方丈記に、似た運命

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四大種のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては

【原文】
四大種のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度にはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 

【訳】
四大種の中で、水、火、風は常に被害をもたらすが、地については特に異変を起こすことはない。昔、斉衡の時代に大地震が起きて、東大寺の大仏の頭の部分が落ちたというとんでもないことがあったが、それだって今回の地震の凄さには及ばない。地震の直後は、人々は世の無常についての話をし、少しは心の中の俗な部分も薄まったかのように見えたものの、月日が過ぎて何年も時間が経過すると、無常の話をするものは誰もいなかった。

【わがまま解釈】
今回は、元暦の地震の最終回。
このシリーズも長かった。
しかも、ムダに長いだけで、内容は薄い。
まー、僕が、テキトーに書いているだけだから、そのへんはあきらめて。

それで、今回は、四大種の話から始まる。
四大種。
何のことかさっぱり分からない。
これ、仏教で言うところの、この世の元となる四つの要素のことらしい。

具体的に言うと、地、水、火、風のことらしい。
それで、これら四大種は、常に被害をもたらすとある。
方丈記の五大災厄も、これら四大種が絡んでいる。

安元の大火 ⇒ 火
治承の竜巻 ⇒ 風
福原遷都  ⇒ なし
養和の飢饉 ⇒ 水
元暦の地震 ⇒ 地

安元の大火は、間違いなく「火」による災害だった。
方丈記には書かれていないけど、治承の大火も同じく「火」だった。
「火事と喧嘩は江戸の花」とか言うけど、平安京も同じだったに違いない。

治承の竜巻は、「風」による災害。
一見、竜巻ごときと思うかもしれない。
しかし、門が吹き飛ばされたとか、家どうしがぶつかってぺしゃんこに潰されたとか、その被害は大きかったとある。

福原遷都は、直接は、四大種は関係なしか。
あえて書くなら「人災」か。

養和の飢饉は、夏の日照りがメインだった。
しかし、秋には、台風(強風)、洪水が発生したとある。
特に、鴨川は、天井川で暴れ川として有名だった。
平安京は、いつも、水害との戦いだったように思う。
長明さんも、鴨川近くに引っ越しをした際に「水害が多くて困る」と書いている。

鴨川。
今でこそ、観光名所みたいな感じだけど、当時は、暴れ川として有名だったらしい。
この鴨川は、勾配がきつかったらしい。
だから、水が流れる時は、一気に流れ出した。

しかも、平安京を造る際には、周辺の山から大量の木材を調達している。
当然、地面が水を保持する力は弱くなる。
こういう事情もあって、平安京は水害に弱かったらしい。

さらに、池亭記なんかを読むと、面白いことが書かれてある。

朝廷には、堤防を建設したり、維持管理する部署があったらしいのね。
今でいう、国土交通省だろうか。
それで、担当部署のお役人が堤防を造るんだけど、翌日に堤防が壊れても、気にすることもなく壊れたまま放置している。
そして、川沿いの人たちは水害に遭うも、朝廷は、市民が田んぼを造ること以外の工事を禁止している。
これで水害がなくなるはずがない。

これが、本当なら、多分、本当だろうけどさ、「造って終わりか?」って言いたくなる。
つまり、鴨川は、もともと氾濫しやすい性格があったけど、付け加えると、堤防の管理がしっかりできていなかったことも、水害を防げなかった理由となる。
まー、平安時代の土木技術からすると、これが限界だったのかもしれないけど。

話を戻して、元暦の地震は「地」の災害。
巨大地震が起きた時の被害は、大火や竜巻なんかの比ではない。
しかも、地震だけは、注意のしようもないし、予知・予報することもできない。
やはり、地震の恐ろしさは別格ではないだろうか。

長明さんは、「斉衡の時代に大地震が起きて、東大寺の大仏の頭の部分が落ちた」という話をしている。
斉衡の時代というのは、854年-857年。
大仏の頭が落ちるなんて、コントの世界だけかと思っていたけどさ。

それで、東大寺のホームページには、次のように書かれてある。

「平安時代にも修理と造営は絶え間無く続けられているが、斉衡二年(855)の大地震によって落下した大仏の頭部は、真如法親王によって修復されたものの、失火や落雷などによって講堂や三面僧房、西塔などが焼失、南大門や大鐘楼も倒壊した。」

長明さんは、下鴨神社の人間として、一般常識としてこの事実を知っていたんだろう。

あるいは、和歌の師匠だった俊恵法師から聞いたのかもしれない。
というのも、俊恵法師は、東大寺の僧侶だった。
しかも、俊恵法師も長明さんと同じで、17歳の頃に父を亡くしている。
その後、俊恵法師は僧侶となり、和歌にも精通していたらしい。
俊恵法師と長明さん、40歳近く離れているけど、俊恵法師は長明さんのことを我が子(孫)同然に可愛がったのではないだろうか。

それで、今回の最後の文章。
地震の直後は、人々は、無常を意識していたとある。
しかし、月日が流れるにつれて、地震の話をする人はいなくなった。

まー、だいたいこんなもんだろうか。
大災害の直後は、どうしてもそのインパクトが強いから、無常が付きまとうようになる。
ところが、月日が経つにつれてそのインパクトは消えていく。
そして、誰も「無常」を意識することはない。
「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」みたいなものだろうか。

ここからは雑談。

神戸の冬のお祭りに「神戸ルミナリエ」というのがある。
関西圏の人なら知っている人も多いと思う。
イルミネーションで街を彩る光の祭典。
楽しい冬のイベント。
それで、多くの若者が、これを見にきて楽しんでいる。

でもね、本当は、これ、阪神・淡路大震災で亡くなった方への鎮魂の意味が込められている。
つまり、亡き人を偲び、その方の霊を鎮めるということ。
例えが下手くそかもしれないけど、精霊流し。
だから、本来は、しめやかに行われるべきイベントなわけ。

ちなみに、この精霊流し。
何も知らない人は、歌のイメージがあるせいか、精霊流しをしめやかで、どこかもの悲しいイベントだと思っている。
実際、僕も、そう思っていた。
でも、これ、違うらしい。
鐘は鳴らすし、爆竹は鳴らすし、けんかもありーので、長崎が一年で一番熱くなる日らしいのね。
それで、県外の旅行客が精霊流しを見て「さだまさしにだまされた!」って言うとか言わないとか。

だいぶ話がずれたけど、要は、変わらないものはないということね。
少しずつ変わっていたり、薄れていったり、忘れていったりするのね。

今回はこの辺で。

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