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鴨長明と太宰治
今回は、鴨長明と太宰治。
鴨長明と太宰治。
二人とも文学の天才。
そして、近いタイプの人間ではないか。
僕が、この二人のエピソードで思い出すことがある。
長明さんで言うと河合社禰宜事件。
長明さん、50歳前になった頃、和歌所寄人での働きを認められる。
そして、後鳥羽上皇から、河合神社の禰宜の推薦を受ける。
それをうわさで聞いて、長明さん、大喜び。
正式に推薦を受ける前から、もう泣いて喜ぶぐらいだった。
実は、長明さんの父・長継も、河合神社の禰宜から下鴨神社の正禰宜惣官に上り詰めていた。
ところが、当時、下鴨神社の正禰宜惣官だった鴨祐兼から横やりが入る。
・鴨長明の官位が低い。
・鴨長明は、下鴨神社の仕事をしていない。
・下鴨神社の正禰宜惣官として、私の意見は相当重たいものがある。
なんて言われた。
その結果、長明さん、河合神社の禰宜になり損なってしまう。
その後、長明さんは、和歌所寄人の職さえも捨てて、出家の道を選んでしまう。
一方の太宰治。
太宰治が文学の世界にデビューしたころ、芥川賞がちょうど始まった。
それで、太宰治は、第一回の芥川賞の候補となる。
ところが、太宰治は、芥川賞を受賞することはできなかった。
しかも、この時、審査員だった川端康成から、
「作者、目下の生活に厭な雲あり」
と、私生活の乱れを指摘されている。
長明さんにしても、太宰治にしても、仕事をしていないとか、私生活がたるんでいるとか、なんか同じようなところを指摘されているのが、個人的には面白いなーって思う。
ただ、こうして、二人とも、念願が叶うことはなかったけど。
あと、二人の共通点と言うと、生い立ちだろうか。
二人とも、名門の出身。
長明さんは、下鴨神社の正禰宜惣官を務めた鴨長継の子だった。
わずか7歳にして、従五位下の位をもらい、貴族の仲間入りをしている。
しかし、長明さん17歳の頃、父・長継が若くして亡くなると、長明さんの出世の道も一気にしぼんでしまう。
長明さんの、和歌、音楽、ものづくりの才能については、今までこのブログに書いたとおり。
一方の太宰治。
お父さんは、青森県の大地主だった津島源右衛門。
実業家、国会議員、銀行頭取など、様々な重要な役職を歴任している。
で、太宰治は、地元の学校を優秀な成績で卒業していき、最終的に東京帝国大学に入学している。
ただ、卒業はできなかったみたいだけど。
あと、太宰治のお父さんも、太宰治が14歳の頃に亡くなっている。
太宰治の文学の才能についても、もはやここで言う必要もないだろうか。
そういう見方をするからだろうけど、この二人、生い立ちが似ている。
分からないけど、右大臣実朝を書く際に、太宰治は、鴨長明のことを調べたと思う。
そして、鴨長明に対して、親近感があったのではないか。
鴨長明と太宰治。
鴨長明は激情型。
太宰治は破滅型。
だいたいこんな感じだろうか。
この二つの型は違う型どうし。
でも、似ている感じもする。
そもそも、鴨長明と太宰治は、どこか重なりを感じる。
だからこそ、太宰治は、右大臣実朝を書いたのではないのか。
この作品の中で、太宰治が言いたかったことを、鴨長明に託したこともあったように思う。
タイトルは源実朝。
でも、作品としては、源実朝と鴨長明の絡みというか、関係性というか、けん制し合うような感じを出したかったのかもしれない。
あくまでも、僕の独断と偏見だから。
もーね、適当に書いて、本当にごめんね。
ただ、この二人、大きな違いがある。
僕が、そう感じる部分がある。
それは「自殺」。
鴨長明は、自殺をしていない。
残した和歌を詠むと「死にたいー、死なせてくれー」なんていう和歌もあるみたいだけど。
多少の自殺願望みたいなのはあったと思う。
一方の太宰治は、本当に自殺してしまった。
いや、もしかしたら、死ぬつもりはなかったのかもしれない。
でも、死んでしまった。
当然、自殺に辿り着くまでには、色々な過程があったと思う。
それを、因果律的に解明するのは無理だろう。
それで、僕は、太宰治については、ほとんど知らない。
鴨長明については、少し知っている程度。
この程度の知識しかないけど、あえて、あえて書くなら、周囲の者たち存在が大きかったように思う。
長明さんだと、死にたいと思っても、その都度、止めてくれる人物がいた。
それは、太宰治も同じだったかもしれないけど。
しかし、長明さんには、師匠の中原有安、俊恵法師など、良き理解者がいたのは大きいと思う。
さらには、飛鳥井雅経、源家長、日野長親など。
もしかしたら、後鳥羽上皇もそうかもしれない。
長明さんのことを、何かと気にかけてくれる人物がいた。
しかも、長明さんの周りで、出家者が多かったことも都合が良かったかもしれない。
長明さんが尊敬する西行も、出家をしている。
長明さんのご先祖様である慶滋保胤も、出家をしている。
一方の太宰治の場合、薬物にはまったのがまずは大きな誤算だったか。
しかも、太宰治の場合、いつも女性問題がつきまとう。
そもそも、弱い男には、たいてい女の影があるもの。
僕が勝手にそう思っているだけだけど。
また、太宰治の場合、尊敬する芥川龍之介が自殺しているというのも影響したかもしれない。
これね、芥川龍之介が生きていて、「自殺するな」と言えば、ギリギリのところで思いとどまることもあったかもしれない。
なかったかもしれないけど。
まー、適当に書くけど、太宰治が出家の道を選べば、自殺するようなことはなかったかもしれない。
ていうか、僕は、出家の道を選んで欲しかった。
単純に、自殺だけはして欲しくないと思うから。
最後の作品の桜桃を読んでも、短い作品だけど、家族の状況だとか、自分の置かれた立場とか、冷静に見る目もあったと思う。
決して、家族のことを思っていなかったわけでもないように思う。
そして、冒頭の「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。」という文章。
僕は、種田山頭火の「分け入っても、分け入っても、青い山」を思い出す。
いつも迷っていたんだろう。
でも、やっぱり生き続けて欲しかったかなと思う。
今回はこの辺で。
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