方丈記に、似た運命

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和歌所寄人たちの比較

今回は、和歌所寄人たちについて。

後鳥羽上皇は、新古今和歌集を作成するにあたって、15人の和歌所寄人を選んでいる。
今回は、その15人を、僕が適当にまとめてみた。

◆藤原良経
【別名】九条良経
【寿命】1169-1206 享年38
【官位】従一位、摂政、太政大臣
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:79首
【ほか】書道、漢詩の才能もあり。
父は、関白でもあり玉葉の作者でもある九条兼実。妻は、源頼朝の姪。妹は、後鳥羽上皇の妻。
書道の腕前は天才的であり、その書風は後京極流とよばれた。
政治力もあり、父・兼実以上の能力と思われるが、若くして亡くなる。

◆慈円
【別名】なし
【寿命】1155-1225 享年70
【官位】なし
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:92首
【ほか】僧侶(天台座主)
兄は、関白でもあり玉葉の作者でもある九条兼実。幼くして仏門の道に入り、天台座主となる。
愚管抄を書き記す。
天台座主として法然・親鸞の教義を批判するも、弾圧には反対しており、二人を庇護している。

◆藤原俊成
【別名】なし
【寿命】1114-1204 享年91
【官位】正三位・皇太后宮大夫
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:72首
【ほか】書道
平安から鎌倉時代にかけての和歌の第一人者で、多くの歌人を育てたことで有名。
藤原道長の玄孫であり、名門ではあるが、俊成の代では威勢は衰えていたという。
10歳にして父を亡くしたこともあり出世競争からは遅れるも、正三位にまでなった苦労人。

◆藤原定家
【別名】なし
【寿命】1162-1241 享年80
【官位】正二位、権中納言
【和歌】小倉百人一首: 新古今和歌集:47首
【ほか】書道
父・藤原俊成と同様に、平安から鎌倉時にかけての和歌の第一人者。
若い頃から病気がちであり、父・藤原俊成も出家が早かったことから、出世競争からは遅れる。
九条家(九条兼実)の家司として出仕し、最終的に、正二位まで昇り詰める。

◆寂蓮
【別名】藤原定長
【寿命】1139-1202 享年64
【官位】従五位上・中務少輔
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:35首
【ほか】書道
叔父は藤原俊成。藤原俊成の養子となる。
俊成一門として、和歌の才能が素晴らしく、ときにユーモアを交えた和歌は、後鳥羽上皇からの評価も高く、和歌以外にも書家としての一面があった。

◆藤原家隆
【別名】なし
【寿命】1158-1237 享年80
【官位】従二位、宮内卿
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:43首
【ほか】なし
藤原俊成に和歌を学び、俊成一門にあって、藤原定家と双璧をなす。
承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が、隠岐に島流しとなってからも、和歌を贈り続けた逸話がある。
晩年は、極楽浄土を願い、夕日庵という建物を建てたが、現在の大阪市天王寺区夕陽丘町として残っている。

◆藤原隆信
【別名】なし
【寿命】1142-1205 享年64
【官位】正四位下・左京権大夫
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:3首
【ほか】画家
美福門院加賀の再婚相手・藤原俊成に育てられる。藤原定家は異父弟。
和歌よりも画家(似せ絵)としての評価が高いと伝わる。

◆藤原有家
【別名】なし
【寿命】1155-1216 享年62
【官位】従三位、大蔵卿
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:19首
【ほか】なし
伝説によると、藤原有家の家系は、兄弟みんなそろって優秀で、天皇からの評価も高かった。
ところが、それを妬んだ者たちの謀略にはまり、兄弟みな青森県に流罪となる。
現在、青森県に有家(うげ)神社として、その痕跡が残るとされている。

◆藤原雅経
【別名】飛鳥井雅経
【寿命】1170-1221 享年52
【官位】従三位、参議
【和歌】小倉百人一首:○ 新古今和歌集:22首
【ほか】蹴鞠
源実朝に鴨長明を引き合わせたことで有名。
新古今和歌集においても、鴨長明の和歌を多数選んでいる。
蹴鞠の立ち人としても有名で、後鳥羽上皇より「蹴鞠長者」の称号をいただく。

◆藤原秀能
【別名】なし
【寿命】1184-1240 享年57
【官位】検非違使大夫尉、出羽守
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:79首
【ほか】北面武士
はじめ、右大臣・源通親(和歌所寄人の一人)に仕える。
その後、北面武士として、後鳥羽上皇に仕え、承久の乱では朝廷方として参戦するも敗北する。
また、後鳥羽上皇の命令で三種の神器の一つ・草薙剣の探索を行っている。

◆源具親
【別名】なし
【寿命】不明 享年:不明
【官位】従四位下、左近衛少将
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:不明
【ほか】なし
和歌所寄人のメンバーの中で、最も記録が少なかった人物。
長明さんが記した無名抄によると、和歌については、妹と比べてそれほど熱心ではなかったとある。
村上源氏の出身とあるので、その点では、源通親・通具父子と同じ。

◆源通具
【別名】堀川通具
【寿命】1171-1227 享年57
【官位】正二位、大納言
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:?首
【ほか】なし
父は、内大臣だった源通親。藤原俊成・定家と同じく、親子で和歌所寄人に選ばれる。
妻は、藤原俊成の養女。後に妻とは離別したが、藤原俊成の息子である定家とは親しく交際を続けた。
後鳥羽上皇や親友・藤原定家からの歌人としての評価はあまり高くなかったという。

◆源通親
【別名】土御門通親
【寿命】1149-1202 享年54
【官位】正二位、内大臣、右大将
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:?首
【ほか】なし
九条兼実のライバル。
建久七年の政変で九条兼実を追い落として、政治の実権を握る。
歌人としても有名ではあるが、政治巧者の印象が強い。

◆源家長
【別名】なし
【寿命】1170-1234 享年54
【官位】従四位上、但馬守
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:3首
【ほか】なし
新古今和歌集の作成では、事務方として活躍する。
鴨長明と同じく、若くして父を亡くしたと伝わる。
また、源家長が残した源家長日記は、当時を知る上で貴重な資料となる。

◆鴨長明
【別名】なし
【寿命】1155-1216 享年64
【官位】従五位下
【和歌】小倉百人一首:なし 新古今和歌集:10首
【ほか】琵琶の腕前もあり。
下鴨神社の正禰宜惣官だった鴨長継の次男。
出世競争に敗れ、不遇な人生を送ることになる。
方丈記以外にも、無名抄、発心集、鴨長明集などの作品を残す。

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