方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


フロイト心理学②

前回からの続き。

●科学的アプローチ
僕の勝手なイメージもかもしれないけど、フロイト心理学は、一番科学的のように思う。
こんなことを書くと「フロイトは、全然科学的じゃない」という人もいるかもしれないけど。
まー、僕も深くフロイトを知っているわけでもなく、サラッと調べただけの印象だから。
少なくとも、ユングやアドラーと比べると、科学者だったと思うし、少なくともフロイト心理学は科学的アプローチにこだわった点では、ユング心理学、アドラー心理学とは少し違うような気がする。

ただ、当時から、フロイト心理学に対する批判はあったらしい。
しかし、深層心理学と言われるものは、つねに批判にさらされているので珍しくもないかもしれない。
ユングやアドラーの心理学も批判されている。

フロイトの研究は、科学者としての立場からスタートしたらしい。
ちなみに、ウィーン大学は、オーストリアにある名門校で歴史は古くて1365年に創立されている。
フロイトは、ウィーン大学に入学して、初めの頃は物理を学んでいる。
その後は、カエルやウナギの脊髄神経について研究をしている。

分からないけど、フロイトは、大学時代に科学の大切さを学んだのではないだろうか。
因果律で説明できて、証明ができることの大切さを学んだように思う。
フロイトの心理学は、科学の延長線上にあったように思うけど。

ちなみに、フロイトとアドラーを比較すると、考え方が全く異なる。
フロイトは、因果律を重視しており、徹底的に心を調べた。
例えば、患者さんが何か心に傷を負っている。
フロイトは、心理学的技法を用いて、それがなぜかを考えた。
患者さんの心を分析し、何が原因かを丁寧に研究した。

この患者さんに出ている症状の原因はこれで、それはこれが原因だろうと。
そして、こういう場面、こういう状況に遭遇すると、ふだんは抑圧されて無意識の層に閉じ込められている、原因となる出来事などが心の中に浮かび上がってきてこういう症状が出てくるのだろうと。
こうやって、もつれた糸を解きほぐして一本の糸を取り出すように、丁寧に研究をしたのではないか。

ただ、僕が思うに、人の心は複雑であって、これはとても難しい作業だったと思う。
そもそも科学って、そんなに万能でなかったりする。
僕にも経験があるけど、ふつうに化学の実験を繰り返しても、同じ結果が得られないことがある。
ちゃんと実験をしているのに、なぜかうまくいかない場合もあるのね。
フロイトも、研究を重ねていく中で、異なる結果が出たり、矛盾する結果が出て、苦しむことも多かったのではないか。

それで、一方のアドラー。
因果律を重視しなかったらしい。
その代わりに目的論による心理学を目指したとか。
過去を振り返る時間があったら、前を見て進みましょうよといったところか。

どんなに過去にこだわったところで、過去を変えることはできない。
しかし、これからの自分次第で、未来は変えることができる。
それなら、自分の生きる目的を設定して、それに向かって建設的に進みましょうと。

それで、フロイトとアドラーは、トラウマの扱いで大きく異なる。
トラウマというのは、日本語では心的外傷といわれる。
いわゆる、過去に負った決定的な心の傷のこと。
だから、ストレスとは少し違う。

フロイトは、因果律を重視するのでトラウマ肯定派。
アドラーは、目的論を重視するのでトラウマ否定派。

今では、トラウマはあると認められている。
別に、アドラー心理学でトラウマが否定されていても、それで心の健全性が保たれるなら良いようにも思うけど。
ただ、患者さんが、「私には、過去にこういうつらい経験がありました」と勇気を出して告白する。
それに対して、「うちはトラウマとか関係ないんで。で、あなたはこれからどうしたいですか?」と返すのなら、それは違うだろって思うけどね。

次に、フロイトとユングの場合。
二人とも、無意識について研究をしていた。
特に、夢分析については、お互いとても興味があった。
さすがは、師弟関係といったところか。
ちなみに、フロイトが師匠、ユングが弟子の関係となる。

