方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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右大臣実朝③

前回からの続きです。

◆「出家の動機は?」と実朝公が尋ねられましたが、その様子がまたゆったりと上品な感じがしました。
「身内内での争いです」と鴨長明は答えたが、その時、鴨長明の顔に何とも言えない笑みがチラッと浮かんだように私には見えましたが、もしかしたら、私の気のせいだったかもしれません。
「どのような和歌が良いか?」と、実朝公は、相変わらず落ち着いた感じで静かに、今度は、和歌の質問をされました。
「今はただ、大げさでないものが好ましいと思われます。和歌というものは、すーっと耳に入ってきて、それが素直に人の心に響けばそれで十分で、無理に気取った表現をするようなものではないと思います。」
鴨長明は、またどこを見ているのか分からない感じで、独り言のようにこのように言われました。

※長明さん、出家の動機を聞かれる。
源実朝の上品な様子に、相好を崩した感じだろうか。
長明さん、「身内内での争いです」とか答えていない。
このあたりは、当然、太宰治も知っているはず。

で、源実朝が、「どのような和歌が良いか?」と質問する。
これは、二人にとって重要な質問だと思う。
で、長明さん、「あまり大げさでないほうが良いですよ」と答えている。
「無理に気取る必要もないですよ」と。

で、このように答えると、再び、ポカーンとした様子となる。

なんか、わびさびのようにも聞こえる。
美しいだけが和歌ではない。
華やかさだけが和歌ではない。
静かさの中にも美しさはある。
閑寂の中にも美しさはある。

ちょっとした悟りのような感じもする。
このあたりは、方丈の庵で清貧の生活をする長明さんを想像したのだろうか。

◆それから、何か思い出したように、「うん」とうなずくと、「さきごろ、参議の飛鳥井雅経どのよりお話があって、実朝公の和歌をいくつか拝読いたしましたが、これこそ私が長年求めてきた和歌だったと見た瞬間に感じ、同時に、和歌の世界の夜明けを感じました。今回、飛鳥井雅経どのからお誘いもあって、自分の歳を忘れて日野山の草庵から出て、はるばる関東へとやってきたということに嘘はありませんが、また一つ思うには、これほど優秀な歌人のそばに、はっきりとものを申す和歌の仲間がいないように感じ、ちょっと心もとなく、これでは真珠の輝きもくすんでしまうと老婆心ではありますが、とにかく矢も楯もたまらず、このように見苦しい姿にもかかわらず、実朝公にお会いしたくやって参りました」と、突然、このようなお話をされました。

※ここの部分は、再び、真面目モードに入っている。
そして、なぜ、自分が、遠く鎌倉へと来たのか、その理由を説明している。
前のくだりで、名誉を求める心はどうしても捨てられないといった話があった。
それも、あったとは思う。

ただ、ここでは、長明さん、「実朝公の和歌はとても優れているが、和歌の仲間がいないことが気になる」と答えている。
とは言っても、源実朝には、すでに藤原定家が和歌の師匠としていたし、源実朝は、その藤原定家から万葉集を送られてもいる。
また、藤原定家以外にも、飛鳥井雅経とか和歌の仲間は、一定数はいたと思う。
このあたりは、当時の和歌の世界の中心だった藤原定家を意識していたのだろうか。

とにかく、ここから、急に核心に迫るような会話になる。

◆「幼稚な和歌も多いのではないか?」と実朝公が問いかけます。
それに対して、鴨長明は「いいえ、実朝公の和歌は、姿は爽やかで、音の響きは美しく、とても目の覚めるような和歌ばかりでございます。お許しくださいませ。しょせんは世捨て人の言葉です。ただ、ウソをお詠みにならないようにお願いします」
「ウソとは?」
「真似事でございます。例えば、恋の歌がそうです。恐れながら、実朝公は、まだ、本当の恋の心が分かっていません。ですので、都の真似をしてはいけません。そして、これは、私が命に代えても実朝公に申し上げたいことです。過去にも素晴らしい歌人はいましたが、それを形だけまねるのはとても残念なことであり、それで、このように申し上げるわけでございます。例えば、恋の和歌にしても、雁に思いを寄せた和歌、雲に思いを寄せた和歌、あるいは、衣服に思いを寄せた和歌と色々とあるわけですが、このような和歌は、今となってはもう都の冗談に過ぎませんので、いくら都の和歌の形だけをまねして、あるいはテクニックだけを抜き出してまねしたところで、それは、しょせん東国の片田舎の・・・」と言ったところで、鴨長明も気が付いたのか、「申し訳ございませぬ。今の言葉、お忘れください」と言うと、改めて「東国には、東国の文化、心があります。それだけを真っすぐにお詠みください。」とさらに続けて言いました。

※この部分、ちょっと文量が多くなってしまった。
源実朝、「幼稚な和歌も多いのではないか?」と質問する。
で、長明さん、「いいえ、とても素晴らしいですよ」と答える。
ただ、「嘘を詠まないように」と注意をしている。

長明さん、「恋の歌がそうです」と答えている。
あなたは、まだ、本当の恋心が分かっていないと。

それで、少し気になって調べてみた。
源実朝が生まれたのは1192年。
そして、源実朝が鴨長明と面会したのは1211年。
ということは、源実朝、18歳あたり。

確かに、この年齢で恋心が分かることはない。
出川哲郎なら「だって、本当の恋愛を知らないじゃないですか?」と突っ込むかもしれない。
ごめん、テキトーに書いた。

とにかく、長明さん、

「都のまねはするな」

と言う。

都のまねをしても、それは真似事に過ぎないと。
しょせんは二番煎じ。
二位じゃダメなんですと。

それで、源実朝に対して、

「東国には、東国の文化、心があります。それだけを真っすぐにお詠みください。」

と言っている。

なぜ、太宰治は、鴨長明に、このような会話をさせたのか。
正直、僕ごときが分かるはずがない。
ただ、「よそ見をするな」ということかもしれない。
都の和歌を参考にするのは良いけど、東国の心を感じさせるような和歌にしなさいということではないか。

この作品の語り手は、長明さんを都人だから立派な方かなと思っていたら、全然違うと驚いている。
長明さんも、源実朝の和歌を詠んで、東国を感じるかなと思っていたら、「なんか違うなー」とズレを感じたのだろう。
テクニックだけに走って心がないというか、そんな感じがしたのではないか。

当然、源実朝の和歌の師匠は、すでに藤原定家がいた。
藤原定家といえば、当時の和歌の第一人者でスーパースター。
当時の都の和歌についても、色々と手ほどきを受けているのではないか。
で、源実朝も、師匠に言われたことは、当然に守る。

ところが、長明さんからすると、それは都の和歌であり、藤原定家の和歌。
東国の、源実朝の和歌ではないと思ったのだろう。
そういうのが、「和歌のお仲間がいない」ということにつながるのかもしれない。

あるいは、もうこれは完全に僕の想像だけど、藤原定家に対して「お前、師匠失格」という意味もあったかもしれない。
いや、これ、ほんとに分からないから。

東国の人間に、なに、都の和歌の技法を教えている?
まだ18歳そこらの若者に、意味も分からないままに恋の和歌を教えてどうする?

つまり、和歌の基本は、心を詠むこと。
その基本を忘れて、テクニックに走っても、立派な歌人にはなれないと言いたかったのかもしれない。

まー、こればっかりは、太宰治に聞かないと分からないか。。。

今回はこの辺で。

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