方丈記に、似た運命
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つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。
【原文】
つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。
【訳】
竜巻自体はつねに吹くものではあるけど、これほどの被害をもたらした竜巻がかつてあったであろうか。
ただごとではなかった。何かよく分からないが、吉凶(凶兆)を予感させるものではないかと感じられた。
【わがまま解釈】
当時の人も、竜巻が自然現象の一つというのは分かっていたらしい。
ただ、「これほどの被害をもたらした竜巻は、かつてあっただろうか?」というところを見ると、恐らく、長明さんが体験した範囲(知る範囲)では、最大級の竜巻だったと思う。
それで、何か良く分からないけれど、何か未来に暗い影を落とすような暗示ではないかと思っている。
いわゆる「嫌な予感」というやつ。
ちなみに「恋の予感」は安全地帯。
どーでもいいけど。。。
度重なる災害、政治の不安定などから、長明さんとしてもこの竜巻に何か特別なものを感じずにはいられなかったのだろう。
それで、長明さんの嫌な予感は当たってしまう。
福原遷都、養和の大飢饉、源平の戦い(平家滅亡)など、とんでもないことが次々に起きる。
ところで、昔から、災害の記録って残されているんだけど、竜巻の記録ってかなり珍しい。
で、ちょっと調べてみた。
まー、ネットでだけど。
すると、一番古い竜巻の記録は、どうやらこの治承の竜巻らしい。
ていうか、そもそも、江戸時代以前で竜巻の記録自体が治承の竜巻しかない。
竜巻というのは一瞬の出来事なので、地震や火事と違って記録に残りにくいというのはあるかもしれないけど。
で、竜巻について調べていたら、龍ヶ崎市の由来にぶちあたった。
古代から龍ヶ崎付近は、竜巻が多かったらしい。
それで、竜巻の様子が天に昇る龍に見えるということで、龍ヶ崎という名前になったという説があるらしい。
あくまでも説だけど。。。
ただ、これが事実なら、古代から竜巻という現象は知られていたのだろう。
それで、今回のテーマは、これで終了なんだけど、ちょっと地図を調べてみた。
というのも、方丈記で色々と地名が出てくるんだけど、全くどこか分からないのね。
まー、京都市内に住んでいる人しか分からないんじゃない?
それで、平安京の位置関係が分かるような地図だとか、今まで出てきた安元の大火や、治承の大火、治承の竜巻の被害の範囲が分かるような地図を見つけてきた。
それが、これ。
赤色の部分が平安京。
分かりにくいけど、青色(薄紫色)の部分が下鴨神社。
こうして見ると、下鴨神社と平安京って、かなり近いことが分かる。
直線距離で500メートルぐらいか。
次に、平安京の部分だけを抜き出したのがこれ(一番下の図)。
そして、黄色の部分が安元の大火で焼けた範囲。
オレンジの部分が治承の大火で焼けた範囲。
最後に赤の矢印は、治承の竜巻の動いた経路。
それで、これを見ると、被害が左京(大内裏から見て)に集中している。
池亭記によると、平安京は、右京が衰退していて、左京にばかり人が集まったとある。
被害が左京に集中したのも、人や家が左京に集中したからではないだろうか。
長明さん、平安京を玉しき都なんて書いていたけど、案外そうでもなかったのかもしれないよね。
今回はこの辺で。
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