方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


プロ野球~オリオンズのエース・園川一美

今回は、ロッテの元エース・園川一美さんについて。

園川一美さん。
ほとんど人は知らない。
でも、名投手。
一部のマニアには絶大な人気を誇る、ロッテオリオンズの元エース。

熊本県出身で、高校は名門の九州学院に進み、甲子園出場経験もある。
大学は、日本体育大学に進学し、ここでも野球選手として活躍する。
そして、1985年、ドラフト二位でロッテに入団する。
当時のロッテは、稲尾監督のもと、そこそこ強かった。
もっとも、当時は、西武が無双だったので、優勝はできなかったけど。

ところで、このドラフトで、一位が高卒の投手だったことから、園川さん、まーまー怒る。
「なんで、僕が二位なんですか?」と。
で、ドラフト一位の選手より契約金を高くすることを条件に、ロッテに入団する。

ただ、園川さんが入団した翌年あたりから、ロッテは弱くなっていく。
有藤道世が引退をし、レロン・リーも引退、落合博満はロッテを去って中日に移った。
ロッテが勝つためには、投手陣の奮起が必要だった。
園川さんは、斜陽のロッテを支えることになる。

ここで、園川一美のプロでの成績を書くと、次のような感じ。

※順位はチームの順位。

野球好きが見れば分かると思うけど、園川さんの成績は、そんなに良くない。
いや、むしろ、悪い部類か。
成績だけなら、暗黒時代の阪神を支えた藪恵一に近い。
園川さんも藪恵一も、打線の援護があれば、もう少し勝てたと思うけど。

あと、余談だけど、園川さん、引退した時に、スポーツライターの小関順二さんから「巨人だったら10年前にクビになっていた」と言われてしまう。
まー、当時の巨人だったら、そうかもしれない。

ただ、この園川一美の凄いところは、たまに、凄いピッチングを見せるということ。
こういう書き方で申し訳ないけど、この成績にしては、完封勝ちが多い。
もちろん、名球会投手とか斎藤、桑田、槇原なんかと比べたらだいぶ少ないけど。
つまり、基本的に負けが多いんだけど、たまに勝つと、物凄いピッチングをするんだね。
このギャップが園川一美の凄いところ。

で、ここからは、少しずつ、園川さんの成績を紐解いてみる。

まず、1987年。
園川さん、南海との試合で13失点で完投負けをしている。
間違っても完投勝ちじゃないから。
この試合、園川さんは、本塁打を4本打たれて撃沈している。
で、この13失点完投負けは、パリーグのワースト記録なんだそう。
まー、普通なら、先発投手は、4、5点取られたら、間違いなく交代なので。

1988年。
この年、初めて、二けた勝利をする。
さすがに喜んだかと思いきや、「これだけ投げれば、嫌でも2ケタいくよ」と園川さんらしいコメント。

ちなみに、この年は、球史に名高い10・19のダブルヘッダーがあった。
そして、近鉄は、この二試合に勝てば優勝だった。
一試合目、近鉄は、4-3で勝利する。
二試合目、この試合で近鉄が勝てば、近鉄の優勝となる。

そのダブルヘッダーの第二戦で、ロッテの先発だったのが園川さんだった。
そして、園川さん、近鉄打線を押さえてしまう。
最終的に、二試合目は、4-4の引き分けだった。
その結果、近鉄は、ゲーム差なしの二位となり、優勝を逃している。
決して、園川さんが悪いわけではなかったけど、結果的に悪役を引き受けることになる。
ちなみに、優勝したのは西武ライオンズだった。

次に、1989年。
この年、園川さんは、7勝12敗、防御率6.10という成績だった。
規定投球回数に達した投手で防御率が6点台って、実は、パ・リーグのワースト記録なんだとか。
毎試合、毎試合、投げるたびにボコボコに打たれる。
にもかかわらず、一年間、一軍で先発として投げている。
これって、逆にすごいような気もする。

しかも、こんなにボコボコに打たれながらも、この年の奪三振率はパ・リーグで1位だったりする。
こうなってくると、ダメなのかすごいのか良く分からない。
ちなみに、登板数28回に対して、完投数が26回。
つまり、勝っても負けても、最後まで投げ切っているのも評価したいところ。

1991年。
この年は、珍プレー好プレーで名高い、近鉄のトレーバーに追いかけ回される事件を起こしている。
そう、僕が、園川さんを知ったのは、これがきっかけだった。

1994年。
この年は、イチローがプロ野球界初めての200本安打を達成した年だった。
そして、イチローにちょうど200本目のヒットを打たれたのが、園川さんだった。
イチローが、二塁で「おめでとう!200本安打」のプラカードを持っていたシーンを覚えている人もいるかと思う。
あのとき、マウンドにいたのが園川一美だった。

しかも、試合後にコメントを求められて、「別に、僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」と園川さんらしいコメントをしている。
そう、決して、園川さんが一人で200本を打たれたわけではない。
ただ、この年の園川さんは、イチローに対して18打数13安打、打率7割2分。
まー、だいぶカモられていただけ。

1996年。
当時のロッテは、伊良部、小宮山、ヒルマンと3本柱がいた。
にもかかわらず、この3本柱を押しのける形で、園川さん、開幕投手を務めることになる。
で、開幕戦の相手はダイエーだった。
ちなみに、ダイエーは、去年、ロッテに10連敗したことがあって、相当気合を入れて開幕戦を迎えていたとか。
ところが、ロッテの開幕投手は園川さんだった。
で、当時、ダイエーの監督をしていた王監督が放った強烈な一言がこれ。

「伊良部じゃないのか?ウチもなめられたものだ。開幕投手には格というものがあるだろう!」

僕だったら、こんなこと言われたら、泣くかもしれない。。。

1998年。
この年、ロッテは、プロ野球ワースト記録となる18連敗を喫してしまう。
黒木が打たれ、小宮山も打たれ、薮田、藤田とことごとくロッテ投手陣に黒星がつく中で、なぜか園川さんだけ黒星がつかないという怪奇現象が起きる。
今回はこの辺で。

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