方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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北条氏康~戦国時代の優等生

◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 192
戦闘 176
智謀 178
魅力  97
野望  87

えーっと、今回は、北条氏康。
戦国武将の中では、知名度は高い部類かなと。
で、僕の中では、勉強も運動もできる優等生というイメージ。
しかも、さわやかな感じもする。
僕の勝手な想像だけど。

能力値を見ても、基本的にはSランク。
もーね、ダメなところが全くない。
いやー、もう完璧。
ただ、ここには書いてないけど、北条氏康って鉄砲の能力値が低いのね。
デフォルトはEランクだったか。
北条家に共通して言えることだけど、鉄砲のランクが高いと良いんだけどね。

それで、昔、大河ドラマで武田信玄というのがあった。
武田信玄を中井貴一、上杉謙信を柴田恭兵、今川義元を中村勘九郎(父の方)がしていた。
それ以外にも、もーね、主役級の俳優が登場していた。
で、北条氏康は杉良太郎だった。

杉さま、かっこ良かった。
渋かった。

決して、スギちゃんではない。
おすぎでもない。

とにかく、杉良太郎の北条氏康は、凄みがあった。

で、これまた、昔の話だけど、おんな風林火山というのがあった。
製作は、大映テレビ。
大映テレビと言えば、特徴的なあのオープニング。
それは、おんな風林火山でも健在だった。

人の世の定めとは何であろうか?
この物語は、戦国の世に生を受け、骨肉の争いを余儀なくされた武田家五姉妹の、その中にあって敵将との純愛を貫き通した松姫の、数奇な運命を描く壮大なロマンである。

というナレーションの後で、すぐに流れてくる椎名恵のLOVE IS OLL。
僕は、このドラマも大好きだった。

で、このドラマでは、北条氏康は梅宮辰夫だった。
僕は、決して、梅宮辰夫が嫌いなわけではない。
だけど、これはないわーって思った。

しかも、北条氏康の嫡男・北条氏政を石田純一。
ない、ない。
絶対ない!

北条氏康(父) → 梅宮辰夫
北条氏政(子) → 石田純一

この組み合わせのせいかもしれないけど、余計にないわーと思ってしまう。
でも、ドラマ自体はとても良かったと思う。

だいぶ話がそれました。
ここから、北条氏康のすばらしさを、戦、内政、外交の3つの面から見ていきます。

◆戦
北条氏康に派手さはない。
でも、戦にはめっぽう強い。
特に、河東の乱から川越夜戦までの2年間は、氏康君にとって最大のピンチ。
駿河の今川義元と戦っている最中に、関東では反北条勢が一気に川越城を取り囲む。

で、氏康君、今川家と一旦仲直りをする。
で、八千の兵を率いて川越城の救援に向かう。
ところが、川越城を取り囲む敵は八万。
川越城には「勝ったー、勝ったー」で有名な一門最強の北条綱成が守っていたけど、その兵力三千。
普通に戦って勝ち目はない。

で、氏康君、勝った。
途中経過をすっ飛ばして書いて悪いけど(笑)
いわゆる川越夜戦ってやつね。

次に、氏康君にとって最大のピンチは、小田原城の戦い。
この戦いの伏線は、さっき書いた川越夜戦。
川越夜戦で大勝利を収めた氏康君は、一気に関東制覇に向けて動き出す。
とにかく敵対した者を力でねじ伏せる。
すると、敗れた者たちは、上杉謙信を頼った。

上杉謙信は義に厚かった。
それで、越後国(今の新潟県)から北条氏康のいる相模国(今の神奈川県)まで大遠征をして攻め込んだ。
で、氏康君、謙信との野戦を避けて、本拠地・小田原城に立てこもる。
そして、籠城戦で迎え撃ったところ、上杉軍は補給に困るようになり、勝手に引き上げていった。
まさに氏康君の守り勝ち。

とにかく氏康君は、戦の仕方が賢く、攻めても強いし、守っても強い。

◆内政
氏康君だけじゃないけど、北条家の伝統は、領民ファースト。
もともと北条家は関東の者ではないので、領民からの支持を集めないと、経営が成り立たないという自覚が強かったのではないかと思う。

有名なのは、年貢率の低さ。
この時代にしては、年貢が低かったらしいのね。
逆に、お隣の武田家は、年貢が高いことで有名だったみたいだけど。

次に、都市開発。
西の山口、東の小田原と呼ばれるぐらいの日本屈指の城下町を築き上げた。
後に、小田原城は町全体が城と言われるぐらいの巨大要塞になるんだけど、その礎を築いたのが氏康君。
上水道を建設し、城下町の衛生に努め、とても清潔な城下町だったとか。

さらには、家臣や領民に負担を強いる際に必要な検地や台帳整備。
検地と言えば太閤検地が有名だけど、実際は、以前から各大名ごとに行われていたとか。
で、氏康君もしていたらしい。
それで、家臣たちがどのぐらい資産を持っているかをちゃんと把握して、それを台帳に整備して、誰に何をどのぐらい負担させるかということをしていたみたい。

最後に官僚機構の設置。
小田原評定のイメージが強いせいか、評定衆ってあまり良いイメージがない。
だけど、もともとは、領民への行政サービスをするために考えられた、素晴らしいシステムなんだそう。
あと、この評定衆のおかげで家臣・領民が一致団結できたという側面もあるんだとか。

◆外交上手
基本的には、武田・今川・北条で結ばれた三国同盟をもとに外交を展開して、無駄に敵を作らなかった。
また、養子作戦によって他家を取り込んだ。
このあたり、うまいなーって思う。
あと、北条家って、一族どおしが争ったという話もほとんど聞いたことがないのね。
最後、豊臣秀吉によって滅ぼされる時も、なんかみんなで仲良く滅亡したイメージがあって、勝っても負けても一族が一致団結していたんだなって思う。

今回はこの辺で。

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