方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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もし、念仏もの憂く、読経まめならぬ時は、みづから休み、

【原文】
もし、念仏もの憂く、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独りをれば、口業を修めつべし。必ず、禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。
もし、跡の白波に、この身をよする朝には、岡の屋に行きかふ船をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もし、桂の風、葉を鳴らす夕べには、濤陽の江を思ひやりて、源都督の行ひをならふ。
もし、余興あれば、しばしば松の響きに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり。

【訳】
もし、念仏を唱えることがめんどくさく、お経を読むのもやる気が出ないときは、自分で勝手に休みもするし、さぼりもする。それを邪魔する(注意する)人もいないし、恥ずかしく思う相手もいない。わざわざ無言の修行をしているわけではないが、一人淋しく暮らしているので話し相手もおらず、不用意な発言をすることもない。禁戒を守ろうとしなくても、禁戒を破るような環境にいるわけでもないので、禁戒を破ることもない。

もし、船が通り過ぎた後にできる白波に、はかない我が身を重ねてしまうような朝であれば、宇治川の岡の屋あたりを行きかう船を眺めながら、沙弥満誓の風流を真似して和歌を詠む。また、風が桂の木の葉を鳴らす夕暮れは、その葉音に合わせて琵琶を弾く。
(尋陽江を思い出し、源経信の演奏を真似てみる。)

もし、どうしても心が惹かれてどうしようもないときは、松風の音に合わせて「秋風楽」を琴で弾いたり、流れる川の水の音に合わせて「流泉」を琵琶で弾いた。私の腕前は大したことないが、誰かに聞かせるために弾くわけでもなく、一人で演奏し一人で歌って一人で風流の世界に浸っているだけだ。

【わがまま解釈】
前回までは、方丈の庵の内と外の様子についてのお話だった。
今回は、方丈の庵で自分がどのような出家生活を送っているかいついてのお話。

僕なんかだと、出家生活とか修行生活と聞けば、永平寺を思ってしまう。
日本最強の修行道場。
ここでの修行は命がけ。

ただ、ここの文章を読むと、そこまで必死に修行をしている感じでもなさそう。
一応、お念仏を唱えたり、お経を読んだりもする。
しかし、やる気がなければ休むともある。
けっこう気ままな修行生活らしい。

別に、お念仏を唱えなくても、お経を読まなくても、注意する人もいない。
一応僧侶だから、せめてこれぐらいのことはしないといけないんだろうけど、しなかったとしても恥ずかしいと思うこともない。

また、無言の修行をしているわけでもないが、話し相手がいない。
だから、ムダにおしゃべりをすることもない。
さらに言えば、仏道修行にありがちな厳しい戒めを守るような、厳しい環境にいるわけでもない。
だから、厳しい戒めを気にしながら生活をする必要もない。

これだけ読むと、出家生活とはいえ、ゆるーい感じがする。
すごく気ままな出家生活スタイル。
永平寺だと朝起きて夜寝るまでの全てが修行だというけど。。。

ただ、長明さんは、浄土教を信仰していたと伝わる。
当時は、こういう呼び名ではなかっただろうけど、今ならば、浄土宗か浄土真宗か。
曹洞宗とは真逆になるけど。

ここからだいぶ余談。
いわゆる鎌倉仏教。
ここでは、浄土真宗とか曹洞宗に限定するけど。
この二つ、ほとんど同じ時期に誕生している。

浄土真宗は、親鸞聖人が開祖。
親鸞は、名前は不明であるけど、日野有範の子だと言われている。
つまり、日野さんだった。
そして、長明さん、大原から日野山に移った時に、それを援助したのが日野長親だった。
ちょっとした日野つながり。

次に、親鸞だけど、9歳の時に、天台座主・慈円のもとで得度をしている。
得度というのは、僧侶となるための大事な儀式のこと。
それで、親鸞の師僧を務めた慈円だけど、実は、和歌所寄人のメンバーの一人だった。
長明さんとは、同僚となる人物。

