方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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伊達政宗~遅れてやってきた東北の風雲児

◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 190
戦闘 178
智謀 186
魅力  96
野望  94

以前、上杉景勝は、歴女からの人気が高いと書いた。
で、今回、伊達政宗。
この方も、歴女からの人気は高い。
僕も、どっちかと言うと、好きな戦国武将。

で、この伊達政宗、若くして奥州の覇者となっている。
そして、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人とも、十分に渡り合ったイメージがある。
まー、実力者だったことは間違いないだろう。

ところで、伊達政宗と言えば、独眼竜政宗。
これ、僕も見ていた。
当時、僕は、中学生だった。
「梵天丸もかくありたい」というのは、当時の流行語だった。

特に、若き政宗が秀吉に降伏するシーン。
あれは、子どもながらにすごいと思った。
白装束で秀吉の前に出て、臣従を誓う政宗役の渡辺謙。
そして、秀吉役は、勝新太郎。
その勝新が、杖を振り上げて、政宗の首にビシッと当てて言う。

「もう少し遅ければ、ここがなかったぞ」

今の大河ドラマにはない迫力、本気度だった。
圧巻のひと言だった。

一応書くと、独眼竜政宗のキャストは、次のとおり。

伊達政宗/渡辺謙
伊達輝宗(政宗の父)/北大路欣也
義姫(政宗の母)/岩下志麻
豊臣秀吉/勝新太郎
徳川家康/津川雅彦
最上義光(政宗のおじ)/原田芳雄
愛姫(子役時代)/後藤久美子

なんか・・・すごすぎる。。。

で、こんな感じだからってこともないけど、この独眼竜政宗の視聴率は、大河ドラマ史上ナンバー1の39.7%。
ちなみに2位は、武田信玄の39.2%。
ちなみに3位は、春日局の32.4%

で、ここからは、さらに輪をかけて、僕の独断と偏見で伊達政宗についてテキトーに書いていきます。

◆引きこもり
政宗、幼少期は、引きこもりだった。
というのも、政宗は、幼い頃に病気がもとで、片目を失っていた。
当然、見た目がかっこ悪い。
だから、人に見られたくない。
で、政宗も、人と会うのがすっごく嫌だったとか。

政宗にとって、片目しかないというのは、コンプレックスだった。
まーね、見た目が人と違うというのは、ショックだったと思うよ。
しかも、かっこ良くて違うなら良いけど、かっこ悪くて違うんだから。

で、そんな引きこもりの政宗を、家臣の一人が叱咤激励する。
「そんなにかっこ悪いなら、刀のつばを眼帯みたいにしてつけてみろや」

政宗、とりあえず言われたとおりにしてみた。
すると、これが、意外と似合った。
で、これ以降、政宗の引きこもりは治ったんだとか。

ちょっと、このあたりのくだり、ランボーに書いたけど。
ただ、後年、描かれた政宗の絵は、両目が開いた状態で描かれている。
やっぱり、「両目が見えたら・・・」っていうのはあったんじゃないかな。

◆秀吉への降伏
伊達政宗は1567年生まれ。
一応書くと、織田信長が1534年、豊臣秀吉が1537年、徳川家康が1543年生まれ。
ということは、これらの天下人と比べると親子ほどの年の差がある。

政宗は、若くして、父・輝宗から伊達家の家督を継ぐ。
ちょうど時代は、豊臣秀吉による天下統一が完成しようとしていた頃。
それで、一時は、政宗は、徳川家、北条家と三国同盟を結び、豊臣家に抵抗をする。

しかし、まず、徳川家が豊臣家に臣従をする。
そして、次に狙われたのが北条家。
北条家は、豊臣家との戦いを選択した。

政宗の心は揺れたと思う。
もし、北条家が滅べば、次は自分の番だから。
降伏するか。
それとも、豊臣家と戦うか。

そして、政宗、秀吉に降伏することを選択する。
しかも、北条家を攻めている最中の豊臣軍の陣を訪問し、秀吉に降伏する。
しかも、白装束の衣装で秀吉に謁見したとか。
大河ドラマでも、このシーンはあったけど。
これ、その場で切腹になっても致し方ないという覚悟の表れだけど、領地は減らされたものの、滅亡はしなくてすんだ。

◆天下人への対抗
最終的に政宗は、秀吉、家康と天下人に臣従するけど、どうも一筋縄ではいかないのね。
陰でコソコソ暗躍するのが好きなのね。
少しでも足を引っ張ってやろうとか、少しでも自分が有利になるようにしてやろうとか、何かを企む。
しかも、その都度、バレる。

葛西大崎一揆では、政宗は、蒲生氏郷と共に一揆を鎮める。
そして、葛西、大崎の地は政宗に与えられる。
ところが、どうも、政宗が一揆を扇動したという噂が出てくる。
で、苦しい言い訳で何とか言い逃れるも、最終的に、領地を減らされてしまう。

関ケ原の戦いでは、以前、秀吉によって領地を没収された和賀忠親をそそのかした。
まず、和賀忠親に政宗の隣国だった南部家の領内で一揆を起こさせる。
南部家の主力軍は、関ケ原で戦っているため、残された南部家ではこれを鎮圧できない。
ここで、政宗、領地拡大のため、漁夫の利を得ようと軍勢を派遣する。
ところが、南部家の主力軍が戻ってきたために、一揆軍は壊滅。
政宗も、派遣した軍勢に撤退命令を出す。
で、関ケ原の戦いの終戦処理で、一揆をそそのかしたことがバレてしまい、徳川家康から怒られる。

また、本当かどうかは分からないけど、政宗が慶長遣欧使節を派遣した際の話。
この使節団、目的は、外交や貿易をすることにあったそう。
ところが、その本当の目的は、スペインと手を結び、幕府転覆を狙っていたとかいないとか。

ただ、伊達政宗って、つねに野心は持っていたんだろうなって思う。
分からないけど、片目でもすごいんだぞっていうのを感じる。
あと、将軍・徳川秀忠と会う約束をしていたにもかかわらず、二日酔いで急遽キャンセルしたとか、料理の腕前が凄かったとか、筆まめな武将だったとか、能や和歌も上手だったなど、こういったオチャメなエピソードが多いのも、政宗らしいのかもしれない。

今回はこの辺で。

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