方丈記に、似た運命

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平家一門の黄昏②

えーっと、前回からの続きです。

平家一門は、総力を挙げて木曽義仲と戦った。
その戦いで、平家一門は、連環の計のごとく船を板で繋ぎ、しかも、木曽義仲軍を取り囲むように陣を敷く。
しかも、平家一門は、船の中に訓練した馬も乗せていたらしく、海上で木曽義仲軍を破ると、陸上でも木曽義仲軍を蹴散らせたという。

また、一説によると、この戦いの最中に日食が起きたらしい。
そして、そのことを事前に知っていた平家一門は、日食に動揺する木曽義仲軍を大いに打ち破ったとか。
本とかどうかは知らないけど、ウィキペディアにそう書いてあった。

とにかく、水島の戦いは、平家の大勝利だった。
平家物語には、昔の中国の故事になぞらえて「会稽の恥をすすいだ」なんて書いてある。
しかも、平家一門は、次の室山の戦いでも木曽義仲を打ち破る。
そして、ついに、平家の本拠地であった福原に入る。

福原までくれば、都はすぐそこ。
平家一門の士気は、大いに盛り上がったと思う。
決して、一方的に敗れて滅亡したんじゃなかったんですね。

一方で、対照的だったのが木曽義仲。
後白河法皇と仲たがいをし、水島の戦いで平家に敗れると、もはや落ち目の木曽義仲に味方する者はいなかった。
そして、最終的には、同じ源氏の源義経と戦って、これに敗れて討死をする。

それで、ここからは、平家一門は、源義経と戦うことになる。
そして、源義経との初めての戦いが一の谷の戦い。
で、この一の谷の戦いは、上にも書いたけど、平家一門からすると、水島、室山と源氏を打ち破り、次はいよいよ上洛かという状況で行われた戦い。

ところが、この戦いで、平家一門は大敗をしてしまう。
この戦いで、平家一門は、有力武将を次々に失うことになる。
後に、織田信長が好んで歌ったという敦盛。
この主人公・平敦盛も、この戦いで命を落とす。
しかも、平家一門は、圧倒的兵力だったにもかかわらず、2時間ほどの戦いで、義経軍に大敗をしてしまったらしい。
分からないけど、色々と読んでみると、裏崩れになったんじゃないだろうか。

また、一説によると、当時、後白河法皇から、源平両軍に対して停戦命令が出ていたとか。
平家一門は、油断したかは知らないけど、一旦、武装解除をしてしまう。
そして、そこを源氏に攻められたために、大敗をしたという話もあるらしいのね。
だけど、まー、これなんかも、平宗盛が甘かっただけかもしれないけど。

それで、一の谷の戦いに敗れ、福原を失った平家一門は、再び、屋島に戻った。
そして、屋島の戦いを迎える。
ところが、ここでも、平家一門は大敗をしてしまうのね。
しかも、一の谷の戦いと同様に、この時の戦いも、平家一門は、圧倒的兵力だった。
にもかかわらず、寡兵の源義経に大敗をしてしまう。

このあたり、平家物語によると、源義経は、摂津国(今の兵庫県と大阪府にまたがる地域)から阿波国(今の徳島県)へ船で渡るのに、普通だと3日かかるところを、わずか4時間で阿波国勝浦に到着したと書いてある。
まー、絶対に無理なんだけど。

また、阿波国勝浦というのは、今でいう徳島県小松島市。
で、源義経率いる源氏は、この徳島県小松島市から、屋島のある香川県高松市までの道のりを、わずか2日で駆け抜けたらしいのね。
その距離、90キロ。
まー、これまた、絶対に無理なんだけど。

ただ、いずれにしても、一の谷と屋島と、平家一門は、源義経の奇襲攻撃によって敗れるわけ。
やっぱり、宗盛じゃだめなんじゃない?
宗盛は、総大将の器じゃないと思うよ。

一応ね、少しだけ書くと、こうやって、平家一門が一の谷、屋島と戦いができたのも、関門海峡の彦島で、平知盛が九州の源氏方の攻撃を防いでいたからなのね。
にもかかわらず、平宗盛は、これらの戦いで大敗をする。
しかも、圧倒的兵力にもかかわらず負けているからねー。

