方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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右大臣実朝④

前回からの続き。

◆それから、鴨長明は、一つ和歌を挙げて、「例えば【結ひそめて 馴れしたぶさの 濃紫 思はず今も 浅かりき】の和歌ですが、正直、これが実朝公の和歌かと私は不思議でなりませんでした。恐らく、お側近くに、和歌の仲間がいらっしゃいませんから、あるいは、いたとしても私のように・・・」と言うと、源実朝は、にこやかな表情でお立ちになり「もうよい。その深い欲も捨てると良いぞ」と言うと、そのまま奥の部屋へと戻って行かれました。
私も実朝公に従って、奥の部屋へと参りましたが、奥の人たちは口々に、鴨長明の不躾な態度に腹を立てたり、怒っていました。
しかし、実朝公は、「なかなか、世捨て人ではない」とつぶやいただけで、何も気にしている様子はありませんでした。

※源実朝と鴨長明の面会の場面も、これで最後です。

結ひそめて 馴れしたぶさの 濃紫 思はず今も 浅かりきとは

これ、源実朝の「金槐和歌集」の中にある和歌の一つ。
なんで「金塊」なんだろうと思っていた。
金の塊のようにすごい和歌集なのか。
「槐」じゃなくて「塊」にすり替わっているけど。。。

この「金槐」だけど、源実朝のことらしい。
うーん、全く、意味が分からない。
サンドイッチマンなら「ちょっと、言ってる意味が分からない」と言うところか。

「金」は、鎌倉の「鎌」の金偏の「金」だそう。
「槐」は、ちょっと難しい。
「槐」というのは、大臣を意味する「槐門」という唐名(中国風の言い方)から来ている。
で、源実朝の朝廷の官位は、右大臣だった。

というわけで、「金槐」というのは「鎌倉の右大臣」となり、つまり、源実朝のことを指すらしい。
いやー、もう少し、ストレートにして欲しいねー。
それこそ、このブログでよく出てくる、源家長の源家長日記みたいにさ。

で、話を戻してこの和歌について。

「結ひそめて」は、髪を初めて結いてということで、意味としては、髪を初めて結んだというところ。
「慣れしたぶさ」ですが、たぶさとは、頭の上の髪を束ねたところを指す言葉。
で、そのたぶさにも慣れてきたという意味ですね。
「濃紫」ですが、これは、そのままこむらさき、つまり濃い紫色ということですが、ちょっと付け足すと、髪を束ねる紐の色が紫色だったということ。
「思はず今も 浅かりきとは」ですが、これは、思いもがけず今でも色が薄かった(浅かった)といったところでいいと思う。

ちなみに、今、「浅かりきとは」を打とうとしたら、「浅香力人は」と出てきた。
軽く「お前、誰!?」ってパソコンに突っ込んでおきました。
すみません。。。

それで、この和歌の直前には、本当は、

「忍びて言ひわたる人ありき、遥なる方へゆかむと言ひ侍りしかば」

という文言がある。
恐らく、忍びあって付き合っていた女性がいたんだと思うけど、何かの理由でこれ以上は会えなくなり、その女性がどこか遠くへ旅立とうとしたのでしょう。

で、以上を乱暴にまとめてみる。

初めて髪を束ねてから、その髪型にも慣れてきたが、ふとその髪を束ねた紫色の紐を見ると、濃かったはずが自分の想像以上に薄くなっていて、あれほど深い関係だったのに、今となっては浅い関係になってしまったのか、信じられない・・・

といったところだと思う。
いつも書くけど、僕の独断と偏見だから。

で、この和歌、どこがダメなのか、全く理解できない。
長明さんの評価は低いみたいだけど。
長明さんとしては、都かぶれとか、都の匂いがするなーと思ったのだろうか。
そんなありきたりな表現、今までたくさん見てきましたよ、的な。。。

しかも、太宰治も、これ以上を書いていないので、長明さんの低評価の理由が分からない。
もしかしたら、この後で出てくるかもしれないけど。
でも、右大臣実朝のシリーズは、今回で最後なので。。。
ていうか、僕も、ちゃんと読んでから書けよって話だけど。。。

一応書くと、この和歌には、元となる和歌があるらしい。
分からないけど、これを形だけ真似して和歌を詠んだのがいけなかったのだろうか。
でも、当時は、本歌取りがブームみたいなところもあったらしいけど。
まー、どこか気に入らないところがあったのだろう。

ちなみに、源実朝の父・頼朝も、新古今和歌集に2つほど和歌が載っているらしい。
源頼朝というと平家を倒して、征夷大将軍になって、鎌倉幕府を完成させたぐらいしか知らなかったけど、その一方で歌人としての側面もあったらしい。
知らなかった。

もしかしたら、長明さん、父・頼朝公のような和歌を詠みなさいと言いたかったのか。

で、長明さんが、さらに話を続けようとする。
すると、源実朝が、それを遮るように「もうよい」と言う。
そして、続けて、「その深い欲も捨てると良いぞ」と言うのね。

これ、分からないけど、長明さんからすると、「やられた」と思ったように思う。
つまり、長明さんには、ひと言余計なところがあった。
で、自分でも、それを分かっていたのではないか。
それを、まだ若い源実朝に指摘されて、「あー、やってしまった」と思ったのではないか。

で、そのまま、源実朝は、奥の部屋へと下がってしまう。
しかも、語り手も含めて、側近たちも奥の部屋へと下がるんだけど、みんな、長明さんの失礼な態度に怒ってしまう。
「長明さん、あれはないなー」みたいに。

ところが、源実朝だけは、「あれは世捨て人ではない」と言う。
見た目と中身が違うことを喝破した、といった感じか。
これ、長明さんに対して、吐き捨てた言葉だろうか。
いや、誉め言葉かもしれない。

僕は、太宰治は、源実朝と鴨長明に自分の分身を託したと思う。
以前も、どこかで書いたように思うけど。
やはり、この二人の会話の場面は、そんな気がする。

自分の和歌の欠点を指摘された源実朝。
自分の欲深さを指摘された鴨長明。

源実朝は源実朝らしさを、鴨長明は鴨長明らしさを出しながらも、どちらも中身は太宰治。
実は、そうではないのか。
理由は特にないけど、僕が勝手にそう思っているだけ。

で、右大臣実朝は、これで終わり。
すみません、適当なことばかり書いて。
僕も、いつかきちんと右大臣実朝を読んでみようと思います。

最後に、僕は、きちんと読まなかったけど、この作品の源実朝の言葉に、

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

というのがある。

これ、太宰治の願望だと思う。
これなんかを読むと、太宰治は、まだこの時点では、自分は大丈夫だと思っていたのではないか。
そう、自分に言い聞かせていたのではないか。

今回はこの辺で。

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