というドラマがあった。
それでいくなら、「P.S.元気です、長明」といったところか。
僕は、ドラマは全然覚えていない。
でも、今でもHysteric Blueの「なぜ」を、いつも車の中で聞いている。

最後、どうでもいい話でごめんなさい。

今回はこの辺で。

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