無理やりかもしれないけど、長明さんと親鸞の不思議な縁を感じる。
こういうのを仏縁というのか。。。

で、この親鸞だけど、もともとは、天台宗からスタートして、厳しい修行を20年近くしたんだとか。
ところが、悟れなかった。
で、ついに厳しい修行をあきらめる。
その後は、法然に弟子入りして、易行他力の浄土真宗を興す。
お念仏を唱えるだけで阿弥陀仏がお救いくださるという、非常に易しい仏教。

一方、曹洞宗の開祖は道元禅師。
道元は、源通親の子と言われている。
で、この源通親が、またまた和歌所寄人のメンバーの一人だった。

この道元も、天台宗からスタートして、厳しい修行をする。
ところが、道元は、親鸞と違っていた。
さらなる高みを目指して、もっと厳しい修行を求めていた。
で、宋の国に渡り、そこで、「禅」を学ぶ。
そして、帰国後、難行自力の曹洞宗を興す。
生活すべてが修行であり、修行は命がけで行うものとする仏教。

同じように比叡山で修行しながらも、易行他力を目指した親鸞聖人と難行自力を目指した道元禅師。
この二人を比べてみるのも面白いように思う。

次に、船とか白波という単語が出てくるけど、方丈の庵からは宇治川が見えたらしい。
宇治川沿いに岡の屋という船着き場があって、そこを行きかう船を眺めていたと。
ここで、沙弥満誓という人物が出てきたけど、この方、奈良時代の人物だそう。
貴族、僧侶、歌人といくつかの顔を持つ人物で、人生の無常を和歌にして詠んだことで有名だとか。
まー、長明さんも、一応は、貴族・社家出身で出家・歌人なので、沙弥満誓と近いかもしれない。。。
で、長明さんも沙弥満誓を真似して、行き交う船が立てる白波に重ねて、はかない人生を和歌で詠んだのだろう。

風が桂の木の葉を鳴らす夕暮れは、その葉音に合わせて琵琶を弾くとある。
中国の詩人・白居易が尋陽江で琵琶の演奏に感動して『琵琶行』という詩を作ったらしいけど、その故事を思い出しながら、源経信の真似をして琵琶を弾いたのだろう。
確か、慶滋保胤も池亭記を書くにあたって、白居易の漢詩を参考にしたとある。
ここで白居易に言及するのは、ご先祖様ゆずりかもしれないし、あるいは、白居易は一般常識だったのかもしれない。

ここで、源経信という人物が登場するけど、この方、実は、琵琶の名人。
長明さんは、「桂の風、葉を鳴らす夕べには、・・・」と書いているけど、この「桂」には隠された意味がある。
源経信は琵琶桂流の祖であり、また、大納言の地位にあったのですが桂大納言という別名を持っていたとあり、桂にはこういった意味がかかっている。
あのー、知った風に書いているけど、僕も、手元の本を読んで知っただけなので。
そもそも、源経信も桂大納言も全然知らなかったので、あしからず。。。

もし、どうしても目に映る風景に心が奪われてどうしようもない時は、秋風楽を琴で弾いたり、流泉を琵琶で弾いた。
自分の腕前は大したことないが、誰に聞かせるために弾くわけでもなく、ただ一人で演奏し一人で歌い、一人静かに風流の世界に浸るのだとある。
長明さんの出家生活は、厳しい修行生活ではないけど、かといって遊び惚けているような感じでもない。
そのままを生きるということだろうか。

で、いつだったか、十訓抄に次の文章があると書いたことがあった。

長明さんが、経を読む合間にも琴や琵琶を演奏することをやめなかったのは、風流であり優美である。

それは、まさに今回の話。
当時の人々も、長明さんの出家生活にあこがれとか、好意的に見ていたのだろう。

今回はこの辺で。

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