方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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歴代天皇の話①

今回は、歴代天皇についてです。

現在の令和天皇は、126代になるそうです。
世界中を探しても、これだけ長く続いた王家はないんだとか。
まー、はじめの頃の天皇は、ほとんどが伝説。
それで、その存在が疑われていたりもする。
それでも、1つの王家がこうしてずーっと続いているのは、とても珍しい。

それで、僕も、歴代の天皇を全て知っているわけではなく、それどころかごく限られた天皇しか知らないのね。
しかも、そんなに深い知識もない。
で、今回は、そんな僕が、独断と偏見でこれは面白いと思った天皇を紹介してみます。
先に書くと、次の天皇です。

◆崇峻天皇
◆推古天皇
◆皇極天皇・斉明天皇
◆弘文天皇
◆嵯峨天皇
◆崇徳天皇
◆後白河天皇
◆安徳天皇
◆仲恭天皇
◆光厳天皇

◆崇峻天皇
崇峻天皇は、飛鳥時代の天皇で、第32代の天皇。
まー、ほとんどの人は知らないですよ。
にもかかわらず、なぜ崇峻天皇を紹介したかったかというと、歴代天皇の中で唯一暗殺された天皇だから。
しかも、暗殺したのは、義理の父の蘇我馬子。

そもそも、崇峻天皇の母は、蘇我馬子の妹。
そして、崇峻天皇の妻は、蘇我馬子の娘。
さらに、そして、崇峻天皇は、蘇我馬子の後ろ盾で天皇になっている。
つまり、崇峻天皇と蘇我馬子は、一心同体だったと思う。

ところが、ある日、崇峻天皇に猪が献上される。
そして、その猪を見ながら、崇峻天皇は刀を抜いて、こう言うのね。

「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」

で、崇峻天皇は、一体、誰を切りたいと思ったのか?
そもそも、崇峻天皇が、本当にこんなことを言ったのかも分からないけど。。。
ただ、崇峻天皇が、こうつぶやいたと聞いて、「俺のことか?」と思った人物がいた。
それが、蘇我馬子。

昔のことなので、詳しいことは分からないけど、崇峻天皇と蘇我馬子は仲が悪かったらしい。
まー、あくまでも「らしい」だから。
それで、崇峻天皇、天皇ではあったけど、実権は蘇我馬子が握っていた。
つまり、崇峻天皇は傀儡政権。
しかし、崇峻天皇は、親政をしたかったのかもしれない。

それで、蘇我馬子は、先手を打って、崇峻天皇を暗殺する。
ただ、天皇を暗殺するって、ふつーではありえないこと。
しかも、後見人だろうが、義理の父親だろうが、相手は天皇だから、これは完全な主君殺し。
ふつーなら、蘇我馬子は捕まって、処刑されてもおかしくない。

ところが、蘇我馬子は、処刑されなかった。
それどころか、天皇が暗殺されたにもかかわらず、大した混乱もなかったとか。
しかも、当時だと、天皇が亡くなると、「もがり」というお別れの儀式をするのが慣習だったらしいけど、その「もがり」も行われていないんだとか。

このあたりは、全くの謎。
・崇峻天皇が暗殺された理由も分からない。
・蘇我馬子が処刑されなかった理由も分からない。
・天皇が暗殺されたにもかかわらず、混乱がなかった理由も分からない。

もしかしたら、戦国時代の足利義昭と織田信長の関係だったのかもしれない。
テキトーに書いたけど。。。

◆推古天皇
推古天皇と言えば、女性初の天皇として有名な方。
また、聖徳太子を摂政として、政治を行ったことでも有名。
正直、推古天皇について言えば、この事実を知っていれば十分と思う。
ただ、ここでは、少しだけどうでもいいことを書きます。

まず、この推古天皇の前の天皇が誰かと言うと・・・

「崇峻天皇」

なんですね。
崇峻天皇、さっき出てきたばっかりなので、忘れてないですよね(笑)
そして、崇峻天皇は、推古天皇の弟(異母弟)なんですね。
一応書くと、推古天皇も飛鳥時代の天皇で、第33代の天皇となる。

それで、この推古天皇が天皇になった理由ですが、正直、よく分からない。
そもそも、初めての女性の天皇。
しかも、暗殺された崇峻天皇の次の天皇。
周囲からは、反発の声もあったと思うんだけどね。。。

ただ、さっきも書いたけど、崇峻天皇が暗殺されたにもかかわらず、混乱はなかったらしい。
ということは、推古天皇が天皇に即位するのは既定路線だったのかもしれない。
あるいは、蘇我馬子が力で押さえつけたか。。。

それで、この推古天皇だけど、聡明な方だったらしい。
また、叔父である蘇我馬子に対しても臆することなく意見を言う人物だったか。
一歩間違えると、崇峻天皇と同じ運命だったかもしれないけど。

また、聖徳太子の実績とされている、冠位十二階の制度、17条の憲法、遣隋使、仏教の普及。
これらについても推古天皇の努力による部分もあるんだとか。
決して、女性初の天皇と言うだけでなく、それなりに実績を残した天皇だったようです。

◆皇極天皇・斉明天皇
皇極天皇と斉明天皇。
これはちょっと珍しいタイプの天皇か。
で、そもそも、「天皇が2人ってどういうこと?」ってなる。

実は、この2人、同一人物。
しかも、さっき書いた推古天皇と同じく女性天皇。
そもそも女性天皇と言うだけでも驚きなのに、しかも2回も天皇になるって。

一応書くと、皇極天皇が第35代、斉明天皇が第37代となる。
ということは、1回目の天皇の時は、推古天皇の次の次となる。
それで、皇極天応・斉明天皇って、正直、有名ではない。
ただ、この天皇の子どもが天智天皇や天武天皇となっているから、ちょっとしたキーパーソンか。

そして、皇極天皇の時代に、乙巳の変というクーデターが起きる。
乙巳の変というのは、中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(天智天皇)が蘇我馬子を暗殺した事件のこと。
昔は、この事件を指して、大化の改新と習ったけど。
で、乙巳の変から数日後に、皇極天皇は、弟の孝徳天皇に譲位をする。

ところが、孝徳天皇、若くして亡くなってしまう。
すると、再び、今度は、斉明天皇として天皇になる。
そして、斉明天皇が亡くなると、天智天皇が天皇となる。
それで、斉明天皇、68歳で亡くなるんだけど、その68歳の時に、道後温泉に訪れたと記録があるそうです。
どうでもいい話だけど。。。

今回はこの辺で。

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