方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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たびたび炎上に滅びたる家、また、いくそばくぞ。ただ仮りの庵のみ、

【原文】
たびたび炎上に滅びたる家、また、いくそばくぞ。ただ仮りの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほど狭しといへども、夜伏す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。寄居は小さき貝をこのむ。これ、事知れるによりてなり。みさごは荒磯に居る。すなはち、人をおそるるがゆゑなり。われ、またかくのごとし。事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず、ただ、しづかなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。

【訳】
度々の大火で焼けた家がどれほど多いことか。ただこの方丈の庵だけが穏やかに生活ができて何の心配もないのだ。確かに狭いかもしれないが、夜寝る所はあるし、昼間座る所だってある。一人で暮らす分には十分な空間なのだ。ヤドカリは小さい貝を好む。これは、その方が都合が良いことを知っているからだ。ミサゴは荒磯で生活をする。これは人を恐れてのことである。そして、この私も同じである。分けを知り、世の中が分かれば、(必然的に)何かを願うこともなく、あくせくすることもない。ただひたすら静かな環境に身を置いて、心配のない暮らしを楽しむ。

【わがまま解釈】
方丈記では、火事の記録として、安元の大火が書かれている。
ちなみに、方丈記には書かれていないけど、治承の年号でも大火が発生している。
方丈記では、治承の竜巻は書かれてあったけど。
そもそも、平安京は、これ以外にも何度も火事に遭っている。

当時、平安京の人口は10万人から20万人程度。
それだけ多くの人が住んでいる一方で、消化設備は、ほとんどなかったと思う。
つまり、火事が発生したら、もうお手上げ状態。
長明さん、火事によって、どれほどの家が焼けたかとつぶやく。

当時の平安京は、

火事になる
 ↓
家が焼け落ちる
 ↓
家を建て直す
 ↓
また火事になる
 ↓
また家が焼け落ちる
 ↓
また家を建て直す

の無限ループだったと思われる。

で、長明さんの方丈の庵だけは、何の心配もいらないとある。
まーね、日野山にポツンと一軒家で住んでいるんだから、火事に遭う心配はないだろう。
もし、近所で火事が起きて、その火が近付いてきたとしても、方丈の庵は移動式。
逃げればすむだけ。
方丈の庵が移動式というのは、そういうメリットもあったんだね。

もし、方丈の庵が火事になったとする。
少なくとも、普通の家を建て直すのと比べれば楽なはず。

続けて長明さんは、次のように書いている。

この方丈の庵は確かに狭い。
しかし、夜になれば寝る所もあるし、昼間は座れる所もある。
一人で暮らすには十分な空間だ。

その理由として、ヤドカリやミサゴの例を挙げている。

ヤドカリは、自分の身を守るために自分の体の大きさにピッタリの貝殻をつける。
ミサゴは、人を恐れて荒磯の岩場で生活をする。
これなどは、まさに長明さんの日野山での方丈の庵にピッタリな表現だと思う。

禅語に、放てば手に満てりという言葉がある。
あれも欲しい、これも欲しいと言うと、欲しいものが限りなく増えてしまう。
いつまでたっても心が満たされることがない。
しかし、そういった欲を解き放てば、心は一瞬にして満たされるという教え。
つまり、欲張らなければ、必要なものはそんなに多くはないという話。

今風に言えば、断捨離だろうか。
必要最小限度のものさえあれば、生活に困ることはない。
これもまた、仏教の大事な教えだと思う。

長明さん、都を守護する下鴨神社という社家の子だった。
ずーっと平安京を見てきた。
で、都に住めば、どんな危険があるのかも分かっていた。
物事がきちんと理解できれば、危険な都に住むこともない。

そして、長明さんは、都と少し距離を置く。
ただ、完全に距離を置くところまで行かないのが面白いところだろうか。
やはり、都のことは気になるのかもしれない。
必要以上を求めず、あくせくした生活をしない。
静かな環境に身を置き、落ち着いた暮らしをする。
それが長明さんのささやかな願いでもあり、実行なんだろう。

いや、この実行できるのが凄いところだと思う。
世の中の人は、この実行するのができなくて困っているんだから。
僕もそうだけどね。
なかなか実行するというのは難しい。

ここからは雑談。
日本が第二次世界大戦に突入する前の話。
世界的建築家であるブルーノ・タウトというドイツ人が日本にやってきて三年ほど暮らしたそう。
このブルーノ・タウトだけど、日本の建築物をすごく評価したことでも有名な人物なんだとか。
いや、僕は、会ったことはありませんよ。
あくまでも、そういう話を聞いたことがあるというだけで。

それで、なんと方丈の庵についてもいいねと言っているらしい。
しかも、ブルーノタウト、日本滞在中に、方丈記、徒然草、奥の細道、源氏物語といった古典作品を読んでいたらしいのね。
かなりの親日だったと思われる。
それで、分からないけど、ヨーロッパの大国であるドイツの人間にそんなことを言われて、日本もちょっと嬉しかったんじゃないだろうか。
我が国の文化が、世界に冠たるドイツの人間に、世界的にも有名な建築家から認められたと。

ちなみに、これがブルーノ・タウト。
写真はwikipedhiaから。

ブルーノ・タウトは、日本滞在中は、群馬県の少林山達磨寺洗心亭という屋敷で暮らしていたらしい。
で、そこも、まーまー狭かった。
ただ、方丈の庵を見ると、私が住んでいる洗心亭の方が少し広い」と感想を漏らしたいう。

このブルーノ・タウトだけど、日本の建築物の全てをいいねと言ったわけではなかった。
桂離宮や伊勢神宮、白川郷などは非常に素晴らしいとべた褒めしている。
一方で、日光東照宮については全然ダメと吐き捨てたとか。
いや、あれはあれで凄いと思うけど、僕も見たことあるけど。。。
どうも前者に対しては「和」を感じたみたいだけど、後者に対しては全くそれを感じなかったとか。。。

今回はこの辺で。

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