方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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いま、日野山の奥に、跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、

【原文】
今、日野山の奥にあとをかくして後、東に三尺あまりのひさしをさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚をつくり、北に寄せて障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。東の際に、わらびのほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつりだなをかまへて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵のありよう、かくのごとし。

【訳】
現在、私は日野山(現在の京都市伏見区)の奥で、俗世間から離れて出家生活をしている。この家(方丈の庵)の東側には、屋根を1メートルほど家の外に突き出して、その下で木の枝を折り炊事をしている。南側には、竹のすのこを縁側としている。その縁側の西側(奥)に閼伽棚を作った。部屋の中には、西側の最も北のエリアの一角を衝立で仕切って、(西側の)壁に阿弥陀様の絵を掛けて、その横には普賢菩薩の絵を掛けた。その2つの絵の前には経机を置いて、その経机の上には法華経を置いている。部屋の東側には、伸びた蕨を敷布団代わりに敷いて寝る場所とした。

部屋の西側で南側のエリアの一角は、竹の吊り棚を作り、黒い皮で張った竹で編んだ箱を3つ置いた。そして、和歌の書物、音楽の書物、往生要集の書物をそれぞれの3つの箱に入れた。その側には、折り畳み式の琴と、組み立て式の琵琶を一つずつ置いた。いわゆる、折り琴、継ぎ琵琶と呼ばれるものである。仮の住まいである方丈の庵の様子は、このようなものだった。

【わがまま解釈】
引き続き、今回も、方丈の庵について。
前回は大まかな話だった。
今回は、内装について。
内装なんて言えば聞こえは良いけど、まー、持ち物ね。

日野山の奥で四畳半の家に1人でひっそりと暮らす長明さん。
持ち物は、以下の通りだった。

・阿弥陀仏の絵、普賢菩薩の絵
・琵琶、琴
・和歌書、音楽書、往生要集

少ないかもしれない。
でも、出家生活をしているので、問題ないでしょう。
永平寺だったら、もっと少ないと思うし。。。

まず、阿弥陀仏の絵と普賢菩薩の絵を貼ったという。
阿弥陀仏というのは、浄土の教えで最も尊いとされている仏様の名前。
僕たちも、阿弥陀仏はピンと来なくても、あみだくじはたまに言う。
あのあみだくじの阿弥陀様のこと。
ちなみに、阿弥陀仏のモデルはお釈迦様なんだとか。

普賢菩薩は、直訳すれば、全ての賢い修行者といったところか。
像だと、たいてい文殊菩薩とともにお釈迦様の横に並んでいる。
で、普賢菩薩と浄土の教えについては、接点が良く分からなかった。
あることはあるらしいけど、理解できなかった。

次に、長明さんが、持ち込んだものとしては、和歌書、音楽書、琵琶、琴とある。
このあたりは、長明さんらしいように思う。
出家生活をするにあたって、琵琶や琴はいらないというか、贅沢なような感じもする。
ていうか、なくても生活はできる。
しかし、持ち込んでいる。
それだけ、長明さんには大切なものだったのだろう。

原文には、折琴、継琵琶と書いてある。
どうも、これ、組立式だったらしい。
長明さん、楽器を演奏するだけでなく、作るのも上手だった。

伝わる話では、長明さん、「てならひ」という琵琶を自作して、大切にしていた。
ところが、その「てならひ」を、後鳥羽上皇が「どうしても欲しい」と言う。
で、泣く泣く、その「てならひ」を後鳥羽上皇に献上したという話がある。
本とかはどうかは知らないけど。

また、鎌倉時代の中期の作品に十訓抄というのがある。
作者は不明だけど、当時の説話を色々と集めている。
それで、その中に、長明さんのことについて書いたお話がある。
長明さん、やはり、当時の中では、そこそこ有名人だったと思われる。

で、その中に、次のような話がある。
僕の、テキトーな訳で申し訳ないけど。。。

近頃、下鴨神社の氏人家に菊太夫長明(鴨長明)という者がいた。
和歌や音楽に秀でた人で、世間でも有名だった。
長明さんは、神職の道を目指していたが、ついに叶うことはなかった。
最終的に、世を恨んで、出家遁世をする。

そして、大原で出家生活をした。

それから、方丈記を書いた。
あの出だしが有名な作品。
あのしみじみとした感じがとてもいい。

そして、この方丈の庵には、折琴と継琵琶があった。
お経読む合間にも、楽器の演奏をやめなかったのは、風流があっていいなと思う。

と、まー、こんな感じ。
で、長明さんが、方丈の庵で琵琶や琴を演奏するのが、いいねって書いてある。
当時、長明さんに対する評価は、高かったのかもしれない。
少なくとも出家者としても、風流人としても、世間の評価は高かったのではないだろうか。
いや、分からないけど。。。

ちなみに、この文章の中には、次のような和歌が挿入されている。

「いずくより 人は入りけん 真葛原 秋風吹きし 道よりぞ来し」

どこからあなたは来ましたか?
真葛原のあたりの秋風に吹かれてきました。
といったところだろうか。

最後に、方丈の庵の見取り図を描いて終わり。
多分、探せばもっと丁寧に書いてあるのもあるだろうけど。。。

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