方丈記に、似た運命
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あやしき賤、山がつも力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、
【原文】
あやしき賤、山がつも力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹つき、箔など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを尋ぬれば、すべきかたなきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世にしも生れ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。
【訳】
身分が低く賤しい者や山で生活している者も、最後は力尽きてしまい、薪までも不足してしまった。他に頼りとする方法がない人は、自分の家を壊して薪とし、市場に出して売っていた。しかし、一人が持ち出して売った薪の値段は、一日生活するだけのお金にもならなかったという。
不思議なことに、売っている薪の中に赤い色が付いていて、箔がところどころにあるものが混じっていた。それをどうしてか聞いてみると、どうやっても生きていく方法が見つからない者たちが、古いお寺に行って仏像を盗み、お堂の仏具を取って、割ったり壊したりしていたのでした。
私は、混乱の時代に生まれてこのような人間の情けない姿を見てしまいました。
【わがまま解釈】
今回も、養和の大飢饉のお話。
今回は、飢饉の最中、人々が生きていくために、どういう行動をとったかについて。
身分が低くて林業で生活しているような人も、最後は力尽きてしまったとある。
「山がつ」
調べてみると、漢字で「山賤」と書くらしい。
で、きこりや猟師など山仕事で生活をしている者を言うらしい。
ということは、何となくだけど、普段からぜいたくな生活をしているようには思えない。
いや、もしかしたら、普段から大酒飲んでいたかもしれないけど。
ただ、生命力だけは、強そうな感じがする。
僕の勝手なイメージだけど。。。
で、山がつが倒れると、平安京には、薪すら入ってこなくなった。
薪がなければ、ご飯が食べられない。
寒い日だと、暖をとることもできない。
つまり、食糧がないのも困るけど、薪がないのも同じように困るわけ。
都の人は、本当に辛い思いをしたんだろうと思う。
それで、薪を手に入れることができない者がどうしたか。
どうやら自分の家を壊して薪としたらしい。
ただね、薪を手に入れるために家を壊すって。。。
本末転倒というか。
たこが自分の足を食べるのと同じじゃない?
まー、それだけ生活に追い込まれていたんだろうけど。。。
生活に困窮するというのは、こういうことかもしれない。
それで、薪をお金に換えるために、薪を市場に売りに行った者もいたらしい。
ところが、その値段たるや、一日分の生活費にもならなかった。
今でも、貧しい国だと、一日の収入が百円以内という国がある。
で、小さい子どもたちが、一生懸命ガラクタを売るんだけど、ほとんどお金にならない。
多分、そういう感じなんだと思う。
日本だって、今でこそ豊かにはなったけど、かつては貧しい時代があった。
太平洋戦争中は、日本人のほとんどがお腹を空かせていた。
だいぶ前の話のようにも思うけど、そんなに遠い昔の時代でもない。
養和の飢饉の話は、遠いようで身近な話なのかもしれない。
あるいは、忘れてはいけない話か。
それで、長明さん、不思議なことを見つけたとある。
まー、合点がいかないというか、どういうこと?っていう感じ。
それが何かというと、売られている薪の中に赤い色や箔が混じっていたということ。
で、僕だと、「それが何か?」ってなる。
「赤か箔か知らないけどさ、どこかに付いていたんだろ」ぐらいにしか思わない。
ところが、この時代、赤色や箔って、庶民には普及していなったらしい。
それぐらい高価なものだったらしい。
平安時代になると、朱漆器というのが流行したらしいけど、それだって一部の上流貴族しか扱うことができなかったとか。
だから、庶民が赤や箔のついたものを持つことは、ほぼほぼなかったらしい。
ただ、比較的、庶民にも馴染みのある建物では、頻繁に赤や箔が使われていた。
それがどこかというと、寺社仏閣。
神社って、建物が赤色で塗られているでしょ、あれ。
お寺も、箔の装飾が施されていたりするでしょ。
つまり、市場で売られていた薪というのは、どうも、取り壊す家すらなくなった者が、切羽詰まって古いお寺に忍び込む。
そして、仏像仏具を盗んで壊す。
その壊れたものを、薪として売っていたらしいのね。
で、長明さん、人間の負の部分を見てしまったとある。
長明さんの場合、下鴨神社の人間として、多少の驚きはあったと思う。
もしかしたら、下鴨神社にも、盗賊が押し入ることがあったのではないか。
世界的に見て、日本人のイメージは、次のようなものだそう。
・勤勉
・真面目
・礼儀正しい
・奥ゆかしい
そうかもしれない。
でも、それは平時の話。
例えば、阪神淡路、東日本、熊本、北海道東部の地震の時はどうだったか。
これらの地震の際には、空き巣、自販機荒らし、デマも多かったと聞く。
また、人の善意を踏みにじる募金詐欺などもあったらしい。
つまり、今も昔も、非常時には、人間とは醜くなるものだと思う。
衣食足りて、礼節を知る。
まさに、これだと思う。
どれだけ、素晴らしい道徳があったとしても、それは平時の話。
非常時には、全くその道徳は通用しないということだろう。
もちろん、全部が全部とは言わないけど。
そんなことを思っていると、坂口安吾の堕落論を思い出した。
その中に、
「戦争に負けたから堕落するのではなく、元来、人間には堕落の本性が備わっているのだ」
というのがある。
僕も、そうじゃないかと思う時がある。
人生というのは、良い時ばかりではない。
悪い時も必ずある。
で、どうしようもない深みにはまって、抜け出せない時がある。
つまり、堕落。
それで、「あの失敗さえなければ」とか「あいつさえいなければ」とか、何かに堕落の理由を求める。
でも、坂口安吾に言わせると、「何かがあって堕落するのではなく、もともと人間はそういうものなんだ」ということらしい。
「状況に応じて行動が変わる」ということなんだろうけど、坂口安吾は、とても潔い表現をする。
思うに、長明さんも、これと同じようなことを感じたのではないだろうか。
こんなことを思うのも僕だけだろうけど。。。
今回はこの辺で。
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