方丈記に、似た運命

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父方の祖母の家を追い出される①

今回は、長明さんが、住んでいた家を追い出された話。

家を追い出されるって、なかなかないと思う。
しかも、長明さんは、自分の家を追い出されている。
どういうことだろうか。

で、このあたり、今までも書いたけど、少しおさらい。

長明さん、1155年に下鴨神社の正禰宜惣官だった鴨長継の次男として生まれる。
下鴨神社の跡取りとして大事に育てられたと思う。
また、二条天皇の奥さんである高松院の寵愛を受けたともある。
そのせいだろうか、7歳にして従五位下の位をもらっている。

幼いころから、英才教育も受けていたと思う。
また、残された和歌からすると、妻子もいたらしい。
方丈記では、自分には家族がいないって書いているけど。

とにかく、長明さんの若い頃は、順風満帆だったと思う。
あとは、父と同じように下鴨神社の正禰宜惣官になれたら、人生はゴール。
それだけだった。

ところが、長明さんの人生は、一気に狂いだす。
その始まりは、父・長継の死からだった。
父・長継は、34歳の若さで亡くなってしまう。
いくら平安時代の寿命が短いといっても、これは早すぎる。
平安時代の寿命は40歳ぐらいだったか。

で、前回も、書いたけど、父・長継の死後、下鴨神社では何回かの人事が行われている。
で、どこか一回の人事でいいから、その人事で神職の道に進めれば、問題はなかった。
ところが、全く、役職につけなかった。
いつも、別の系統の一族が役職を独占していた。

やはり、父親がいないことが響いたのかもしれない。

平安時代というのは、出世するためには、父親の存在が大きかったらしい。
また、兄弟間で言えば、母親の身分が影響したとか。
で、源家長日記や無名抄には、長明さんのことを「みなしご」と書いてあるけど、当時の人たちも、長明さんのことをそういう風に思っていたらしい。
おそらく、父親がいないというだけで、下に見られることもあったと思う。

それで、長明さん、全く出世できなかった。
でも、妻子はいる。
一家の大黒柱として家族を養う責任がある。
でも、仕事にありつけない。
その一方で、趣味だった和歌や音楽には没頭する。

で、奥さん、怒ったと思うのね。
「いい加減にしてよ。少しは働いてよ」と。
でも、長明さん、下鴨神社の仕事をしなかった。

で、家を追い出された。

そのあたりことが、方丈記に次のように書かれている。

【原文】
わかがみ、父かたの祖母の家をつたへて、久しくかの所に住む。その後、縁かけて、身衰へ、しのぶかたがたしげりしかど、つひにあととむる事をえず。三十余りにして、さらに我が心と、一の庵をむすぶ。

【訳】
私のことについて語るのであれば、父方の祖母の家を相続するという約束で、長らくの間、そこに住んでいた。
しかし、その後、縁が欠け、身も衰えてしまい、たくさんの思い出が詰まったところであったが、ついにその家に居続けることができなくなってしまった。
そして、30歳を過ぎたころ、自分に思うところがあって一人で生活をすることにした。

長明さん、家を出た理由については、特に詳細を書いていない。
縁が欠けて、身が衰えたとしかない。
本当は、いっぱい書きたかったと思うよ。
特に、前回も書いたけど、神職の道に進めなかったことは、一番書きたかったことじゃないだろうか。

僕の勝手な想像。
長明さん、下神神社の人事異動の発表、毎回、楽しみにしていたと思う。
ところが、毎回、期待するんだけど、全然、名前が出てこない。
そして、鴨祐兼の方は、どんどん出世していく。
しかも、祐兼の子どもにまで出世競争で負けてしまう。

長明さん、悔しかったと思う。
それは、長明さんの家族も同じかもしれない。
そして、結局、鴨祐兼が下鴨神社の正禰宜惣官の地位に就いたことで、自分の敗北を認めたのではないか。
分からないけど、家族も、長明さんの出世は無理だと観念したのではないか。

しかも、長明さんは、趣味だった和歌と音楽には没頭したと伝わる。
神職の道が立たれて趣味に走ったのか、趣味に走っていたから神職の道に進めなかったのか、その辺は分からない。
ただ、若い頃から歌会には参加していたようなので、もともと和歌に没頭する要素はあったのだろう。
でも、和歌や音楽だって、当時の貴族には必要なこと。
決して、和歌や音楽の道に走ることも、悪いことではなかったように思う。

で、長明さん、ついに、おばあちゃんの家を出た。
もちろん、妻子を連れていくわけにはいかない。
妻子は、置いて出て行くことになった。
辛かったと思うよ。
僕なら、絶対に出て行けない。
出て行けるわけがない。
長明さんのことを思うと、かける言葉が見つからない。

長明さん、本当は、出たくなかった。
でも、縁欠けて、身衰えて、出て行くしかなくなった。
奥さんから三下り半を突き出されたか。
あるいは、「縁欠けて」というのは、妻、あるいは父方の祖母か。

もしかしたら、長明さんが神職になれないことに、身内からも「あいつ大丈夫か?」みたいな声もあったのではないか。
「もー、あんな役立たず追い出そうよ」と。
でも、一方で、「長明は、運がないだけで、あいつはできる奴だ」とかばう者もいたかもしれない。
でも、ついに、かばうような者もいなくなった。

このあたりは、本当に想像するしかないけど、とにかく辛かったと思う。
ただ、長明さんが、下鴨神社の仕事をしていなかったという話もある。
ていうか、多分、そうなんだけど。
もし、この時点で、下鴨神社の仕事をしていないのなら、これは、長明さんにも非があるのかもしれない。
いつから長明さんが、下鴨神社の仕事をしなくなったのかは分からないけど。

でも、下鴨神社の役職は、鴨祐季とか鴨祐兼の一族が占めている。
もはや、自分が、役職に就くことはできない。
仕事といっても、雑用ばかり。
しかも、父・長継に恩顧ある者たちも、みんなどこかへ行ってしまった。

もし、このような状況で下鴨神社で働けと言われても、これはきつかったかもしれない。
だとすると、どういう展開に転んだとしても、長明さんには地獄だっただろう。
やはり、父・長継が亡くなった時点で、長明さんの運命は決まったのだろうか。
まー、たとえ、雑用でも下鴨神社の仕事を真面目にしていればなーって思わなくもないけど。。。
自業自得の部分もあったのかもしれない。

それから、兄・長守についても、ほとんど話が聞かれない。
さらには、長明さんの子どもに関する話も聞かない。
これも、長継の家系が衰退していったことを表しているのかもしれない。

今回はこの辺で。

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