方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


ユング心理学②

前回からの続き。

●共時性原理
この共時性原理だけど、僕は、面白いと思っている。
でも、よく分からないという人もいる。
僕の妻がそう。
僕の妻は、○○原理という話をすると、基本的に面白いと思わない。

この共時性原理、意味としては「意味ある偶然一致」となる。
英語だと、シンクロニシティ―というらしいけど。
よく「シンクロした」なんて言ったりするけど、そのシンクロ。

話がずれるけど、僕たちは、普段、因果律で物事を考える。
なぜ、因果律で物事を考えるのかというと、理解しやすいから。
結果の前には、原因がある。
原因があるから、結果がある。
こういう考え方。

それで、この因果律の良いところは、こうすればこうなると分かるので、結果を支配しやすい点にある。
また、客観的に証明しやすい点もあると思う。
特に、科学の世界では、因果律を重視する。
そして、この因果律のおかげで、僕たちの生活はとても豊かになった。

それで、僕たちは、全ての物事を因果律で説明しようとする。
ただ、ユングは、因果律を認める一方で、因果律では説明できない事象があるという。
特に人間の心・行動は、因果律では説明が難しい場合があるという。

そうかもしれない。

例えば、正夢。
なんか嫌な夢を見る。
で、その日一日、嫌なことが立て続けに起きる。
こういうことって、たまにある。
そして、自分の身に嫌なことが起きた理由は、因果律で説明ができるのだと思う。

それで、この場合、なんか嫌な夢を見たから、実際に嫌なことが起きたわけでもない。
実際に嫌なことが起きたから(あるいは、起きることが分かっていたから)、嫌な夢を見たわけでもない。
つまり、なんか嫌な夢を見たことと、実際に嫌なことが立て続けに起きることに、因果的な関係は全くない。
しかし、そこには、因果律では説明できない何か別の原理が働いているのではないか?
ユングは、そう考えたようです。

例えば、何となく今日は誰にも会いたくないと思っている時に限って、道でバッタリ知人と会うことないですか?
僕は、これがたまにある。
で、「何で会う?」って思ってしまう。
これなんかも、因果律で説明ができるかもしれないけど、心理的には、因果律での説明では納得できないわけ。

例えば、僕自身の話。
僕は、大学受験に失敗して、出身県を離れて隣の県の予備校に通っていた。
そこで、ある男と出会った。
彼も、地元(出身県)は同じだったけど、地域は全く別だったので、地元(出身県)での付き合いは全くなかった。
そして、大学は、僕も彼も別々となったため、もう二度と会うこともないと思っていた。
一応書くと、連絡先の交換などもしていなかった。

そして、僕は大学を卒業後、紆余曲折がありながらも、就職のために今住んでいる県(第三の県)にやってきた。
すると、その何年か後に、その彼が中途採用で僕が勤めていた会社にやってきたのね。
で、正直、これは驚いた。
しかも、出身県では一度も会ったことがなかった。
それが、出身県以外の県で二回も出会うという不思議な体験をしたことがある。
一応書くと、運命の赤い糸は、全く感じなかったけど。

例えば、結婚なんかも因果律で説明することは難しいと思う。
確かに、因果律で説明できる部分もあると思うけど、できない部分もけっこうあるわけ。
僕なんかだと、特に理由はないけど結婚したという感じ。
「なんで結婚したの?」って言われても、正直、説明ができない。
ただ、同棲期間が長かったので、いつかは結婚することになるだろうと思ってはいたけど。
また、同棲期間が長かったせいか、結婚したものの、新鮮さとか新婚という感覚は全くなかった。

つまり、人生を因果律で説明しようとすると、どうしても説明しきれない部分が出てくるのね。
それで、ユングは、因果律を補う原理として共時性原理というのを考えたわけね。
決して、ユングは、因果律を否定しているのではない。
また、因果律以外の原理で、人生や人間を理解するという点では、アドラー心理学も一緒かもしれない。

それで、この共時性原理について、図で説明するとこんな感じとなる。

まず、事象Aと事象Bという二つの事象がある。
それで、この二つの事象は、独立していて全く関係性はない。
そして、それぞれの事象は、それぞれの因果律に従い、時間の流れに従って生じている。
だいたい、世の中の事象は、こんな感じだろうか。

ところが、あるタイミングで、因果律を横切るように事象Aと事象Bが同時に起きる。
別の表現をするのなら、時間軸を横切るように事象Aと事象Bが同時に起きる。
もちろん、二つの事象が同時に起きるというのを、「単なる偶然」と捉える考え方もある。
しかし、これが単なる偶然ではなくて、「そこにもしかしたら何らかの意味があるのではないか」と考えてみる。
すると、これは「意味ある偶然一致」という考え方もできる。

つまり、共時性原理とは、

事象Aと事象Bが同時に生じたことについて、因果律で説明できない場合に、そのことを単なる偶然としてスルーするのではなくて、そこには何か意味があって(意味ある偶然一致)、因果律以外の別の原理が働いているのではないか。
その因果律以外の別の原理が共時性原理となる。
そして、ユングは、共時性原理は、因果律を否定するものではなくて、因果律と相補的な関係にあると言っている。

さっきも書いたけど、正夢の話、僕と友達の話、僕の結婚の話にも書いた通り。
人生を因果律だけで説明することは、とても難しい。
特に、結婚を因果律で説明するのは、不可能に近い。

なぜ、出会ったのか?
なぜ、惹かれ合ったのか?
なぜ、彼(彼女)でないといけなかったのか?
どうして結婚するに至ったのか?

これらを、因果律で説明することは不可能に近いけど、共時性原理で説明するなら、やはりそこには何か深い意味があったということになるのだと思う。

ただ、注意しなければならないのは、例えば、神様にお祈りをしたので病気が治ったという場合。
この場合、「神様にお祈りすること」と「病気が治ること」は全く別の事象となる。
そして、これを「神様にお祈りをしたから病気が治った」というのは、因果律で説明をしている。
だから、この場合は、共時性原理ではない。
あくまでも共時性原理は、共時的に生じた二つの事象を因果律で結びつけるのではない。
そうではなくて、因果律以外の何らかの働きがあるのではないかという考え方であり、乱暴に言えば、理由は分からないけれど共時的に生じた二つの事象について「意味がある」という考え方となる。

ただ、この共時性原理、僕なんかは話としては面白いけど、科学の領域から完全に外れている。
というのも、この「意味がある」というのがポイントで、意味を持たせるか持たせないかは、本人のさじ加減一つ。
本人のさじ加減一つだから、科学的に客観的に因果律的に説明や証明ができない。
ここが、共時性原理の弱点。
「ユングと共時性」によると、共時性原理は、ユングの全ての理論的な著書の中で、最も不成功に終わったと書いてある。
ユングが共時性原理を発表した当初から、共時性原理は不評だったらしい。

今回はこの辺で。

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