方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


アドラー心理学①

今回は、アドラー心理学について書きます。
一応書くと、僕の独断と偏見です。

最近、アドラー心理学の人気が高いんだとか。
正直、僕は、アドラー心理学を知らなかった。
聞いたことはあったけど。
ひと昔前だと、フロイト、ユングは知っていてもアドラーを知っている人はいなかったと思う。

アドラー心理学を有名にしたのは、嫌われる勇気という本。
一時期は、テレビドラマでもアドラー心理学をしていた。
僕はそのドラマを見ていないけど。
ちなみに100分で名著のアドラー心理学は見ている。

それで、この本が発売されて以降、アドラー式というのが流行している。
何となく、アドラー心理学が食いものにされている感がないこともないけど。

今回、爆発的にヒットしているアドラー心理学について、以下のポイントから書いてみた。
繰り返すけど、本当に、僕の独断と偏見なので。

●嫌われる勇気
●課題の分離
●共同体感覚
●目的論

●嫌われる勇気
嫌われる勇気。
これは、岸見一郎さんと古賀史健さんが書いた本。
この本、とにかく爆発的にヒットした。
実は、僕もこの本を買った。
ついでに言うと、次に出された「幸せになる勇気」も買った。

それで、この本に対する僕の感想。
初めて読んだ時は、衝撃を受けた。
インパクト大だった。
「アドラー、半端ねー」と思った。
今でも、良いこと書いているなーって思う。

ただ、最初に読んだ時って、きちんと読めていなかったりする。
それで、時間が経った今、改めて読んでみた。
すると、衝撃の中で読んでいたと頃と比べて、地に足が着いている分だけ、少しはきちんと読めるようになった。
やはり、ブームにの乗っかって読むのは良くないね。
そして、色々と思うことが出てきた。

まずは、「嫌われる勇気」という本のタイトル。
いやー、これで目つぶしにかかった人って多いと思う。
僕もそうだった。
それで、パッとタイトルを見て、ささっと読んで、「うわー、嫌われてもいいんだー」という感じになると、アドラー心理学からは遠ざかってしまうのだろう。

本のタイトルや構成については、古賀史健さんの意向が強いと聞いた。
古賀史健さん、有名なライターらしい。
僕は知らなかったけど。
つまり、立場的に言うと、少しでもこの本を知らしめて、商業的に成功させたいというのもあったと思うのね。
それで、実際に、大成功を収めた。
しかも、この本のおかげで、誰もがアドラーを知ることができた。
とても良いことだと思う。

ただ、今、僕が思うのは、嫌われる勇気を知っている人は多いだろう。
しかし、今でも読んでいる人は少ないのではないか。
あるいは、アドラー心理学を知っている人、あるいは、アドラー心理学を実践している人は、とても少ないと思う。

僕が、残念に思うのは、嫌われる勇気は、商業的だとかアドラーの名前を広めることは成功したと思うけど、アドラー心理学を広めるという点では、失敗したのではないかということ。
つまり、アドラー心理学が一過性のブームで終わったこと。
例えば、この本の中には、課題の分離、承認欲求、目的論といったフレーズが出てくる。
そして、ほとんどの人は、もう忘れてしまっていると思う。

正直、僕も、忘れた。
で、これを書くために、改めて読んで内容を再確認している。

嫌われる勇気だけど、タイトルだけでなく、中身もインパクト大なのね。
例えば、本の中に「自由とは、他者から嫌われることである」という衝撃的な文章がある、
確かに、本の中の文脈としては正しいように思ってしまう。
しかし、理屈は正しくても、この本の中では正しくても、これを正しいと言えるのか。
なかなか、これは難しいように思う。

また、さらに読んでいくと、「人は、今、この瞬間から幸せになることができる」という文章がある。
そうかもしれない。
でも、信用できない。
こんなこと言うのって、怪しい宗教家ぐらいじゃないのか。

例えば、何回も禁煙を失敗している人がいる。
そして、その人に「あなたはいま、この瞬間から禁煙をすることができる」と言ったところで、いざ本当に禁煙できる人って、ほとんどいない。
これと似たようなものではないのか。

また、この本の中には、各章の中に小さなタイトルがあるんだけど、これがまた秀逸。
たとえば・・・

・トラウマは、存在しない
・叱ってはいけない、褒めてはいけない
・承認欲求を否定する

といったタイトルがあるんだけど、一瞬、「えっ!」となる。
というのも、一般論を否定しているから。
ところが、本を読んでいくと、「なるほど、実は、これが正しかったのか!」と思ってしまう。
で、自分は逆のことをしていたと目からうろこになる。

それで、この本は、こういった部分が強調されているけど、実際、アドラー心理学はこういうのではないんだとか。
あくまでも、この本の中での物語としてのお話。
僕も、岸見一郎さんのアドラー心理学入門という本を読んでみたけど、こちらはまーまーお堅い本だった。
当然、物語性はない。
アドラー心理学の解説書となる本らしいけど、正直、これでは売れないだろうなって思ったけど。

次に、僕が感じたのは、哲学・宗教の強さ。
これについては、岸見一郎さんがギリシャ哲学の専門家であることが、影響しているのだろう。
また、古賀史健さんは、自分が求めていたものは、「アドラー心理学」ではなく「岸見アドラー心理学」だったと書いている。
つまり、ギリシャ哲学の専門家である岸見一郎さんのフィルターを通した本にしたかったということだろう。

古賀史健さん、岸見一郎さんがソクラテスなら、自分はプラトンだと書いている。
実際、嫌われる勇気も、ソクラテスとプラトンのような対話形式で話が進んでいる。
それで、本の中では、若者が老人に対して持論をぶつけるんだけど、全て論破されてしまう。
まさに、古代のアテネで、ソクラテスが若者たちと議論をしたという、あの話を思い出させるスタイル。

この本だけど、大ヒットした反動のせいか批判も多いと聞く。
アドラー心理学からはずれているとか。
こんなことアドラーは言っていないとか。
当然、読む人が多くなれば、色々と意見はあるかもしれない。

でも、やはり、アドラー心理学としての読み物としては面白いと思う。
言うなれば、これは、横山光輝の三国志なのだ。
横山光輝の三国志って、史実からは外れているし、諸葛孔明の活躍ぶりがすごかったりしているけど、面白いでしょ?
僕なんか、横山光輝の三国志、今でも好きだから。
でもね、だからといって、正史の三国志を読む気にはなれない。
正史の三国志には事実だけが書かれてあって、物語性はゼロ。

嫌われる勇気の良いところは、大衆向けに誰でも読めるようにしたところだと思う。
まー、一部、表現に問題はあるかもしれないけど。

今回はこの辺で。

次のページ>>アドラー心理学②
前のページ>>フロイト心理学②

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう