方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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足利義栄~阿波国で生まれた将軍

◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 100
戦闘  54
智謀  30
魅力 100
野望  21

えーっと、今回は、足利義栄。

自分で書いといてあれなんだけど・・・
誰?
知ってる?
僕は知らないけど。。。

一応書くと、この方、足利幕府の第14代将軍。
ということは、本当はすごい人。
でも、知らない。

一応書くと・・・
第13代将軍は、剣豪将軍として有名な足利義輝
第15代将軍は、信長包囲網を構築した足利義昭
で、足利義栄は、この二人に挟まれた状態。
カスミ草状態で、完全に埋没している。

いつものように能力値を見ると、低い。
低過ぎる。
前回、尼子晴久の時も低過ぎるって、文句を言ったけど、さらに輪をかけて低過ぎる。
一応、この方、将軍ですよ。
なのに、この能力値。
全ての能力値がFランじゃねーか。

だいたい、政治100っていっても、200点満点だからな。
100点満点なら50じゃねーか。
しかも、戦闘と智謀に至っては、なにこれ?この数字!
ナニコレ珍百景とでも言わせたいのか?
とにかく驚異的な低い点数。
唯一、魅力だけは、将軍だからって理由だけで100だけど。。。

この足利義栄、足利義冬の長男として阿波国(今の徳島県)で生まれる。
生まれたのは1538年。
大雑把には、織田信長(1534年)、豊臣秀吉(1537年)、徳川家康(1542年)なんかと同世代。
で、生まれてからしばらくは、動向が完全に不明なんだそう。
で、歴史の表舞台に登場するのは、三好三人衆たちが、第13代将軍・足利義輝を暗殺したあたりから。

ところで、三好三人衆たちが、なぜ、足利義輝を殺したのかは分からない。
もともと殺す予定ではなかったという説もあるけど、良く分からない。
ただ、将軍を殺してしまったせいで、三好三人衆たちは、新たな将軍を担ぐ必要があって・・・
そこで白羽の矢が立ったのが、足利義栄。
多分、義栄自身は、将軍になるつもりはなかったんじゃないかな。
分からないけど。。。

で、ちょっとここで、当時の足利将軍を振り返ってみない?
振り返りたいよね!
じゃあ、振り返ろうっか(笑)
↑ ごめんね、このへん、無視していいから(笑)

まず、足利義栄の祖父から。
足利義栄の祖父は、第10代将軍の足利義稙。
この足利義稙、面白いことに、実は、2回将軍になっている。
乱暴に書くとこんな感じ。

第10代将軍になる。
 ↓
反対派の勢力に京都を追われて、将軍職を失う。
 ↓
反対派の勢力を京都から追い出し、将軍に復権する。
 ↓
反対派の勢力に京都を追われて、阿波国(今の徳島県)に落ち延びる。

これ以降、この足利義稙の系統は、阿波公方と呼ばれるようになる。
で、足利義稙には、子どもが二人いた。
一人は、第12代将軍となる足利義晴。
もう一人は、阿波公方となった足利義冬。
そして、この足利義冬の子が足利義栄。
ついでに書くと、足利義晴にも子どもが二人いて、それが第13代将軍の足利義輝と第15代将軍の足利義昭。

当時の、足利将軍の流れは、こんな感じとなる。
で、話を戻して、ここからは、三好三人衆たちが第13代将軍・足利義輝を暗殺してからの話。
三好三人衆、松永久秀、それから、三好家当主の三好義継たちは、次の将軍として足利義栄をかつぐことにする。
そして、足利義栄は、三好一族の支援を受けると、阿波国(今の徳島県)を出発して、淡路島を経由して、摂津国(今の兵庫県から大阪府)に上陸する。

ところが、ここで、義栄の将軍就任に待ったをかける人物が出てきた。
それは、足利義昭。
暗殺された将軍・足利義輝の弟。
実は、足利義昭も将軍の座を狙っていた。

これ、足利義昭の立場から見ると、兄・義輝は三好三人衆たちに殺された。
そして、足利義栄は、三好三人衆たちの支援を受けていた。
そんな三好三人衆たちの支援を受ける足利義栄を、将軍にだけはさせてはならないと思ったかもしれない。
分からないけど。。。

当時、将軍になるには、しきたりがあったらしい。
それは、従五位下・左馬頭という地位に就いていることだった。
で、1566年、足利義昭が従五位下・左馬頭に任命される。

ということは、次の将軍は足利義昭か?
と、思っていたら、その1年後、足利義栄も従五位下・左馬頭に任命される。
これで、次期将軍レースは、分からなくなる。

そして、このタイミングで、朝廷が2人に対して、多額の献金を求めた。
つまり、この献金に応じた方が次期将軍となるわけね。
で、足利義昭は、当時、朝倉義景のもとにいた。
ただ、朝倉義景は、義昭の将軍就任には積極的ではなかった。
それで、足利義昭は、この多額の献金に応じることができなかった。

一方の足利義栄。
三好一族の支援を受けており、あっさりと献金に応じた。
で、その結果、足利義栄が将軍宣下を受けて、室町幕府の第14代将軍に任命される。

こうして、将軍になった義栄だけど、実は、短命政権に終わる。
というのも、長らく阿波国(今の徳島県)にいた義栄には、頼りにできる幕府の家臣がいなかった。
で、だからこそ、三好一族の支援が必要だったのに、その三好一族が仲間割れをして空中分解してしまう。
そして、ついには、義栄自身が病魔に襲われる。
で、1568年、29歳の若さで亡くなる。
将軍在位8か月の短命政権だった。

実は、義栄、将軍在位中は、京都に入れなかったらしい。
で、将軍でありながらも本拠地に入れなかった将軍は、この足利義栄と徳川慶喜だけなんだとか。

こうして見ると、足利義栄って、なんか三好一族に利用された感しかない。
しかも、こんな感じだから大した実績もない。
その点からすると、足利義栄の天翔記の能力値も仕方ないかもしれないけど。。。

今回はこの辺で。

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