方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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およそ物の心を知れりしよりこのかた

【原文】
およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。

【訳】
私は、何となく世の中が分かるようになってきた頃から、40年余りの歳月が過ぎたのだが、その間に信じられないような大事件が立て続けに起きた。

【わがまま解釈】
前回までは、人と家の話だった。
で、今回からは、内容が変わる。
しかも、今回は、扱う原文がたったの一行。
まー、僕が、一行しか書かなかっただけなんだけど。
そんなに大した内容でもないし。

それで、今回だけど、

・世の中が分かるようになってから、40年の歳月が過ぎた。
・その間に、信じられない事件が、立て続けに起きた。

この二つしか書かれていない。
それで、信じられない事件というのが気になる。
本当は、この後に出てくるんだけど。

それで、ここでは、あらすじだけを書いてみようと思う。
方丈記には、以下のようなことが書かれてある。

◆安元の大火(1177年)
◆治承の竜巻(1180年)
◆福原京への遷都(1180年)
◆養和の飢饉(1181年~1182年)
◆元暦の地震(1185年)

いわゆる五大災厄。
それで、これらの事件は、わずか10年足らずで起きている。

◆安元の大火(1177年)
平安京で発生した大火。
都を焼き尽くしてしまうぐらいの恐ろしい大火だったらしい。
貴族の屋敷だけでなく、朝廷の建物も被災している。
ちなみに、この翌年にも、治承の大火と呼ばれる大火災が発生している。

◆治承の竜巻(1180年)
平安京で発生した竜巻。
風の強さや被害で言うと、竜巻というよりも、ちょっと台風に近い感じだったと思われる。
長明さんは、これは何かの前ぶれかと思っている。
方丈記では、建物の修復の際に、怪我をした者がいたとあり、いわゆる二次災害に遭った者がいたもよう。

◆福原京への遷都(1180年)
治承の竜巻から2か月後、突然、遷都が行われる。
このあたりは、遷都なのかそうでないのか判断が分かれるみたいだけど。
とにかく、平城京から平安京に都が移って以来、ずーっと平安京が都だったわけ。
それが突然、平清盛の一存で都が平安京から福原京へと遷された。
しかも、この福原京、本当に突然のことで、何の準備(根回し)もなかったため、みんなから猛反発をくらう。
結果的に、6か月だけの幻の都となる。

◆養和の飢饉(1181年~1182年)
2年にわたって、西日本を中心に飢饉となる。
それで、作物は取れないし、物価は上がるしで、大変な状況だったとそう。
しかもね、そんな状況だから、人の心も荒んでしまう。
特に、平安京は、物資を地方に頼っていたこともあり、地獄絵に近い状況だったとか。

◆元暦の地震(1185年)
近畿地方を襲った大地震。
平安京でも多くの建物が被害に遭う。
また、琵琶湖では津波が発生したとか。
ちなみに、この年に平家一門が壇ノ浦の戦いに敗れて滅んだことから、平清盛の怨霊のしわざではないかと、平安京の人々は噂し合ったそう。

と、まー、こんなことが起きている。
そして、長明さん、こういったできごとを丁寧に文章でまとめている。
自分で見聞きしたり、つてを頼って情報を仕入れたんだろうけど。
平安京を守護する下鴨神社の社家の子として、その様子をしっかり記録する使命感みたいなものがあったのかもしれない。
しかも、何となくだけど庶民目線で書いてあるような気もする。
まー、本当に、何となくだけど。

それで、方丈記って、災害記録としての文学だと言われるのも、このあたりが理由だと思う。

ただ、この五大災厄の頃って、世の中そのものが大変な状況でもあったのね。
激動の時代。
年表形式にすると、次のような感じ。

1155年  鴨長明誕生
1156年  保元の乱
1159年  平治の乱
1185年  平家滅亡
1189年  奥州藤原氏滅亡
1219年  源実朝暗殺
1221年  承久の乱

保元の乱、平治の乱の勝者は、平清盛だった。
で、平家一門が権力の座に座るんだけど、その平家一門の繁栄も長くは続かない。
再び起きた源平の戦いで、平家一門は、源氏に敗れて滅亡する。
そして、源氏は、東北の覇者だった奥州藤原氏も滅亡させる。

で、勝ち残った源氏の世の中が続くかと思ったら、鎌倉幕府の三代将軍だった源実朝が暗殺されたことで、源氏の血は途絶えてしまう。
それで、鎌倉幕府は、御家人の一人だった北条氏に取って代わられることになる。
しかも、この戦乱の中で、朝廷は少しずつその機能を失っていき、承久の乱で鎌倉幕府に大敗をすると、完全に機能停止をしてしまう。

これだけを見ても、平家物語の「おごれるものも、久しからず」を感じる。

平家・・・・・・天下人から滅亡
源氏・・・・・・天下人から血統断絶
朝廷・・・・・・天下人から没落
奥州藤原氏・・・東北の覇者から滅亡

平安末期から鎌倉初期って、平家、源氏、朝廷が三すくみ状態だった。
そして、東北地方は、奥州藤原氏が治めていた。
ところが、最終的に、これらの勢力は滅亡したり、血が途絶えたり、没落したりする。
誰も、最終的な勝者となれなかった。

それで、方丈記の中で、こういった事件を書くこともできたと思う。
むしろ大河ドラマ調で書くのなら、こっちの方が面白いはず。
でも、長明さんは、こういった事件については、ひとことも書いていない。
まー、少し、福原遷都で触れるぐらいか。
しかも、そこでも、政治的な話や権力闘争の話は出てきていない。
家を壊して、立て直して大変だとか、土地が足りないので家を建てることができないとか、あくまでもそんな話が中心なわけ。

長明さんとしては、やはり、庶民目線にこだわったのかもしれない。
例えがどうか分からないけど、方丈記という作品は、壮大な歴史スペクタクルドラマよりも、人々の日々の生活に重点を置いたヒューマンドラマを目指したんだろう。

今回はこの辺で。

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