ところが、この無意識を巡って、二人は対立をしてしまう。
フロイトは、無意識について、あくまでも因果律での解明を目指した。
患者さんの話を丁寧に聞いていけば、その症状の原因となる出来事があると考えた。
夢にしても同じで、必ず、その夢を見るに至った原因や経緯があると考えていた。
その人にとって、全く無関係の内容である夢を見ることはないと。
ちなみに、フロイトは、この夢については、性的な願望の表れであると論じている。

ところが、ユングは、無意識や夢というのは、個人的なものではないと言い出した。
ましてや、性的なものに限定されるものでもないと。
ユングも、初めの頃は、師匠であるフロイトの無意識論を正しいと思っていた。
ところが、色々と患者さんを診ていく中で、フロイトの無意識論では説明がつかないことが出てきたんだとか。

ちなみに、ユングは、フロイトの無意識を全否定しているのではないらしい。
無意識が性的なものに限定されるかどうかは抜きにして、個人的無意識は認めている。
ところが、ユングは、「無意識には、個人的無意識と集合的無意識がある」と言い出したから、フロイトは「おいおい、私は、そんなことは言ってないぞ」と怒り出した。

このあたりは、どこかで書いたけど、集合的無意識というのは、みんなに共通するような無意識のこと。

あるとき、一人の患者がユングに話をした。
ところが、その患者さんは、太陽を見ながら頭を左右に振りながら、話をしたらしい。
で、ユングは、「なぜ、そんなことをするんですか?」と問いかけた。
すると、その患者さん、次のように答えた。

「太陽からちんちんがぶら下がっていて、頭を左右に動かすとそのちんちんも同じように動いて風が吹くんです」

うーん、全く話が分からない。
ていうか、ちんちんがどこから出てきたってなる。

これ、フロイトだと、無意識の内に性的衝動が表れているとなるんだろうけど、ユングはここで考えた。
「性的衝動?ないない」
で、色々と調べたら、古いギリシャ語で書かれた経典に同じような話があったらしい。
で、ユングは、「これだ!」と思った。

しかも、こういうことが他にもあったんだとか。
それで、ユングは、「なぜ、こういうことが起きるのか?」を考えた。
そして、導き出された答えが、人間は、個人的無意識もあるけど、そのさらに下に集合的無意識というのがあって、自分の経験に基づかない無意識は、集合的無意識によるものではないかと考えた。
先天的かは分からないけど、どこかで集合的無意識が刷り込まれているのではないかと。

ユング自身も、精神的にきつかった時に、意味もなく円を描く習慣があったらしいけど、後に、仏教の曼陀羅の絵を見て「自分が書きたかったのはこれだ」と思ったらしい。
もちろん、ユングは、曼陀羅なんて知らなかった。
これも、フロイト的に理解するなら「これは女性器を表していて、まさに性的衝動である」となるんだろうけど。

つまり、ユングは、人間の無意識は、自分も分からないところで、他の何かと繋がっていると考えたのね。
それこそが集合的無意識とよばれる領域となるみたい。

ただ、この集合的無意識って、科学的に証明することができない。
後に、ユングは、共時性原理という因果律によらない原理を提唱するけど、当然、これも科学的に証明することはできない。
個人的には、共時性原理は面白いと思っているけど。
とにかく、ユングの理論は、どこか科学的でないものが多いように思う。

アドラーも、共同体感覚とか何だかよく分からない話をしている。
そもそも、アドラーの場合、いわゆる自然科学のような分析のイメージがない。
アドラー自身は、自分の心理学は科学だと言っているらしいけど。

それに対して、フロイトは、科学的に(あるいは自然科学のように)心を研究したように思う。
少なくとも、集合的無意識、共時性原理、共同体感覚とか、科学から外れるような主張はしていない(と思う)。
それで、科学とか因果律に縛られて、融通が利かなかった部分もあると思うけど、それでも、心を科学的に解明しようという努力はすごいなーと思う。

今回はこの辺で。

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