方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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実は、間違っていた日本史②

今回は、実は間違っていた日本史の中から、江戸時代をピックアップ。
江戸時代というのは、徳川幕府が日本を統治していた時代のこと。
260年の歴史があり、戦争もなく、平和な時代だったと聞いたことがある。

で、その江戸時代。
いくつかの有名な政策があった。

◆参勤交代
◆鎖国
◆士農工商

実は、これら全て、間違って覚えているんだとか。
僕も知らなかったけど。

それで、今回は、これらの政策について、どこが間違っていたかを書きます。

◆参勤交代
これ、僕は、完全に間違っていた。
そもそも、参勤交代とは、

・諸大名の国力を削ぐため
・将軍と諸大名の主従関係の確認

が目的だと習った。
つまり、外様大名は大藩だけど、江戸から遠いために、彼らにお金を使わせることで謀反の芽を摘んだ、といったことを聞いたと思う。
で、僕なんかも、「なるほどな。確かに伊達や毛利や島津、前田などの外様大名が一斉に反旗を翻したら、徳川幕府だってやばいよな」と思っていたんですね。

ところが、どうもこれがウソらしい。

というのも、徳川幕府が定めた武家諸法度によると、

「大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。」

と書かれてあるんだとか。
なるほど、そうだったのか。
って、わかんねーよ。
サンドイッチマンなら、「ちょっと、何言ってるのか分からない」って言うな。

すみません。
現代語訳をすると、

「大名や小名は自分の領地と江戸との交代勤務を定める。毎年4月に参勤すること。供の数が最近非常に多く、領地や領民の負担である。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし上洛の際は定めの通り、役目は身分にふさわしいものにすること。」

となるらしいのね。
途中をよーく読んでみると、「供の数が最近非常に多く、領地や領民の負担である。今後はふさわしい人数に減らすこと」と書いてある。

あれっ、なんか変ですね。
徳川幕府が、諸大名に対して配慮を伺わせる文章を書いている。

実は、徳川幕府としても、諸大名が潰れるのが一番困ることだったらしい。
徳川幕府のために働いてもらわないと困るし、何よりも諸大名が潰れたら、治安だって、経済だって悪くなってしまう。

うーん、そうだったのか。
知らなかった。

実際、参勤交代というのは、一部の大名たちが徳川幕府のご機嫌伺いをするために勝手に始めたものなんだとか。
ただ、それを大勢の大名に派手にされると、財政が立ち行かなくなる大名も出てくるわけ。
そこで、制度化をして大名や領民たちの負担にならないようにさせたのが、真の意味での参勤交代となるそうです。
まー、これなんかも、生かさぬように殺さぬようにかもしれないけど。

◆鎖国のウソ
江戸時代と言えば、鎖国ですよね。
海外との交流を断ち、殻にこもってじっとしていた時代、それが鎖国。
その結果、日本は、世界から取り残されてしまった、それが鎖国。

しかし、これも、実は、間違いらしい。
そもそも、徳川幕府は鎖国なんてしていなかったとか。
うーん、なんか身も蓋もない話になってるぞ。。。

どういう事かと言うと、鎖国状態ではあったけど、鎖国はしていなかったんだとか。
うーん、ややこしい。。。

例えば、江戸時代は・・・

・長崎・・・徳川幕府が直接支配することで、海外との交易を独占していた。
・対馬・・・対馬藩を仲介して、幕府は朝鮮との交易を独占していた。
・薩摩・・・薩摩藩を仲介して、幕府は琉球王国や中国、朝鮮などとのアジアの国との交易を独占した。
・松前・・・松前藩を仲介して、幕府は蝦夷との交易を独占した。

といった感じで、海外交易の窓口は4つあった。
つまり、鎖国はしていない。
ただ、諸大名には海外交易が許されていなかったために、世間的には鎖国だったという話。
そして、徳川幕府は、これら4つの窓口を通して海外交易をしている。

何となく分かってきましたね。
つまり、徳川幕府が、海外交易の利益を独占するために鎖国をしたということ。
でも、「海外交易の利益を独占するため」に鎖国をしたということは、自分たちは鎖国をしていないってことじゃないですか。
この利益独占こそが、徳川幕府の目的だったんだとか。

ということは、幕末に徳川幕府が開国をしたという話あるけど、あれもウソなんだとか。
だって、徳川幕府はずーっと開国してたんだから。
まーね、外国の圧力に屈して港を開港したという点では、ある意味、開国に近いかもしれないけど。

例えば、ペリーの黒船来航の話。
この時、徳川幕府は、突然の黒船来航に驚いて、まともな対応ができなかったという風に言われている。
これもウソなんだとか。
黒船来航についても、徳川幕府は、オランダとのやり取りの中で、事前に知らされていたんだとか。
一応書くと、ウィキペディアによると、以下のように書かれてある。

「そこには、アメリカが日本との条約締結を求めており、そのために艦隊を派遣することが記載されており、中国周辺にあるアメリカ軍艦5隻と、アメリカから派遣される予定の4隻の艦名とともに、司令官がオーリックからペリーに代わったこと、また艦隊は陸戦用の兵士と兵器を搭載しているとの噂があるとも告げていた。出航は4月下旬以降になろうと言われているとも伝えた。」

◆士農工商のウソ
最後は、士農工商について。
江戸時代は、すべての日本国民が、士農工商という身分にカテゴライズされていたと習った。
ところが、これもウソらしい。
士農工商という身分制度は、中国の古い書物に書かれてあって、日本でも古い時代から使われていたそう。
但し、意味としては、文字通り「士農工商」ではなく、「あらゆる職業」といった感じなんだとか。

しかも、江戸時代は、士農工商の身分は世襲のように思われているけど、実際は、職業を変えるということはまーまーあったんだとか。
また、僕の記憶では、士農工商は、そのまま、

(上位) 士 ⇒ 農 ⇒ 工 ⇒ 商 (下位)

と習ったけど、これも、支配階級の「士」は別として、農・工・商に身分の上下はなかったらしい。

今回はこの辺で。

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