方丈記に、似た運命

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方丈記と池亭記

今回は、方丈記と池亭記。

一応、方丈記は、古典の授業で出てくる。
方丈記を知らない人は、まずいない。
特に、出だしの文章は、暗記するように言われる。
まー、暗記してもしなくても、どっちでもいい。

一方、池亭記。
これは、古典の授業で習う人はいるのか?
文系だと習うのだろうか?

僕が、池亭記を知ったのは、最近のこと。
40歳を過ぎてから。
それまで、かすったこともなかった。

そもそも、なぜ、今回、池亭記なのか。
それは、長明さんが方丈記を書く上で、お手本にしたのが池亭記だから。
本とかどうかは知らないけど、そのように言われている。
実際に、方丈記と池亭記を読み比べてみると、表現が似ている部分もある。
似ているというか「パクった」と思われる部分が、いくつかある。
いや、別に「パクった」と言っても、ところどころだし、特に問題はないと思う。

そもそも、池亭記は漢文。
で、方丈記は、和漢混合文。
だから、パクったと言っても、かなり池亭記を読み込まないと、和漢混合文の方丈記では、おかしな表現になってしまうだろう。

それで、だいぶ話をそらすけど、シクラメンのかほりという曲がある。
作詞作曲は、小椋佳。
で、だいぶ前だけど、テレビを見ていたら、本人が「この曲は、基本パクリです」って言っていた。
プレスリーの曲と、好きだった北原白秋の言葉を適当に抜き出して作ったのが、この曲だと。
で、当初、本人も売れるとは思っていなかったと話していた。
方丈記も、これに近いものがあるのかもしれない。

池亭記。
作者は、慶滋保胤という人物。
これ、「よししげのやすたね」と読む。
ふりがながないと読めないなー。。。

この方、実は、長明さんのご先祖様に当たる方。
だから、鴨一族なのね。

鴨 → 賀茂 → よししげ → 慶滋

という流れで、名前を変えている。

それで、池亭記と方丈記。
まず、タイトルを家から付けている点が同じだった。

Wikipedhiaによると、池亭記は、白居易の漢詩『池上篇』と、兼明親王の同題の著書『池亭記』をヒントにしたとある。
それで、兼明親王の同題の著書『池亭記』をそのままタイトルにしている。
それで、慶滋保胤が晩年に建てた家が、寝殿造りだったらしい。
大きくはないけど、家、庭、池があった。
だから、池亭記なのだ。

長明さんの方丈記もそう。
もともと、方丈は長さ(広さ)を表す表現で、転じて、狭い部屋を指すようになる。
しかし、それ以外にも、宗派によっては、お寺の住職が住む家を方丈と言うんだそう。
長明さんが出家して、自分で作った狭い部屋(というか家)。
だから、方丈記なのだ。

次に、作品のつくりもだいたい同じ。
池亭記の場合、作品は、前半と後半の二つに分かれる。
前半は、当時の平安京の様子を書いている。
後半は、自身の生活の様子だとか、信条を綴っている。

方丈記も、作品は、前半と後半の二つに分かれる。
前半は、五大災厄を中心に、当時の平安京の様子を書いている。
後半は、自身の生活の様子だとか、信条を綴っている。
ただ、池亭記と異なり、自分の迷いについての部分が多い傾向にある。

それから、書いている内容とかテーマも類似している。
例えば、方丈記には、終の棲家として方丈の庵を建てたという話がある。
それを「老いたる蚕の繭を営むがごとし」と書いている。
意味としては、

「老いた蚕が人生の最後の日を過ごすためだけに、わざわざ繭を作るようなもの」

といったところ。
で、僕なんかは、うまいこと言うなーって思っていた。
そしたら、この部分、どうも池亭記に元ネタがあると聞いた。

「老蚕之成独繭矣」

読めない。
完全に漢字しかない。
漢文だから当たり前だけど。
漢字だけに、感じわりぃーな。。。
で、これを和漢混合文に変換すると、次のようになる。

「老蚕の独繭を成すがごとし」

まー、これでもまだ難しいけど。

例えば、方丈記には、四季折々の美しさを書いた部分がある。
方丈の庵から見える景色が、春夏秋冬の四つの季節でこういう美しさがあると、具体的に書き記した部分。
で、これなんかも、僕は、上手に書いているなーって思っていた。

ところが、これについても、池亭記に同じような部分があるらしい。
さらに書くと、当時、春夏秋冬の四つの季節の趣きとか美しさを表現することは、ふつーにあったらしい。
つまり、この部分についても、池亭記から借りてきたかもしれないけど、表現的にはありがちだったらしい。

また、方丈記には、人間関係について書いた部分がある。
人間関係については、相当苦しんできた長明さん。
この部分については、長明さんの強い意思を感じていた。
実際、強い意思はあったと思う。

ところが、池亭記にも、同じような文章があった。
分からないけど、慶滋保胤も、人間関係の煩わしさを感じていたのだろう。
二人とも、友達なんて作らなくていいって書いている。

あと、家に関する記述が多いのも同じ。

とにかく、似ている部分がいくつもある。
二つを読み比べると、作品は全く別のものだけど、似ている。
もっと言えば、二つの作品は、繋がっている。

長明さん、下鴨神社の社家の子として、幼い頃から英才教育を受けていたと思う。
間違いなく、池亭記を読む機会もあったと思う。
作品だけでなく、慶滋保胤についても、いっぱい調べたと思う。

鴨長明は、自分を慶滋保胤に重ねていたのではないか。
どこか幸薄い感じがする部分を、重ねていたように思う。
長明さんにとって、慶滋保胤は、池亭記の作者ではなくて、生きる道しるべではなかったか。
ただ、自分の不幸を嘆くかどうかという点では、長明さんと慶滋保胤は違うのかもしれない。
これだって、僕が知らないだけで、慶滋保胤も自分の不幸を嘆いていたかもしれないけどね。。。

今回はこの辺で。

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