方丈記に、似た運命

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足利尊氏①~歌人としても有名

日本史、再評価。
今回は、足利尊氏。

知名度的には十分。
日本史の教科書には、必ず出てくる人物。
しかし、何をしたかについては、あまりよく知られていない人。
実は、この方、室町幕府の初代将軍。
だから、すごーい人。

ところが・・・
鎌倉幕府といえば ⇒ 源頼朝
江戸幕府と言えば ⇒ 徳川家康

と、まー、すぐに言えるのに・・・
「室町幕府と言えば?」と聞くと、多くの人は「あれっ?誰だっけ?」となる。
頼朝や家康と比較すると、少し、残念な人。

正直、僕も、教科書レベルの話しか知らなかった。
ところが、これを書くにあたって、足利尊氏を調べてみると、とても面白いことが分かった。
ていうか、この方、こういう書き方もあれだけど、頭おかしい。
頭おかしいと言っても、別に、差別するつもりはないから。
文章の勢いで書いているだけだから。

この足利尊氏、当時の資料には、
・戦が不利になるとすぐに「もう、俺、死ぬわ」と言って腹を切ろうとする。
・後醍醐天皇に背いてしまったときは、「もう、俺、ダメかも」とものすごーく落ち込む。
・なにか問題が起こると、現実逃避の癖が出てきて、すぐに出家しようとする。
・戦で功績があった者に、すぐに褒美を取らせる。
 で、後になって、複数の者に同じ褒美を与えていることが分かる。
・弓矢で攻撃を受けている際、自分に矢が当たると思っていない。
 しかも、なぜか、うす笑いでいたとか。

なんてことが書かれてある。
うーん、なんかこの人、おかしい。

ウィキペディアには、「心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。(梅松論)」などと書かれてある。
合戦の最中に笑みを浮かべるって、不気味すぎる。。。

話がそれるけど、昔、阪神にいたピッチャーで湯船敏郎を思い出す。
僕は、けっこう好きだった。
ノーヒットノーランもしている。
ただ、このピッチャー、ポーカーフェイスなんて言われていたけど、正直、いつも半笑いだった。
だから、ノーアウト満塁の大ピンチでも、なぜか半笑い。
正直、不気味だった。。。

話を戻します。

ここまで書くと、足利尊氏というのは、室町幕府を開いたけど、頭はおかしかったとなる。
でも、尊氏には、別の顔があった。
それは、歌人ということ。

足利尊氏は、武士だった。
そして、歌人でもあった。
しかも、歌人としての評価も高かった。
うーん、なんか意外な感じがしない?
戦だけに生きた人ではなかったんですね。
良いように言えば、文武両道か。

そもそも歌人なんて、
「その瞬間その瞬間の揺れ動く心を表現したい人種」
だと、僕は思っている。
案外、足利尊氏にも、こういう揺れ動く心を和歌で表現したいという思いがあったのかもしれない。
もしかして、これってロック?
足利尊氏ってロックな奴なのか?

それで、せっかくなので、足利尊氏が詠んだ和歌を紹介すると・・・

「今むかふ 方はあかしの 浦ながら まだはれやらぬ 我が思ひかな」

意味としては、次のような感じ。

戦に敗れてこれから九州に逃げるために、まずは、明石に向かわなければならない。
それにしても、いまだ自分の心は全く晴れない。

一応書くと、この和歌を詠んだ当時、足利尊氏は、後醍醐天皇に反旗を翻していた。
そして、後醍醐天皇方の新田義貞を打ち破り、都に攻め上っていた。
ところが、ここで、後醍醐天皇方の若き勇将・北畠顕家が奥州から攻めてくる。
一旦は敗れた新田義貞も勢力を盛り返し、楠木正成も攻めてくる。
で、足利尊氏は、摂津国(今の兵庫県、大阪府)で決戦に及ぶも大敗をする。
そして、明石(兵庫県明石市)から船に乗って室津(兵庫県たつの市)を経由して、九州に落ち延びる。
その際に、読んだ和歌なのね。

これ、勝手な僕の想像。
明石、室津というのは、昔から知られた有名な土地だった。
明石は紫式部の源氏物語にも出てくるし、鴨長明の明石を訪れて、そこで和歌を詠んでいる。

また、室津は、昔から天然の良港として有名だった。
そして、源平の戦いでは、都を追われた平家が反撃に出て、水島・室山と源氏を破ったことでも有名な戦地だった。
江戸時代は、日本屈指の宿場町として栄えたみたいだけど、今ではそんな面影もない。

で、もしかしたら、足利尊氏もそういった歴史を知っていたのかもしれない。
そして、じゃあ、ちょっと自分も読んでみるか、と思ったかもしれない。
なんてことを思うと、ちょっとした歴史のロマンを感じるわけですね。
ん?僕だけか?

で、ついでに、もう一つだけ紹介すると・・・

「うたたねも 月には惜しき 夜半なれば 中々秋は 夢ぞみじかき」

意味としては、次のような感じ。

ちょっとうたた寝をしたいけれど、そうすると月を眺めることもできなくなるが、考えてみると、秋の夜長などというくせに、秋に見る夢は短いなー。

秋というのは、月が美しい時期ですよね。
尊氏も、秋の月を見ながら、ごろんとうたた寝をすることがあったのでしょう。
しかし、完全に眠ってしまったら月を見ることはできない。
それで、月を見ながら、ちょっと横になる程度の眠りしかできなかったのでしょう。
すると、ちゃんと眠れていないので、夢を見ることもなくなる。
これを尊氏は「秋の夜長と言うくせに、月が美しいので、寝ていても夢を見るほどの時間も眠ることができない」と言っているんですね、多分。。。

いやー、尊氏って、こんな和歌が読める人だったんですね。
なんか見直しますねー。
実に、いいなーって思いませんか?

月を見たいと思う気持ちと、眠りたいと思う気持ちが、上手にミックスしているというか。
しかも、月の美しさに、ちょっと月の罪作りを恨めしく思う気持ちとか。
とにかく、そんなのが上手に出ていると思いませんか?

これなら、十分、歌人としても活躍できますよ。
しかも、足利尊氏って、楽器も上手だったらしいのね。
さらには、画の才能もあったとか。

僕は、勝手なイメージだけど、足利尊氏って、後醍醐天皇に反旗を翻して、戦ばっかりしているイメージしかなかった。
三国志で言うと、張飛みたいなところ。
頭は悪いけど、戦には強いみたいな。
いや、本当の張飛は、それなりに頭も良かったと思うけど。
「張飛=バカ」は、横山三国志の影響ですね(笑)

ところが、こうやって調べてみると、尊氏が立体的に浮かび上がる。
そして、武人という枠だけでは、収まらない人物だとよく分かる。
何て言うのか、教科書だけだと遠い存在なのが、こうして色々と分かると、身近な存在に感じられる。

今回はこの辺で。

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