で、屋島を失った平家一門には、もう彦島しか行くところがなかった。
ていうか、屋島の戦いに敗れた時点で、平家の滅亡は必至だったと思う。
後は、どこで死ぬか、それだけだったと思う。

実際、彦島に追い詰められた平家一門は、壇ノ浦の戦いで敗れて滅亡する。

壇ノ浦の戦い。
平家物語によると、船の数は、平家一門は1000艘、源氏は3000艘とある。
で、平家は、圧倒的に不利な状況の中、源氏に対して弓を射かける。
そのため、源氏は、あまりの猛攻にビックリして静まり返ったらしい。

ところで、この戦のさなか、突然、いるかの群れが現れる。
僕も、本とかどうかは知らないけど、平家物語にはそう書いてある。
えーっと、確か、平家物語だったはず。。。

それで、平宗盛は、いるかの大群を見ていたらしい。
そして、そのいるかの大群は、源氏の陣から平家の陣に向かって泳いでいた。
で、平宗盛は、お抱えの占い師に、占いを命じる。
すると、その占い師は・・・

いるかの群れが、そのまま、平家の陣の下を進めば平家の負け。
もし、引き返して、源氏の陣の下を進めば源氏の負け。

と、言ったらしいのね。

で、そのいるかの大群がどうなったかと言うと、そのまま平家の陣の下を進んでしまう。
あ~、いるかたち、なんと無情な。。。
ていうか、滅亡がかかる一戦で、のんきに占いなんかやっている場合かよ!

最終的に、戦の前半は、平家一門が源氏を攻めるたけど、ついに、平家一門は最期を迎えることになる。
で、ここからは、平家一門が次々に入水自殺をしていくんだけど、平家物語で最も悲劇的な場面となる。

兄に代わって戦を指揮した平知盛が、みんなに船を掃き清めるように指示を出す。
そして、その後、二位の尼が安徳天皇を抱きかかえる。
この二位の尼は、平清盛の妻で、安徳天皇の母方の祖母となる人物。
平家一門の隆盛を見たにもかかわらず、まさか、清盛亡き後に、平家一門の滅亡を見ることになるとは予想もしなったと思う。
しかも、最期は、孫を抱いて入水自殺するんだから、もう言いようがない悲しみ、苦しみだと思う。

二位の尼は、涙ながらに、安徳天皇に「陛下は前世の行いが良かったために、陛下としてお生まれになりましたが、悪縁によってもはや御運が尽きることとなってしまいました。今から、極楽浄土という素晴らしいところへお連れ致しますので、この世の最期のご挨拶をなさいませ」と言うのね。

すると、安徳天皇は、東に向かって両手を合わせて伊勢神宮に挨拶をする。
そして、次に、極楽浄土があると言われる西に向かって、両手を合わせる。
そして、二位の尼は、そのまま安徳天皇を抱きかかえると、海に沈んでいった。
で、これを見た平家一門は、男も女も、次々に入水自殺をしていく。

平家物語では、この場面を「海の上には打ち捨てられた平家の赤い旗が、まるで竜田川に散った紅葉の葉のように思われ、誰も乗っていない船はどこを目指すということもなく、ただ揺られているだけであった」と書いてあるんだけど、悲しい状況が目に浮かぶ。

また、太宰治の右大臣実朝の中で、源実朝が「明るさは滅びの姿であろうか」と言う台詞があるのね。
それで、平家一門の輝きもまた、滅びの姿だったのかもしれないと思ってしまう。

最後に、平家物語によると、平家一門が次々と入水自殺していく中で、約一名、みっともない姿を晒した者がいると書いてある。
今までの展開で予想できるかもしれないけど、平宗盛。
平宗盛、船の中でうろたえるだけだったらしく、それを見ていた兵士の一人が呆れて、「はよ死ね」とばかりに宗盛を海に突き落とすんだけど、宗盛は泳ぎが得意で助かってしまう。
こうして見ると、平宗盛って、本当にダメな奴だと思ってしまう。

今回はこの辺で。

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