方丈記に、似た運命

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方丈記と浄土教

今回は、方丈記と浄土教。

前回、方丈記と続堕落論で、浄土信仰については少し書いた。
今回は、その延長。
正直、そんなに大した話ではないけど。

平安時代は、貴族の間で、浄土教が流行したらしい。
で、浄土教というのは、浄土宗や浄土真宗に代表されるように、「南無阿弥陀仏」を唱えると極楽往生できるという教え。
長明さんも、方丈の庵で生活した時に、往生要集という浄土教の本を持ち込んでいる。
また、阿弥陀仏の絵も持っていた。
で、方丈記の後半では、西に紫色にたなびく雲が、西方浄土を思わせるみたいなことを書いてあった。

ちょっと余談を書きます。
この、浄土教というか浄土宗、浄土真宗。
何がいいかって、「南無阿弥陀仏」を唱えると極楽往生できるという考え方。
「南無阿弥陀仏」を唱えるだけだから楽。
しかも、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで阿弥陀仏に救われる。
これを「易行他力」というらしいけど、多くの者から支持を受けたらしい。

それで、当時は、色んな宗教が生まれていた。
鎌倉仏教っていう奴。
で、その一つに、曹洞宗というのがある
道元が永平寺で開いた宗教。
この曹洞宗、修行の厳しさは日本最強クラスと言われている。

そこで思ったのが、もし、長明さんが、曹洞宗を信仰していたらどうだったか?
もしかしたら、一日ももたなかったかもしれない。
そして、仏教を信仰することもなかったかもしれない。
そう思うと、浄土教を信仰したのも良かったのかなと。

で、話を戻して、浄土教。
慶滋保胤も浄土教を信仰していた。
それで、浄土教を信仰して極楽浄土した者の話を集めて「日本往生極楽記」という作品を残している。
よっぽど浄土教を信仰していたのか。

しかも、それだけではなかった。
平安時代で最も有名な人物の一人・藤原道長に戒を授けている。
さらに、慶滋保胤が亡くなった際には、藤原道長が供養をしている。

鴨一族と浄土教は、深いつながりがあったのではないか。
長明さんも、そのことを感じていたのではないか。

長明さん、晩年は、日野山で暮らした。
で、この日野山が、浄土信仰の色が濃い地域だった。
そして、この日野で生まれたのが親鸞聖人。
親鸞聖人、出家前の名前は分からないけど、父の名は日野有範と伝わる。
つまり、日野さんだった。

方丈記には、長明さん、大原で暮らした後は、日野に移ったとある。
調べてみると、長明さん、大原で禅寂という友人ができたとか。
禅寂、出家前は、日野長親といった。
この方も、日野さんだった。

しかも、この禅寂、法然上人の弟子だった。
おそらく、浄土教について話をする機会もあったのではないか。
さらに、長明さんが日野に移るのを手伝ったのも、この寂禅の援助によるものだったという。
二人の仲は、相当良かったと思われる。

方丈記の最後には、次のように書かれてある。

【原文】
静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みずから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて、道を行きはむとなり。しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。住みかはすなはち、浄名居士のあとをけがせりといへども、たもつところは、わずかに周梨槃特が行にだにおよばず。もし、これ貧賤の報のみずからなやますか。はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただ、かたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。

【訳】
静かな明け方、この道理を考え続けて、自ら、自分に問うた。
世間を離れて出家して、山里に住んだのは、仏道修行のためではないか。
にもかかわらず、お前は、姿形こそ立派なお坊さんだが、中身は煩悩でいっぱいだ。
家は、維摩の真似をして狭い家に住んでいるが、修行は周利槃特の修行にさえ及ばない。
これは、もしかして、前世からの因果で、卑しい身であるが故に煩悩を断ち切ることができないのか、それとも自分の心が狂ってしまったからか。
その時、心は何も答えなかった。
ただ、無意識に自分の舌が「不請阿弥陀仏」と二、三回言って終わった。

長明さん、負け組の人生だった。
節目節目で挫折をして、自分の運のなさを思い知らされた。
どうして、自分だけと悩むことも多かったと思う。

そういうのが嫌で、そういうのに疲れて、仏道を選んだ。
方丈の庵を建てたのも、仏道修行のため。
ところが、姿形は僧侶でも、中身は全く煩悩のかたまり。

「一体、なんなんだ、これは?」と思う。

長明さん、維摩居士の真似をして、狭い家を建てた。
維摩居士というのは、お釈迦様のお弟子さんだったらしい。
で、ものすごく頭が良かった。
ただ、どうもダメ出しをすることが多くて、仲間内の評判は良くなかったらしい。

次に、周利槃特。
この方も、お釈迦様のお弟子さん。
ただ、お弟子さんの中では、どうやら頭が悪かったらしい。
最終的には、十六羅漢の一人に入るほどの立派な僧侶となる。
ずーっとダメなままで終わったのではないのね。

で、長明さん、この二人を引き合いに出しながら、自分は、どうして悟れないかを問うた。

・前世からの因縁で、卑しい身分として生まれたからか。
・単純に、おかしくなってしまっただけか。

で、分からなかった。
ただ、無意識に、

「南無阿弥陀仏」

を、二、三回唱えた。

方丈記は、これで終わる。
すごくないですか?
出だしの「ゆく河の流れは絶えずして・・・」の雰囲気が、全く感じられない。
あの澄み切ったような悟りの感じはどこに行った?
しかも、「南無阿弥陀仏」を、二、三回唱えて終わり。
なんなんだ、この終わり方?

でも、全てを阿弥陀仏にお任せするのが、浄土教の教えなら、これほどの終わり方はない。
迷ったなら、迷ったままの状態で、阿弥陀仏にお任せする。
その意味では、長明さんは、きちんと仏道を歩んだのではないか。

前回、続堕落論に話をした時に、堕落の中には孤独があって、孤独の道は神への道という話をした。
長明さんの場合だと、仏への道になると思うけど、間違いなく悟りの境地に達したと思う。
少なくとも、この終わり方こそが、長明さんの悟りではなかったか。

最初と最後の対比、いいなーと思う。
これも、方丈記の良いところではないだろうか。

今回はこの辺で。

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