方丈記に、似た運命

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平家一門の黄昏①

今回は、平家一門の黄昏というタイトルで、都落ちした平家一門がどのようにして滅んだかを見てみようと思います。

二回シリーズの予定です。

教科書レベルだと、平家一門の滅亡は、けっこうあっさりと書かれてある。
まーね、教科者だから仕方ない。
日本史の教科書でも、多分、二・三行ぐらいの記述しかないんじゃない?
古典の教科書だと、平家物語を読んだりするだろうけど、冒頭の文章を少し読んだり、あとは、那須与一の活躍を読んだりぐらいか。

すっごく簡単に書くと、

都落ち → 西国に逃亡 → 壇ノ浦の戦いで滅亡

という感じ。
相撲で言えば、電車道で一方的に押し出されて負けみたいなね。。。

ただ、平家物語によると、どうやらそうでもないっぽいのね。
都落ちしてからも源氏を打ち負かしてもいるし、何よりも最後まで戦っている。
平家一門は、武家のくせに貴族化したから滅亡したと言われるけど、やはり、平家は武家だったと思う。

で、ここからは、平家一門が、都落ちしてから滅亡するまでの流れは見ていく。
一応、ベースは平家物語で、たまーに玉葉。
それで、僕も、正直、このあたりの時代は詳しくなくて、平家一門は、都落ちした後、西へ西へと追い詰められて滅亡したと思っていた。
ところが、これが、最初の間違いだったのね。

まず、平家が都落ちする原因となったのが、北陸道での敗北。
1183年6月、養和の大飢饉の頃。
平家一門は、食糧確保と北陸平定のために北陸道に向かう。
ところが、ここで、平家一門は、源氏方の木曽義仲の軍に大敗をしてしまう。

当時の平家のトップは平宗盛だった。
で、平宗盛、木曽義仲を防ぐことはできないと判断すると、平安京を放棄して西へと向かう。
向かった先は、九州の大宰府。

ということは、平家一門は、西へ西へと追い詰められたんじゃなくて、最初っから、九州を目指して逃げているわけ。
もちろん、最終的には西へ西へと追い詰められるんだけど。
でもね、平家一門って伊勢国(今の三重県)が本拠地。
なぜって思うんだけど、実は、この大宰府、平清盛がつくった港町で、平家恩顧の豪族がとても多かったとか。
平宗盛としては、一旦、九州に逃れて、そこからもう一度都に攻め上ろうと思ったのかもしれない。
テキトーに書いたけど。

ただ、平宗盛って、父・清盛ほどの人物ではなかったらしい。
まー、宗盛からしたら、清盛と比較されて嫌だったと思うけど。

で、この都落ちに際して、平宗盛は、いくつかの大失敗を犯してしまう。
それは、安徳天皇、後白河法皇、三種の神器と一緒に都落ちする予定だったのが、後白河法皇を連れ出すことに失敗したという事実。
三種の神器というのは、簡単に書くと、鏡、剣、玉。
で、天皇の即位には、この3つが必要で、これがないと天皇とは認められないという大切なもの。

で、天皇と上皇(正確には法皇だけど)、三種の神器の3点セット。
これがあれば、平家一門は、自分たちが官軍であるということを主張できる切り札だったのね。

ところが、後白河法皇は、平家一門が木曽義仲に敗れると、さっさと都から逃げ出してしまう。
で、宗盛、慌てて後白河法皇を捕まえようとするも、すでに比叡山に逃げてしまっていて無理だった。
このあたりは、詰めが甘かったのかもしれない。

しかも、宗盛は、叔父である平頼盛に都の警備をお願いしていた。
にもかかわらず、都落ちに際して、平頼盛にそのことを知らせていなかった(らしい)。
で、平頼盛の一族は、都に取り残されてしまう。
で、平頼盛は「自分たちを見捨てるつもりか?」と問い詰めるも、宗盛は、ロクな返事もできなかったとか。

