方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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すべて、世の人の住みかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。

【原文】
すべて、世の人の住みかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子、眷属のためにつくり、或は親昵、朋友のためにつくる。或は主君、師匠、および財宝、牛馬のためにさへ、これをつくる。
われ、今、身のためにむすべり。人のためにつくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。たとひ、広くつくれりとも、誰を宿し、誰をか据ゑん。

【訳】
一般的に言えば、私たちが家を建てるというのは、必ずしも必要に応じて行うのではない。例えば、妻子のためであったり、親族のためだったり、家を出入りする者だったり、友達のためだったりする。あるいは、主君であったり、師匠であったり、財宝や牛馬のためだったりする。

私は、今、自分のためだけに家を作った。決して、誰かのために作ったわけではない。それがなぜかと言えば、今の世の中の状況と私自身の状況から、ともに住む者もいないし、頼りとする者もいない。もし仮に、大きな家を作ったとして、誰を泊まらせて誰を住まわせるというのか。

【わがまま解釈】
方丈記の後半は、方丈の庵の話が続く。

・方丈の庵がどんなものであるか
・そこから見える景色はどうか
・どんな生活をしているか
・方丈の庵を建てた理由

とか、こういった話がずーっと続く。

前回(前回まで)、都会で家を建てても、火事に遭えば一瞬にして家は焼け落ちる。
ただでさえ都は、何度も大火に見舞われている。
だから、ひっそりとした山里に方丈の庵を構えたとあった。
この方丈の庵こそが、一番安全だと。

で、今回は、そもそも、私たちが家を建てる理由について書いている。
なぜ、家を建てる必要があるのか。
長明さん、私たちが家を建てるのは、「事のためにせず」と書いている。
僕は、この部分を「必要に応じて家を建てるわけではない」と訳した。

本来、家を建てるというのは、家が必要だから建てる。
これ以外に理由はない。
ところが、実際に、家を建てようとすると余計な要素が入ってくる。

妻や子どものため。
親族のため。
従者や家を出入りする者のため。
友達のため。
さらにはもっと範囲が広がって、主君や師匠のため。
最終的に、財宝や牛馬のため。

まー、妻や子どものために家を建てるというのは、全然おかしくはない。
家族が増えれば、ある程度の広さはあった方が良い。
ただ、従者や家を出入りする者のために、家を建てることはどうなのか。
ましてや、友達のために家を建てるというのは。。。
さらには、もっと範囲が広がって、主君や師匠のために家を建てるとなると、もう誰のための家なのか分からなくなる。
しかも、果ては、財宝や牛馬のためって。

正直、ここまでくるとコメントが思いつかない。
ていうか、ここまでくると、金持ちの道楽じゃないの?
たまに自分の趣味に没頭したあまり、いくつの部屋が趣味の作品の置き場みたいな感じになっている家がある。
あ―いうのを思い浮かべるけど。。。

本来、家を建てるだけであれば、そんなに考慮する要素はないはず。
しかし、平安時代のような貴族社会で勝ち残るためには、そこまでしないといけなかったのだろう。
そんなことを考えると、今の世の中もたいがい生き苦しいと思うけど、平安時代も生き苦しい時代だったのかもしれないと思う。
実際、どうかは分からないけど。。。

長明さん、方丈の庵を自分のためだけに作ったとある。
誰のためでなく自分のためだけに家を作ったと。
ある意味、これだって贅沢なことだと思うけど。。。

話が飛ぶけど、浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」

と言ったらしい。

僕は、浄土真宗にも古典にも詳しくはないけど、意味としては、

「阿弥陀仏の願いは、ただ、この親鸞一人を救うことだけが願いなのだ」

ということなんだとか。
いや、間違っていたらごめんなさい。
まー、僕は、このように理解したので。

で、これなんかは、長明さんの「この家は、自分のためだけの家なんだ」というのと同じような気がするのね。
全く一緒にしてはいけないかもしれないけど、近いものはあるんじゃないかな。

長明さんは、「今の世のならひ、この身のありさま」と書いている。
この世の中は、方丈記の前半にあったように、何が起きるか分からない。
世の中は変化していて、信じられない出来事が起きることもある。
大きな立派な家を作っても、それがずーっと残る保障はどこにもない。

そして、この身のありさま。
長明さんは、仏門に入り、仏道修行に励む身。
実際はともかく、そういう体になっている。

しかも、一緒に住む者もいない。
頼りとする者もいない。

実際には、お世話をしてくれる人はいたと聞く。
前回か、前々回かにでてきた山守とその子どもがそうだろう。
また、法界寺の者たちもそうだっただろう。
長明さん、一人ではなかった。
ただ、身体を完全にもたれかけられるような者はいなかったのだろう。

最後の「たとひ、広くつくれりとも、誰を宿し、誰をか据ゑん」の部分。
反語という技法か。
僕は、「もし仮に、大きな家を作ったとして、誰を泊まらせて誰を住まわせるというのか」という風に訳した。
古典の授業だと「もし仮に、大きな家を作ったとして、誰を泊まらせて誰を住まわせるというのか。いや誰もいない」という風になるかと思う。
つまり、誰も一緒に住む人がいない以上、大きな家を作っても意味がないというわけね。
そして、方丈の庵に関するお話は、これで終わりになる。

長明さん、なぜ、方丈の庵を建てたのか。
ここでは、今の世の中や自分の状況からして、大きな家はいらないとある。
方丈記の最後では、維摩居士を真似して、方丈の庵を建てたとある。
そして、方丈記には書かれていないけど、慶滋保胤の影響を受けたからではないかとも言われる。

正直、どれが答えかは分からない。
もしかしたら、これら以外に答えはあるのかもしれない。

ただ、「縁欠けて、身衰えて」を繰り返していく中で、自分に相応しい生活スタイルを追求した。
そして、辿り着いたのが、方丈の庵だったのだろう。
どこかでも書いたけど、方丈の庵には、色々なものがぎゅっと凝縮されているのだろう。
その辺をあーだこーだと書かなかったところが、方丈記の良さかもしれない。
テキトーにそう思っただけだけどね。

今回はこの辺で。

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