方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


アンダーマイニング効果

えーっと、今回は、アンダーマイニング効果について。

まず、アンダーマイニングとは何か?
これ「undermine」という英語のing形。
で、「undermine」がどういう意味かと言うと、「むしばむ、台無しにする」ということらしい。

うーん、ここまでの説明だと、このアンダーマイニング効果って、あまり良い感じがしない。
まー、心理学の効果に、良いも悪いもないけど。

それで、このアンダーマイニング効果、教科書的に説明すると、

「内発的動機付けによる行為に対して、外発的動機付けを行うことで、その行為に対するモチベーションが低下してしまうこと」

となる。

ただ、この説明だけで、「OK、分かった!」って言う人は、まずいない。
サンドイッチマンがいれば、「ちょっと何言ってるのか分からない」って言うはず。
多分。。。

というわけで、アンダーマイニング効果を説明する際に、よく出てくるお話を書きます。
ちょっと長くなるけど、我慢してね。

ある老人が、家の隣の空き地で、子どもたちが毎日野球をするので、騒がしくて困っていた。
で、この老人、何とかできないかと思っていた。
ある日、老人は、巧妙な計画を思いつく。
で、別のある日、老人は、子どもたちにこう言いました。

君たちの野球を見るのがとても楽しくて、いつも家からみているんだよ。
これからここで毎日野球をやってくれたら、100円あげるよ。

で、子どもたちは、びっくりする。
遊ぶだけでお金がもらえるということで、子どもたちは大喜び。
そして、それから一週間、老人は、子どもたちに100円をあげた。

次の週。
老人は、子どもたちにこう言った。

すまないけど、お金に余裕がなくなってきたんだ。
これからは、毎日50円で我慢してくれるかい?

子どもたちは、しぶしぶ、毎日、50円を受け取って野球をした。

さらに次の週。
老人は、子どもたちに言った。

すまないけど、今日からは10円にさせてもらうよ。
お金がなくなってきたんだ。

で、子どもたちは、「ちぇっ、10円か!」と言いながらも、毎日、空き地にきては野球をした。

で、数日後。
老人は、子どもたちに言った。

ごめんよ、今日からもうお金はないよ。
もう、あげるお金がなくなってしまったんだ。

すると、子どもたちは、怒って文句を言った。

冗談じゃないよ!
僕たちがタダで遊んでやると思っているの?
もう二度と遊びになんか来るもんか!

それ以降、子どもたちは、二度と空き地で遊ぶことはなくなった。
めでたし、めでたし。

えーっと、分かるでしょうか。
子どもたちは、もともと、野球が好きで野球をしていたんですね。
これが、内発的動機付けというやつです。

それが、途中から、老人が出てきて「野球をしてくれたら、お金をあげる」って言うわけですよ。
で、子どもたち、いつの間にか、お金欲しさに野球をするようになってしまう。
これが、外発的動機付けというやつです。

で、最終的には、お金をもらえなくなることで、野球をすることをやめてしまう。

つまり、何かをするめには、「金銭的な報酬よりも、純粋な興味に任せた方が良い」ということなんだろう。

そう言えば、前回は、動機付け・衛生理論だった。
で、報酬というのは、衛生要因だった。
衛生要因というのは、満たされてもモチベーションアップにはならないけど、満たされないとモチベーションダウンにつながる要因ということ。

それを思い出すと、やはり、金銭で相手を釣るというのは、良くないのかもしれない。
いや、もちろん、この文脈において良くないというだけで、絶対ダメというわけでもない。

例えば、頑張ったことで、それに見合った金銭を支払う。
そして、また、頑張ってもらう。
インセンティブというやつ。
ビジネスの世界だと、インセンティブ契約というのもよくある。

つまり、金銭などの外的動機付けが、悪いというわけでもないんだと思う。
要は、バランスというか、使い方なんだろうと思う。

ここで、ちょっと、子育ての話していい?
子育てをする上で、僕が、注意していることの一つに、「ほめすぎない」というのがある。
これは、僕の育ちだとか、宗教観(まー、仏教ですけど)が、影響している。

基本的には、「ほめられても、ほめられなくても、やるべきことを黙ってやる」ということを大切にしている。
つまり、ほめられることに慣れると、人間は、ほめられないと行動できなくなると思うのね。
「ほめられないのに、なんでする必要がある?」っていう感じで。

で、子どもが良いことをすれば、当然、ほめる。
その一方で、「ほめられても、ほめられなくても、すべきことはしなさい」とも言っている。
ほめられるからするでは、それはそれで困るから。
まー、でもね、これは、難しいよね。

で、この「ほめる」ということ。
ひと昔前に流行った「嫌われる勇気」にも議論があった。
一応、本の中では、「ほめない・叱らない」が正しいといった書き方をしていたと思う。

「ほめる」、「叱る」という行為は、上の人間が下の人間に下す評価だと書いてあった。
で、アドラー心理学では、たとえ親子関係であっても、横のつながりを重視している。
だから、「ほめる」、「叱る」は、必要ないと。
で、その代わりに「ありがとう」と感謝の意を伝えなさいと。

で、実際に、子育てをしたら分かるんだけど、ほめない・叱らないというのはありえない。
親子関係なんだから、当然、上下関係がある。
だとすると、「嫌われる勇気」は、机上の空論で終わってしまうんだけど。
要は、親子という上下関係に基づいて、短絡的に「ほめる・叱る」のは良くないってことなのだろう。

「子どもが興味を持ったことを、やらせてやりたい」と思う親は多いと思う。
僕もそうだ。
で、親になるとね、子どもが何かできないと、あれこれとすぐにしてやったり、助けようとする。
「これは、こうして、こうして、こうする」みたいな感じで。
でも、子どもに何かしてやる、子どもがしているところに横から入るというのは、良くない場合もあるんだと思う。
つまり、親という存在が、悪い意味での外的動機付けになってはいけないんだと思うのね。

子どもに対して、何もしない。
子どもがしていることを、黙ってじっと見る。
ということも大切なんだろうと思う。

今回はこの辺で。

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