また、都落ちに際しては、平頼盛だけでなく、全ての平家一門を率いることが大前提だったけど、小松家と称された平重盛の一族も見捨てられている。

分からないけど、宗盛って、平家一門が木曽義仲に敗れて、明日にも、その木曽義仲が都に攻め込んでくるという状況で、とにかく動揺していたのかもしれない。
ひと言で言うと、危機管理能力がなかったのかもしれない。
まー、僕も、無責任にテキトーに書いているだけなんだけど。

結局、後白河法皇を取り逃がし、一部の有力一門が離脱する中、平宗盛は、都に火をかけると大宰府に落ち延びる。
ところが、ここでも、予想外の展開が平家一門を襲うのね。
身も蓋もないことだけど、平家一門に味方する者が、誰もいなかった。
それどころか、取り逃がした後白河法皇が、全国に平家追討の命令を出したために、九州でも、平家一門を攻撃しようとするものが出てきたわけ。
後白河法皇を取り逃がしたツケが、こうやって後から効いてくるんですよ。

それで、平家一門は、大宰府をあきらめて、再び、船に乗る。
平家物語なんかだと、平家一門は、九州を出る前に神社に参拝して「安徳天皇が旧都に戻ることができますように」とお祈りをしたとか。
で、九州を出発した日、その日は雨だった。
平家一門の人々は、「自分の服が濡れているのは、雨のせいか、涙のせいか」と、そんなことを思いながら、船に乗り込んだと伝わる。

まー、このあたりは、平家一門の悲哀を感じる。
陸にも上がれず、瀬戸内海を船で漂う毎日。
当時の誰かの記録には、食べ物があっても水がないので料理ができないといった記載があるようで、平家一門は、まともな食事もできなかったみたいなのね。
このまま、平家は滅びるのか。。。

と思っていたところ、ここで、平家に味方する者が出てくる。
それは、田口成良という豪族。
この方、阿波水軍の当主であり、もともと平清盛に仕えていた者だった。
そして、阿波国(今の徳島県)と讃岐国(今の香川県)を支配しており、かなりの軍事力を有していた。
伊予国(今の愛媛県)で反平家の動きがあると、それを鎮圧するなど、平家恩顧の豪族だった。

で、平家一門は、阿波水軍の協力を受けて、屋島を本拠地とする。
安徳天皇のための内裏もつくる。

このあたり、平家物語によると、
・安徳天皇をはじめ平家一門を、そのへんの民家に住まわせることもできず、家が完成するまでは船で生活をした。
・波の音がうるさかったり、また、波の音が敵襲にも聞こえて、まったくねむることができなかった。

といったことが、書かれてある。

まー、とりあえずだけど、平家一門は、落ち着く先を手に入れたわけですね。
ところが、そんな平家一門に、再び、滅亡の危機がやってくる。
それは・・・

木曽義仲の備中国(今の岡山県)の進出。

木曽義仲と言えば、前回の戦いで大敗をした相手であり、平家一門が都落ちするきっかけを作った人物。
木曽義仲、平家一門が都を去った後に都に入るも、そのことで、かえって都の治安が悪化したとか。
しかも、後白河法皇と仲たがいをしてしまい、「平家を滅ぼさない限り許さぬ」なんて言われてしまう。
だから、木曽義仲としても、相当の覚悟で平家との戦いに臨んでいた。

で、木曽義仲がいる備中国(今の岡山県)と、平家一門がいる屋島(今の香川県)。
一見、海をはさんで遠いようには見える。
でも、距離としては、近い。
今でも、瀬戸大橋を渡れば、岡山と香川なんて、すぐそこの感覚。

分からないけど、「木曽義仲がきたっ!」て聞いて、平家一門は、ビビったと思うのね。
なんせ、北陸での戦いでは、ボロボロに負けた相手だし。
口には出さないまでも、平家滅亡の文字が浮かんだ者もいるんじゃないの。

で、平家一門は、平知盛(平清盛の四男)、平重衡(平清盛の五男)を総大将にして、木曽義仲を迎撃する準備を整える。
そして、水島の戦いが起きる。

今回はこの辺で。

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