方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―


ギャンブラーの誤謬

今回は、ギャンブラーの誤謬について。

ところでというか、いかなりですけど、「誤謬」って読めますか?
僕は、初めて見たとき、全く読めなかった。
これ、「ごびゅう」と読む。
そして、「誤謬」の意味だけど、これは、間違いということ。
「誤」という漢字があるので何となく分かると思いますが。。。

つまり、ギャンブラーの誤謬とは、「ギャンブラーの間違い」とか「ギャンブラーの誤り」ということになる。
うーん、なんで「誤謬」なんだろう。
「間違い」とか「誤り」では、ダメだったんだろうか。
良く分からないけど。。。

それで、このギャンブラーの誤謬だけど、実は、みんな知っていると思う。
まー、一応、ここから説明するんだけど。

今、コイン投げをしているとします。
で、5回投げて、次のような結果になりました。

1回目・・・表
2回目・・・表
3回目・・・表
4回目・・・表
5回目・・・表

で、ここで質問。
次、投げたら、どっちが出ると思いますか?
表?
それとも・・・裏?

これ、多くの人は、「裏」と答えるそうです。
なぜか?
すでに5回投げて、5回とも表が出ているからですね。
だから、そろそろ「裏」が出るはずと思うわけ。

つまり、大数の法則の発想がある。
大数の法則と言うのは、例えば、コインを1000回投げたとする。
すると、表が出る確率と裏が出る確率は、それぞれ50%だという考え方。

但し、この大数の法則と言うのは、文字通り「大数」であることが条件なのね。
つまり、何百回とか何千回と繰り返して導かれる法則。
だから、今回みたいに、5回や10回繰り返したレベルでは、当てはまらない。

ということは、今回の場合、表と裏のどっちが出るかを考えると、「分からない」が答えとなる。
あるいは、表と裏が出る確率は、それぞれ50%となる。
なぜなら、1回1回のコイン投げで、どっちが出るかは半々だから。

つまり、自分の主観的判断で非合理的な結論を導いてしまうことを、ギャンブラーの誤謬と言うわけですね。

例えば、マークシート試験。
多分、今の時代だと、ほとんどの人が、センター試験や資格試験を受けていると思う。
で、この手の試験では、マークシート方式が採用されている。

で、例えば、次の1から5で、当てはまるものを選びなさいという問題。
5問目までを解いて、次のような場合、6問目の答えはどうなると思いますか?

1問目・・・1
2問目・・・1
3問目・・・1
4問目・・・1
5問目・・・1

もちろんだけど、6問目を自力で解答できるなら、問題はないですよ。
しかし、自力で答えが浮かばず、もう運に頼るしかない場合を考えてみましょう。
この場合、ほとんどの人は、「1」を外すはずです。

なぜか?
それは、マークシートの問題で、同じ番号が続くことは滅多にないことを経験則的に知っているからですね。
しかも、「1」、「5」なんて、「2」、「3」、「4」と比べて、正解となる確率は低いですよね。
みんな、こういうことを知っているんですね。

僕も、同じ回答が連続すると、不安を感じたものだった。
で、どこかを多分間違えていると疑心暗鬼になって、回答を変えたりするんですね。
で、かえって墓穴を掘ったりする。

これなんかも、ギャンブラーの誤謬ですね。
というのも、どの問題も独立しているわけです。
ということは、1から5で答えとなる確率は、それぞれ20%なんですよね。

ついでにもう一つ例を挙げます。

僕は、野球を見るのが好きで、テレビでよく見るんですね。
まー、最近では、野球中継も減りましたが。
で、昔、阪神に桧山という選手がいた。
で、その日の桧山は、3打数3三振と全く当たっていなかった。

ところが、9回のチャンスで、再び、桧山にチャンスが回ってくる。
ここで、桧山が長打を打てば、阪神の逆転勝ちという場面。
まさに、その日の一番の見せ場。

で、僕は、心の中で、こう思うんですよ。
今日の桧山は、まだヒットを打ってないから、そろそろ打つはず、と。
ところが、桧山は、ボール球を振らされて三振。
そのまま試合はゲームセット。

これなんかも、ギャンブラーの誤謬。
冷静になれば、その日の桧山は、タイミングが合っていなくて、打てるはずはなかった。
ところが、そういう事実を無視して、そろそろ打つはずと淡い期待をしてしまう。
で、期待を裏切られる。

当時の桧山って、期待を裏切るということを、決して裏切らない選手でしたよね。
ごめんね、桧山さん。
こんなことし書けなくて。
でも、二代目代打の神様として活躍したこと、僕は忘れない。

と、まー、色々と例を出したけど、ギャンブラーの誤謬とは、自分の主観的判断で非合理的な結論を導いてしまうこと。

で、最後に、このギャンブラーの誤謬による最大の弊害を書きたいと思う。
何だか分かりますか?
それは、

「自分の主観的判断で非合理的な結論を導いてしまって、人生を損していないか?」

ということ。
マークシートで間違うとか、桧山が三振するとか、そんなのは小さな話ですよ。
それよりも、自分の主観的判断で、人生の不幸を招くことの方が、よっぽど不幸ですよ。

だいたいね、不幸な人間は、主観的判断も不幸に偏りがち。
じゃないですか?
ん、僕だけか?

僕なんか、いつも、自分はダメだなって思っているから。
で、もしかしたら、これってギャンブラーの誤謬かもしれないって思うわけ。
つまり、僕は、ギャンブラーの誤謬に翻弄されているのかもしれない、と。

で、もし、このギャンブラーの誤謬を取り除くことができたとする。
そしたら、少しは、人生を前向きに歩くことができるのかって思う時もある。
分からないけどね。。。

今回はこの辺で。

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