方丈記に、似た運命

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鴨長明~エピソード

今回は、長明さんのエピソードについて。

昔の人だから、そんなに記録がある方じゃないのね。
ただ、長明さん自身、ある程度は自分のことを書き残している。
また、当時の人々が、長明さんのことについて書いていたりもする。
で、今回は、そういった中から、いくつか長明さんについての、興味深い話を書いていきます。
まー、今までにも出てきた話ばかりで、目新しい話もないけど、我慢してね。

で、今回、僕が設定したテーマが、これ↓

◆「鴨」と「長明」
◆元となる本があった!?
◆鴨長明と鴨祐兼
◆後鳥羽上皇と源実朝
◆太宰治

というわけで、1つずつ見ていきます。

◆「鴨」と「長明」
「鴨」と「長明」って、鴨長明の名前を分解しただけ。
だけど、一応、意味があって分解したつもり。

まず「鴨」から。
この「鴨」というのは、下鴨神社の「鴨」のこと。
あと、鴨川の「鴨」でもある。
つまり、昔から、鴨一族は、下鴨神社につながる名門一族だったわけ。

実際、鴨長明のお父さんの鴨長継。
この方、下鴨神社の正禰宜惣官を務めている。
正禰宜惣官というのは、今で言うところの、宮司で良いと思う。
もし、宮司で誤解があるなら、神社のトップ、神社の最高責任者、といったところ。

次に「長明」。
これ、一般的には「ちょうめい」って読んでいる。
でも、本当は、「ながあきら」と読む。
お父さんの名前は、「鴨長継」と書いて「かものながつぐ」と読む。
だから、長明さんも「鴨長明」と書いて「かものながあきら」と読まないといけない。
実際、源家長日記には「かものながあきら」と書かれてあるらしい。

◆元となる本があった!?
実は、方丈記には、元になる本があったとか。
それは、慶滋保胤が書いた「池亭記」という作品。
ちなみに、「慶滋保胤」は「よししげのやすたね」と読む。
「よししげ」という名前だけど、もともとは鴨一族。
だから、長明さんのご先祖様に当たる方。

で、この「池亭記」と「方丈記」は、構成・表現などに類似点が多いことが指摘されているのね。
実際、僕も読んでみたけど、まー似ていると言えば似ている。
分からないけど、長明さん、方丈記を書くにあたって、ベースにしたんじゃないかな。
しかも、生き方もそっくりだったりする。
長明さんの中では、慶滋保胤は、単なる「池亭記」の作者ではなく、人生の道しるべだったような気がするけど。

◆鴨長明と鴨祐兼
突然、鴨祐兼という人物が出てきた。
実は、この方、何かと長明さんの前に立ちはだかる嫌な奴。
嫌な奴と書いたけど、これは、あくまでも僕の主観だから、実際のところは分からない。
もしかしたら、鴨祐兼は、長明さんのことをマブダチと思っていたかもしれないし。
それで、長明さん、20代の頃に、鴨祐兼と下鴨神社の正禰宜惣官の地位を巡って争い、敗れている。
50歳前には、後鳥羽上皇の推薦を受けながらも、再び、鴨祐兼の横やりが入って、河合神社の禰宜になり損なっている。

また、長明さんが「瀬見の小川」を使った和歌を詠んだ時は、鴨祐兼から「瀬見の小川って言うのはなー、とても大切な場面で使う表現なんだよ!軽々しくしょーもない歌会で使うんじゃねー」って怒られた。
ところが、それ以後、和歌の世界で、この「瀬見の小川」という表現が流行り出した。
すると、長明さん、再び、鴨祐兼から「あんまりいい気になるなよ。どうせ、お前が、最初に詠んだことだって、すぐにみんな忘れてしまうからな!」と、嫌味を言われる。
もしかしたら、怒ったり、嫌味を言ったりしたのも、鴨祐兼からすると長明さんを思っての親心から言ったのかもしれないけどね。
違うかもしれないけど。。。

◆後鳥羽上皇と源実朝
後鳥羽上皇は朝廷のトップで、源実朝は鎌倉幕府のトップ。
で、長明さん、この二人と面識があった。
なかなかこういうのってないんじゃないの?
後鳥羽上皇には和歌所寄人として仕え、河合神社の禰宜任官のため、推薦状を書いてもらっている。
また、源実朝とは、実朝が和歌の師匠を求めていた際に、飛鳥井雅経の推薦を受けて、鎌倉で面会をしている。

後鳥羽上皇と源実朝、二人とも、中世屈指の歌人だった。
後鳥羽上皇は、承久の乱に敗れて、隠岐島に島流しとなり、そこで亡くなっている。
源実朝は、養子として迎えた兄の子に暗殺されている。
長明さんと浅からぬ縁をもつ二人が、こうして不幸な最期を迎えるというのも、これもまた何かの縁なのか。。。

◆太宰治
実は、太宰治の作品の中に、右大臣実朝というのがある。
そして、その中で、さっき上に書いた鴨長明と源実朝の面会のシーンを書いている、
僕も、全体を読んだわけではないけど、少なくとも、太宰治は、鴨長明のことを意識していたと思う。
確かに、主人公は源実朝だけど、太宰治と鴨長明って「ダメ人間」という部分ですごく繋がっているような気がするのね。
まーね「ダメ人間」という同類項で括るのも、ちょっとどうかと思うけど。
才能は有りながらも、それが人生というか生活には全く反映されない所がね、似ている気がするのよね。

今回はこの辺で。

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