方丈記に、似た運命

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

【原文】
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

【訳】
川の水はいつも次々に絶え間なく流れているが、その水は決して同じ水ではない。
水の泡も浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、決して同じ水の泡ではない。
そして、実は、人と住まいも川の水や水の泡と同じなのだ。

【わがまま解釈】
えーっと、これ、方丈記の冒頭ですね。
学生時代だと、「これを暗記しなさい」って先生に言われた。
そして、意味も分からないままに暗記した。
まーね、中学生や高校生が読んだところで、知識としては分かる。
でも、実感としては絶対に分からない。

確かに、名文だとは思うのね。
でも、いまいち、ピンとこない。
「あっ、そう」って感じ。
申し訳ないけど。。。
あくまでも、僕の場合は、冒頭の文章を読んで「あっ、これか!」なんて思うことはなかった。
でも、後の方で「これだっ!」っていうのはあったから。

で、この冒頭の文章について考えてみた。
まず、長明さん、実際にその川を見て、冒頭の文章を書いたと思う。

鴨川?
高野川?
瀬見の小川?
奈良の小川?

ただ、鴨川なんかは、暴れ川としても有名らしいのね。
長明さんも、方丈記の中で、鴨川近くに引っ越した時は、川が氾濫して困ったみたいなことを書いていたと思うし。
ということは、鴨川や高野川ではなく、その支流の瀬見の小川、奈良の小川あたりを見ながら書いたのだろうか。
特に、瀬見の小川は、長明さん、有名な和歌を残しているし、イメージ的には瀬見の小川か。

それで、長明さん、川の水とその水の泡が、二つとして同じものはないと書いている。
これは、りんごを二つ買ってきて、「りんごが二つあるじゃん!」っていう話ではないですよね。
一応、念のため。

例えば、川の水。
これは、川の流れと言ってもいいかもしれない。
同じように見える川の流れも、実は、刻々と変化をしている。
今見た川の水は、次の瞬間には下流へと移動している。
当然、水面の状態も変わる。
つまり、常に川の水は流れているし、動いている。

太陽だってそうですよね。
太陽は刻々と変化している。
朝、東から昇った太陽は、夕方、西に沈む。
その間、太陽の位置は、刻々と変化する。
また、太陽の光も、色も強さも変化する。

そして、水の泡も、また同じなわけです。
水の泡とは、泡沫(うたかた)です。
水面に波が立ち泡沫ができる。
でも、次の瞬間には消えている。
再び、泡沫ができたとしても、それはもう前の泡沫とは違う。

つまり、長明さんは、変化するものとして、川の水と水の泡を書いた。
でも、自然界で変化するものと言えば、太陽もあるし、月、雲、風なんかもそう。
もっと言えば、季節もそうね。
ただ、理由は分からないけど、長明さんにとって変化するものと言えば、川のイメージだったんでしょう。

しかも、川というのは、音色がありますよね。
せせらぎの音とか。
せせらぎの音なんか、とても気持ちが落ち着いていいなーって思いませんか。
長明さんにとっても、川の水の音色は、心地よかったんじゃないでしょうか。
まー、だいぶ、テキトーに書いたけど。

あと、長明さんは、琵琶が得意だった。
ということは、多少、そういうのもあったのかもしれない。
あの美しい流れとか、美しい水面の輝きとか、美しい音色とか、そういうのを川に感じていたのかもしれない。

それで、この変化をするということ。
変化をするということは、一定の決まった形や形状を取らないということ。
そして、その「一定の決まった形や形状を取らないということ」が、ずーっと続くということ。
つまり、変化をするということは、常の状態がないということ。
これを、仏教では、「無常」と言ったりする。
そして、仏教では、この「無常」という考え方を大事にする。

僕たちは、いきなり「無常」について説明しろって言われても、うまくできない。
でも、無常ということは、「変化をすること」だとか「何か一つに留まらないこと」だと理解すれば、何となく分かるような気がする。
で、長明さん、この無常について語りたかったんだと思う。

長明さん、方丈記の最後で、いまだに、自分が執着心を持っていることを告白する。
そして、愕然とする。
仏教の大事な教えの一つは、無常を体得すること。
ところが、執着心があるということは、それは、心が一定の状態に定まっていること。
ということは、無常の教えに反してしまう。

僕は、長明さんは十分悟りを得たと思うけど、長明さんの中では、不十分だったのかもしれない。

それで、長明さんは、この川の水と水の泡が、人と家と同じであると書いてある。
なぜ、人と家なのか。
これねー、やっぱり、執着心だと思う。
特に、方丈記を読んでいると、長明さんの家に対する執着心は、大きかったと思う。

長明さんは、方丈記の中で、都の中では、みんなが立派な家を建てることに必死になっていると書いている。
それは、現代人も同じかもしれない。
ところが、長明さんの調べでは、昔から、ずーっと変わらずに建っている家はないと書いてある。
昔あった大きな家が、今では小さくなっていることもある。
あるいは、昔あった大きな家が、火事で燃えてなくなってしまうこともあった。
と、まー、そんなことも書いてある。

しかも、それだけではなかった。
長明さん、もともとは、名門社家の御曹司だった。
お父さんは、下鴨神社の正禰宜惣官を務めた人物だった。
きっと、幼いころから、立派なお屋敷に住んでいたんだと思う。

で、方丈記の中で、長い間、父方の祖母の家に住んでいたというくだりがある。
とてもすごい大豪邸だったみたい。
ところが、そこを追い出され、鴨川近くに引っ越しをする。
そこには、前の家の大きさと比べると10分の1と書いてある。

しかも、その後、長明さんは、大原へと引っ越し、最後は日野に引っ越す。
そして、方丈の庵を建てる。
方丈の庵の大きさは、だいたい四畳半ほど。
で、その家の大きさ、以前住んでいた家と比べると、100分の1にも及ばないと書いてある。

と、まー、そんなことを読んでいると、家に対する執着心は、いつも心の中にあったんだと思う。
そこには、家こそが権力の象徴、富の象徴というのもあったかもしれない。
あるいは、自分の運のなさ、不幸な人生を語るための、一つの方便だったのかもしれない。

今回はこの辺で。

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