方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく

【原文】
静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて、道を行はむとなり。しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。住みかはすなはち、浄名居士のあとをけがせりといへとも、たもつところは、わずかに周梨槃特が行にだにおよばず。もし、これ貧賤の報のみづからなやますか。はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただ、かたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。
于時、建暦の二年、弥生のつごもりころ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす。

【訳】
静かな夜明け前、この道理について思い続けて、自分の心に問うてみた。世間から離れてこの山里での生活を選んだのは、仏道修行をするためである。しかし、お前は、姿こそ聖人であるが、心は濁りに染まっている。家は、維摩居士の方丈の庵をまねてはいるが、仏道修行の身としては、周梨槃特の修行にさえ及ばない。これは貧しく卑しい身分として生まれたことが自分を悩ませるのか。はたまた、心が迷った挙句に自分を狂わせたのか。その時、心は、何も答えなかった。ただ、舌を使って阿弥陀仏の名を二、三度つぶやいただけであった。
1212年3月下旬の頃、僧の蓮胤が外山の庵でこれを記した。

【わがまま解釈】
さて、方丈記の最終回。
実は、今までも何回か、大きな修正を加えている。
できたと思っても、後で読み返してみると、自分の文章の下手くそな部分がたくさん目に付くのね。
うまいこと書いたつもりが、全然そうでないというのもたくさんある。
で、恥ずかしくなって、何度か修正をしている。

長明さん、静かな夜明け前に、自分が仏教者として、どれほど仏道を修めることができたかを思う。
世間から離れて、日野山で方丈の庵での生活を選んだのは、仏道修行のためだった。
しかし、自分は、姿こそ聖人であるが、心は濁りに染まっている。
つまり、心の中は、煩悩がいっぱいなわけ。

家については、維摩居士の方丈の庵をまねて建てたとある。
維摩居士と言えば、お釈迦様の在家の信者で、維摩経のタイトルにもなった人物。
で、「汚せり」とあるので、形ばかりまねをして、維摩居士の名を汚してしまったのだろう。

ただ、方丈の庵については、慶滋保胤の影響もあるかもしれない。
慶滋保胤は、鴨一族のご先祖様で、方丈の庵を建てたと言われている。
そもそも、長明さんの生き方も、慶滋保胤と重なるところがある。
また、方丈記は、慶滋保胤が書いた池亭記を参考にしたと言われている。
維摩居士をまねしたかもしれない。
だけど、同じぐらい慶滋保胤をまねしたかもしれない。

次に、修行については、周梨槃特にさえ及ばないとある。
この周梨槃特、お釈迦様の弟子の中で一番頭が悪かったらしい。
まさか、周梨槃特も後の世でこんな風に自分の名前を使われるとは思わなかっただろうけど。
とんだとばっちりか。
とは言っても、十六羅漢の一人数えられるとても立派な人物だとか。

つまり、この二人と比較して、自分は、見た目も中身も全然ダメってこと。

方丈記の中頃では、次の文章があった。

すべて、あられぬ世を念じ過ぐしつつ、心を悩ませること、三十余年なり。その間、折々のたがひめに、おのづから短き運を悟りぬ。

自分が、どうして、このような人生を送ることになったのか、長明さん、苦しんだと思う。
そして、重ねて思う。

これは、貧しくて卑しい身分として生まれたことが自分を悩ませるのか。
それとも、心が迷った挙句に、自分を狂わせたのか。

で、これに対して、どう答えたかと言うと、

何も答えなかった。

ただ、阿弥陀仏の名を二、三度つぶやいた。

これで、方丈記は終わり。
とても中途半端。
何が言いたいのか分からない。
なぞかけに近い感じがしないでもない。

前回、方丈記は、揺り戻しがすごい作品だと書いた。
方丈の庵やそこでの生活は良いものであると言う。
でも、そうは言っても、ちょっとあれかなーみたいな時もあると言う。
しかし、ここでの生活の良さは、住んだ者にしか分からないと言う。

長明さん、方丈記の冒頭で、「ゆく河の流れは絶えずして・・・」と書いていた。
これなんか、とても美しくて、悟りを開いた感いっぱいの文章だった。
ところが、方丈記の後半の最後、長明さんは、悩んでいる。
自問自答している。
冒頭の文章を一気に覆すような、苦悩に満ちた文章。
最後の最後で、方丈記最大の揺り戻し。

読んでいる方からすると、長明さんが悟れたのか悟れなかったのかは、大いに気になるところ。
でも、長明さん、はっきりとどっちとは書いていない。

少なくとも、長明さん自身は、自分は悟ったと思っていないと思う。
僕は、その点では、長明さんは悟れなかった思う。
僕自身は、長明さんは十分悟っていると思っているけど。

振り返ってみると、方丈記という作品は、最初から最後まで迷いの作品だったように思う。
作品の冒頭の悟りに近い文章のせいで、悟りについて書いているように思うけど、実は、ずーっと人生に迷っていた。
結局、人生について、何かが分かったということはなかったと思う。
おそらく、方丈記を書いている時点でも、手探りのまま生きていたのではないか。
僕は、そう思う。

少し話がそれるけど、浄土真宗の開祖の親鸞聖人は、「自分は悟った」と言わなかったとか。
自分は悟れない人間であり、そんな者こそ阿弥陀仏は真っ先にお救いくださると。
浄土信仰では、南無阿弥陀仏を唱えれば、誰でも極楽に行けるという。
南無阿弥陀仏とは、全てやり切ったので、後は阿弥陀仏にお任せしますということ。

また、問いに対して、二、三度、阿弥陀仏の名を唱えるという答え方。
これなんかは、維摩居士の無言の回答を思い出させる。
長明さんも、方丈記書いた時は、こういった心境ではなかったか。

方丈記の最後には、「出家者・蓮胤」が書いたとある。
あくまでも、鴨長明が出家者として書いたと。

しかし、方丈記と言う作品は、徒然草のような教科書的な内容でもない。
断定的でもないし、こうあるべきだ調でもない。
むしろ、自分はずーっと悩み続けてきたというお話。

適当に書くけど、方丈記は、鴨長明と蓮胤の二人の立場で書かれたのが良かったのではないか。
悩む鴨長明と悟りの蓮胤の二人の立場。
この二人がけん制し合うような感覚が良いのではないか。

光と影。
悩む鴨長明が影なら、悟りの蓮胤は光。
この二つの光と影が交錯して、作品の中に見え隠れするところが良いのかもしれない。

やはり、方丈記の良さは、断定的に物事を割り切ってしまわないところにあるように思う。
スパッと切って、「はい、これが答えです」と言わないところ。
分からないなら、分からないままで生きていくこと。
どこにも着地をさせてもらえない不安感もあるけど、その中を生きていくしかないよねっていう思い。

それと、あと一つ、鎮魂。
鎮魂には、魂を落ち着かせて鎮めることと、活力を失った魂に活力を与えて再生させるという二つの意味があるとか。
方丈記という作品は、まさにそうではないか。
悩める者を無条件で受け入れて、その心を慰め鎮め、再び、生きる希望を与えてくれる。
僕は、方丈記は、鎮魂の作品でもあると思う。

僕も、少しは方丈記の境地に近付けただろうか。

長い間、大変失礼しました。

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