方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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前の年、かくの如くからうじて暮れぬ。

【原文】
又門の上を吹き放ちて、四五町がほどに置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。

【訳】
吹き飛ばされた門が四、五町先の方に落ちていたり、また、隣の家との垣根が吹き飛ばされたために、複数の家がまるで一つの家のような形になってしまったものあった。そんな状況であるので、家の中の家財道具は全て空へ飛ばされた。屋根を葺いた檜皮や葺板は、冬の木の葉が風に舞い上がるように空へと飛んで行った。

塵埃を煙のように吹きたてたので視界がまったく見えない。風の轟音が鳴り響くため人の話声も聞こえない。地獄で吹くと言われる業風であっても、ここまで酷い風ではないように思える。家が壊れたり、なくなったりしただけではなかった。壊れた家を修復しようとして、怪我をしてしまう人は数知れず。この竜巻は南南西に向かって走り去ったが、多くの人が嘆くことになった。

【わがまま解釈】
前回に引き続き、治承の竜巻について。
吹き飛ばされた門が、四・五町先の方に落ちていたとある。
ちなみに、一町は110メートルぐらいなんだそう。
ということは、まー、500メートルぐらいか。

でも、門ですよ。
門。
どんな門かは分からないけど、門がそこまで飛ぶことやある?
まー、後に続く文章を読むと、本当にそれぐらい飛ばされたんだろうけど。
ちょっと信じられないけど。。。

しかも、隣の家との境界線にしていた垣根が吹き飛ばされる。
その結果、家と家が合体して一つの家になる。
これなんか、正直、漫画とかアニメの話ですよ。
とても本当の話とは思えない。
まー、それだけ、当時の家の造りは弱かったんでしょうか。。。

さらに、家財道具についても書いてある。
で、これがまた、とんでもないことになっている。
全部、空に向かって吹き飛ばされたんだとか。
あと、屋根については、まるで「木枯らしに舞う木の葉」のように舞い上がったんだとか。

うーん、竜巻でそこまでの被害が。。。

最後に、視界が利かなくなって、話し声すら聞き取れなくなったとある。
壊れた家を直そうとして、怪我をした人もたくさんいたとか。
これなどは、二次災害でしょう。

この治承の竜巻だけど、方丈記以外にもいくつか記録が残っている。

◆明月記
これは、藤原定家が書いた日記。
藤原定家と言えば、当時の和歌のスーパースター。
そして、長明さんと同じく和歌所寄人として活躍している。
それで、明月記によると、

・4月29日の午後2時ごろ、ひょうが降り、二、三度雷が鳴り、稲光がした。
・北方から煙がのぼり、誰かが「火事だ」と叫んだ。
・しかし、それは火事ではなかった。
・都は騒然となり、家も門も空へと吹き飛ばされた。

と書いてある。

分からないけど、「ひょうが降り、雷が鳴り、稲妻が走った」ということは、あたりは急激に暗くなり、寒くなったのではないか。
そして、火事と見間違うような竜巻。
情景としては、おどろおどろしい感じがする。
これを見ても、方丈記の記述は、大げさでないことが分かるのではないか。

ちなみに、発生日は4月29日となっていて、方丈記と同じである。
但し、「ひょうが降り、雷が鳴り、稲妻が走った」という記述は、方丈記にはないけど。
その代わり、方丈記では、竜巻の発生場所を「中御門京極あたり」と書いてある。

◆平家物語
平家物語にも、治承の竜巻の話はある。

・5月12日の午後12時ごろ、都では竜巻が吹き荒れ、多くの家屋が倒された。
・竜巻は中御門京極あたりから発生して、南西の方へ吹き抜けていった。
・屋根を葺いた檜皮や葺板は、冬の木の葉が風に舞い上がるように空へと飛んで行った。
・その轟音の凄まじさは、地獄で吹くと言われる業風であっても、ここまで酷い風ではないように思える。
・今回の竜巻について、朝廷が占いをさせたところ、「これから百日の間は、大臣は行動を慎むように。とりわけ、天下の大事件がおきて、仏法、王法、いずれも衰退し、世の中は戦いで乱れるであろう」とのことだった。

で、これを見ると、平家物語では、発生日が5月12日となっている。
方丈記や明月記とは違っている。
もしかしたら、たまたま、僕が読んだ系統の平家物語がそう書いているのかもしれないけど。
そのあたりは詳細不明。
めんどくさくて調べられなかった。

・竜巻は中御門京極あたりから発生して、南西の方へ吹き抜けていった。
・屋根を葺いた檜皮や葺板は、冬の木の葉が風に舞い上がるように空へと飛んで行った。
・その轟音の凄まじさは、地獄で吹くと言われる業風であっても、ここまで酷い風ではないように思える。

この三つは、基本的に同じ。
実際に、方丈記と平家物語の原文を比較しても、文言が完全一致に近いぐらい。
恐らく、どっちかがどっちかを下敷きにしたのだろう。

最後に、次の文章。

「今回の竜巻について、朝廷が占いをさせたところ、「これから百日の間は、大臣は行動を慎むように。とりわけ、天下の大事件がおきて、仏法、王法、いずれも衰退し、世の中は戦いで乱れるであろう」とのことだった。」

これは、平家物語にだけある文章。
方丈記や明月記には記述がない。

朝廷としても、今回の出来事が何を意味するのか気になったのだろうか。
しかも、その出た占いの結果が、「天下に大事件が起きて、世の中が戦いで乱れる」ってある。
それで、事実そうなるのね。

後白河法皇の皇子の以仁王が、平家打倒の兵を挙げた。
平家は、すぐに反乱を鎮圧するも、都は騒然となる。
そして、その後すぐに、清盛は、福原遷都を打ち出す。
この後は、しばらく源平の戦いが続く。
今では、源平の戦いという表現はしないらしいけど。

ところで、平家物語だけに占いのくだりがあるんだけど、どうもこの平家物語、占いに関する記述が多い(と思う)。
今回の治承の竜巻もそうだった。
熊野水軍が平家と源氏のどっちに味方するかという場面では、その熊野水軍の当主は、鶏の決闘占いで源氏に味方することを決めている。

また、壇ノ浦の戦いでは、突然、イルカの大群が現れる。
そして、平家の総大将・平宗盛は、占い師に占いをさせたところ「イルカの群れが来た方が負ける」と言うんだけど、こともあろうにイルカの大群は平家の船の下を泳いで行ってしまう。
で、平家滅亡。
あーもう、そんな占いするなよって思ってしまったけど。。。

今回はこの辺で。

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