方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

当サイトはリニューアルします。
新サイトはこちらから見えます。
※新サイトの同じページに移動します。
  https://shinfoni.webnode.jp/classic-history/history-reappraisal/36/ 


実は、間違っていた日本史③

今回は、ちょっと趣向を変えて東大の日本史の入試問題から。

これが、けっこう面白い。
何て言うのか、問題が独特。
全く知らないことを聞かれているわけじゃないけど、全く歯が立たない。
そんな問題。
で、僕は、これを見て、「やっぱ東大は違うなー」って思ったのね。

そんなわけで、まずは、問題文をどうぞ。

「次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行以内で記せ。(1983年度第1問)」

えーっと、分かりますか?
この問題を作った東大の先生は、「以前にこの問題を出したら、正解率が低いうえに、さらに、みんなが同じような間違った解答をしたんだよね。今回は、なぜ、みんなが同じような間違った解答をしたのかに注目しながら、本当の答えを導き出してね」と言っているのね。

つまりは過去問。
本試験に過去問を出してきた。
普通の大学入試試験ではぜったいあり得なーい。
しかし、東大はそれをやってのけた。
うーん、凄すぎるぜ。。。
テキトーに書いたけど。

実際の設問の内容については、長くなるので省略です。
ただ、その東大の先生が聞きたかったのは、単なる用語の説明ではなく、その出来事がなぜ起きたのかを、あなたなりに考えて書いて欲しい、ということでした。
で、一応、ヒントとなる資料がいくつかあった。

ちなみに、僕もその問題をちらっと見てみた。
無理!
解けない!

まー、こうやって考えさせるところが、東大の入試のすごいところでしょうか。
しかも、解答を読む方の先生だって、かなり疲れるだろうに。。。

それで、東大の入試だと、こんな問題が出されるそう。

・中世に天皇が滅びなかったのはなぜでしょうか?
・鎌倉時代に一気に仏教が花開いたのはなぜでしょうか?

僕なんか、問題文を読んだ時点で「えっ」って思ったよ。
これが入試の問題なのか?
で、これを、18や19の子が解くのか?
いや、これって、歴史研究家たちが扱うテーマであって、受験生では無理だから。
ていうか、東大に入るためには、こんな問題を解かないといけないのか。。。

そりゃね、「中世に天皇が滅びなかった」とか「鎌倉時代に一気に仏教が盛んになった」なんてことは知っている。
ただ、それを考えたことなんて一度もない。

ただ、天皇について考えてみると、崇峻天皇は、蘇我馬子によって暗殺されている。
弘文天皇(大友皇子)は、天武天皇(大海人皇子)との壬申の乱に敗れて自殺している。
しかも、この戦い、官軍が反乱軍に敗れるという珍しいことが起きている。
また、安徳天皇は、平家一門とともに海に沈んだ。
後醍醐天皇は、吉野へと逃亡し南朝を開いた。
つまり、天皇家が途絶えるピンチは、定期的にあった。
しかし、天皇家は続いている。

例えば、藤原道長、平清盛、源頼朝、北条義時、足利尊氏、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者も天皇家を滅ぼしたりはしていない。
このあたり、坂口安吾のエッセイを読むと、時の権力者たちは、自分が率先して天皇に従うことで、他の者たちを従わせたと書いてある。
しかも、その実、時の権力者たちは、天皇をもてあそんでいた。
つまり、天皇というのは、ある意味「空」の存在で、他者を自分に従わせるためだけに必要だったのかもしれない。
テキトーに書いたけど。。。

すみません。
話を戻して、1問だけ問題を解いてみます。

13世紀におけるモンゴルの対日本戦争に対して、下記の設問に答えよ。
設問A
二度の合戦(1274年:文永の役、1281年:弘安の役)における日本軍の戦いかたには、モンゴル軍とくらべてどのような特徴があったか。
日本の武家社会の特質と関連させて、下の語句をすべて使い、3行以内で述べよ。
語句はどんな順で使ってもよい。

恩賞、武士団、集団戦、一騎討ち

まず、問題の意味が分かりますか?
少し解説を加えると、下の図を見たことないでしょうか?

で、右側の馬に乗った人物は日本軍の兵で、一人でポツンと戦っている。

そして、先ほどの問題は、「なぜ、この日本軍の兵士は一人でポツンと戦っているのでしょうか?」と聞いているのね。

昔の教科書だと、「武士道を守る日本軍は常に一騎打ちで敵に立ち向かったが、集団戦法で攻めてくる元軍には手も足も出なかった。しかし、たまたま台風(神風)が吹いたおかげで、日本軍は辛くも勝利をすることができた」といったことが書いてあったと記憶している。

つまり、日本軍は武士道の精神で、戦う前には名乗りを上げ、戦いに際しては正々堂々と刀を持って戦い、大量に弓矢を射かける元軍に対して突っ込んでいった、(そして、負けた)、といった印象なのですが、実は、これがウソなんだとか。
というのも、実際には、日本軍も集団戦法で戦ったという記録があるらしいのね。
しかも、武士道の精神で、名乗りを上げて戦ったとあるけど、相手は日本語が分からないモンゴル民族だしね。
にもかかわらず、名乗りをあげて一騎打ちをした理由・・・

「味方に聞かせるため」

なんだとか。
つまり、「今、頑張ってるのは、自分ですよ」と周囲に言っておかないと、手柄を立てても「あいつ誰?」で終わってしまうのね。
最悪の場合、「お前、いなかっただろ」なんて言われたりして。

鎌倉時代というのは、鎌倉幕府と武士とは、御恩と奉公という関係。
だから、御恩を受け取るには、集団戦で攻めてくる元軍に対してでも、一騎打ちで戦う必要があったらしいのね。
しかも、日本の武士団は血縁(一族)によるところが大きかったので、少しでも自分が頑張ったところを見せることで、一族の評価も上がったわけ。
つまり、武士道精神、全く関係なし。
と、まー、そんな事実を知らされると、なんか淋しい気もするけど。。。

今回はこの辺で。

次のページ>>実は間違っていた日本史④ 
前のページ>>実は間違っていた日本史② 

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう