方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


心理学について思うこと

ここでは、心理学について思うことを、僕の独断と偏見で書いていきます。

心理学という分野、僕は、興味がある。
好きか嫌いかで言うと、好き。
だって、面白くないですか?
人間の行動とか仕草に、こういった心理が出ているとかって言われると、「へー、面白いなー」ってなるじゃないですか。
今風に言えば、「心理学って、ざんしーん」って感じですよ。
すみません、かるーいノリで。

ただ、僕の中では、心理学にちょっとした疑問があった。

それは・・・

「心理学って、科学なのか?」

ってこと。

心理学って「理学」という以上は、科学であるはず。
ところが、僕の中では、心理学というのは、科学のようで科学でないような、なにか不思議な学問なのね。
まー、これは、僕が、化学科出身だから余計にそう思うのかもしれないけど。

それで、僕の中では、科学であるならば、

・数式や化学式を用いて表現が可能
・誰が実験しても同様の結果が得られる
・装置を用いて観測(観察)が可能
・絶対量をもつ
・何らかの法則が存在する
・証明が可能

といったことがあるべきだと思っているのね。
例えば、物理、化学、生物、地学などは科学だと思う。
しかし、心理学というのは、はたして科学のカテゴリーに入れていいのだろうか。

以前、河合隼雄が面白いことを言っていた。
河合隼雄は、もともとは、高校で数学の教師をしていた。
で、学生たちが、色々と質問とか、相談をしにやってくる。
で、その時に、河合隼雄は、「自分は、心理学を学んでいないのに、こうやってテキトーに答えていていいのか?」と悩んだそう。
そこで、一念発起して、心理学を学ぶためにアメリカへ行く。

アメリカでは、日本よりもはるかに心理学の研究がされていて、しかも科学的だった。
それで、河合隼雄は、「うわーっ、心理学ってすごいな」って思ったそう。
ところが、次に思ったのが、「自分には、何の役にも立たない」ってことだった。

というのも、自然科学と違って、心理学というのは、絶対的法則が成立しない分野。
つまり、心理学というのは、ある程度当たる。
しかし、それは、ある程度であって、当たらない時があるわけ。

それで、河合隼雄は、これはおかしいと感じたと言う。

例えば、今、タオルを落として、タオルは、ある程度落ちるんですなー。
たまーに、浮いている時があります。
ということがありますか?
つまり、こういうことは自然科学ではありえないわけ。

それで、河合隼雄は、アメリカに行って心理学を学ぶんだけど、客観的に科学的に心を捉えることの難しさや、ある程度は当たるけど、当たらない時もあるといった現象に、完全に行き詰まってしまう。
まー、英語がうまくなかったとか、色々あったみたいだけど。

で、僕が、心理学について浮かべるイメージも、まさにこれなのね。
自然科学のように扱うことができないジレンマ。

それで、河合隼雄は、アメリカの教授から、「お前はアメリカに向いていない。スイスのユング研究所に行って研究しなさい」と言われて、今度は、スイスで心理学を研究する。
河合隼雄は、決して、アメリカの心理学を否定しているわけではない。
アメリカのような心理学は、それはそれでありだけど、自分には合わなかったと言っているだけ。
そして、河合隼雄は、ユング派の臨床心理士の日本人第一号として帰国する。

河合隼雄は、人間の心を科学や因果律とかで説明するのは、土台、無理があるという。
もちろん、ある程度なら説明がつくと思うけど。
それで、基本的には、こういうところも、僕は、河合隼雄と同じなのね。

で、僕の場合は、「そもそも、心理学は学問として成立するのか?」という疑問がある。
つまり、学問として、心を扱うことが可能なのかってこと。
別に、これは、心理学を学問の中に入れたくないとか、心理学を学問として研究することに倫理的問題があるとかじゃないから。

つまり、僕は、「人の心に解なし」と思っている。
人の心なんて分からない、これが、僕の考え方。
つまり、僕みたいな立場からするとね、いくらどうこうと理屈をこねて説明しても、心というのは決して理解できるものではないと思っているのね。

ただね、そうは言いながらも、中には、「あいつ、分かりやすいなー」っていう奴はいる。
特に、子どもはそうだと思う。
実は、僕にも、そういう部分があったりするけど。
また、人間の癖なんかも、心理状態が出ていたりする。
それで、そういう風に考えると、心理学というのも立派な学問として成立すると思うこともある。

僕自身の経験からすると、心理学は、当たる場合もあった。
でも、当たらない場合もあった。
まさに、河合隼雄の説明のとおり。
で、僕の中では、心理学というのは、学問として弱いなーってなってしまう。
で、そうなると、心理学が、どうも胡散臭くなってくるのね。

別の言い方をすると、心理学として、一般論はこうだというのがあると思うのね。
ところが、それを個別具体的に見ると、その一般論が外れてしまうことがあるわけ。
だから、僕みたいな人間からすると、その辺が納得できないんだと思う。

あと、心理学に対するイメージとしては、誤解されやすいということ。
これ、絶対にあると思うのね。
今ではそうでもないかもしれない。
でも、僕が小さい頃は、心理学って、マジックみたいな扱いを受けていたと思うのね。
あるいは、万能の魔法だとか、何でもお見通しみたいなね。
ひと昔前の心理学のテレビなんか、そうじゃなかったですかね?

例えば、今でも、心理学について、本、雑誌、ネットなんかを調べたら、

・悪用厳禁の心理学
・明日から使える心理学
・人間関係の悩みもこれでスッキリ

といった文言が多いのね。
はっきし言って、こんなのウソだから。
そこまで心理学って万能じゃないって。

また、今から少し前に、嫌われる勇気というのが流行った。
えーっと、知っていますか?
簡単に言うと、この本は、アドラー心理学を優しく説いた本。
で、実際に、読んでみた。
アドラー心理学の基本的な考え方、目的論、課題の分離、勇気づけ、共同体感覚など、色々とためになる話もあった。
目的論などは、「なるほどなー」って思った。

でも、次に、分かったことが、自分には、何の役にも立たないということ。
決して、この本がダメと言うんじゃないから。
ただ、自分には、ここに書いてあることを実行することは難しいように思えた。

と、まー、心理学について色々書いてきたけど、結局、僕は、心理学のことをまだよく分かっていない。
しかも、正直、心理学が役に立ったということもない。

話がだいぶグダグダになりました。

今回はこの辺で。

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