方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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また、勢ひあるものは貪欲深く、独身なるものは人に軽めらる。

【原文】
また、勢ひあるものは貪欲深く、独身なるものは人に軽めらる。財あれば恐れ多く、貧しければ恨み切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世に従へば、身苦し。従はねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

【訳】
また、権力者であれば、自分の欲の限りを尽くそうとするので、決して、その欲が満たされることがない。また、身寄りのない孤独な者であれば、頼みとするものがないため人に軽く見られてしまう。つまり、人間という者は、財産があればあるで、悩みは尽きないし、貧乏なら貧乏で悩みは尽きないのだ。

もし、他人に頼り過ぎると、他人が自分の人生の主人公となり、自分が人生の主人公でなくなってしまう。逆に、他人の人生に入り込み過ぎると、情が邪魔をするようになり、(心も体も)自由が奪われてしまう。また、世間の常識に自分を合わせ過ぎると、精神的にとても窮屈を強いられるので、自分自身がしんどくなる。かといって全く世間の常識に合わせないと、おかしい奴と思われてしまう。それでは、どこに住んで、どんな仕事をすれば、束の間でも心穏やかに生活することができるだろうか。(いや、この世の中では、どこに住もうが、どんな仕事をしようが、心穏やかに生活をすることはできないだろう。)

【わがまま解釈】
今回も、当時の平安京の風俗について。
前回は、当時の人たちも、悩みや苦労に大変だったというお話だった。
で、今回も、基本的には同じ内容。
で、今回も、とても納得のいく内容だと思う。

長明さん、まず、欲深い者について書いている。
僕は、「勢ひある者」を「権力者には限らないが」と訳したけど、まー、ノッてる奴と言ったところか。
で、こういう奴は、欲が深かったりする。
欲深い奴は、どこまでいっても欲深い。
そして、その欲が満たされることはない。

曹洞宗の開祖・道元禅師は「放てば手に満てり」と言っている。
欲を放せば、楽になる。
でも、人間、欲を打ち消すことは難しい。
僕なんかも、物欲はほとんどないけど、悩みから解放されたいという精神的な欲はずーっとある。

人間は、その環境に応じた悩みがあって、悩みの種は尽きないらしいけど、それは欲も同じか。
欲にしたって、その人の状況に応じた欲があって、欲が尽きることがない。

それから、一時期、「くれない病」というのがあった。
くれない病。
これ、本当の病気(病名)ではないけど、けっこう重い病気。

・思い通りにならない。
・言うことを聞いてくれない。
・分かってくれない。

まー、色々な「くれない」がある。
で、これなんかも「放てば手に満てり」なのね。
でも、なかなかそれができない。

次に、身寄りのない孤独な者も、人から軽く見られることがあると書いてある。
これなんかは、長明さん自身の体験も影響しているのではないか。
長明さんのお父さんは、下鴨神社の正禰宜惣官だった。
それで、長明さんも、お父さんの後を継いで、神職の道に進むはずだった。
ところが、お父さんが若くして亡くなったことで、後ろ盾を失ってしまい、そこから長明さんの人生は転落する。
長明さん、人から軽く見られたことも、多々あったのではないだろうか。

また、源家長が書いた源家長日記。
その中で、源家長は、長明さんのことを、次のように書いている。

「すべて、この長明みなし子になりて、社の交じらひもせず、籠り居て侍りしが・・・」

これ、意味としては、

だいたい、この長明さんは孤児で、下鴨神社の仕事もせずに誰とも交流することがなく、部屋にずーっと籠ってばかりいた

といったところ。

父親を早くに亡くした長明さんは、周囲からは「孤児」と思われていたのかもしれない。
そして、引きこもりの生活をしていたとある。
恐らく、世間の評価、印象はこんなものだったのかもしれない。

それで、今でも、身寄りがないかは別にして、独身者は、ちょっと下に見られる。
30歳過ぎで独身だと、ほとんどの人は「えっ、独身?」って思う。
特に、40歳を過ぎて、会社でもそれなりの地位にあって、それで独身、しかも、実家暮らしとなると、ほとんどの人は「えー、なんか問題あるんじゃない?」ってなる。

今、孤独死が問題になっている。
もしかしたら、そこには、孤独者を軽く見ていると言えば大げさかもしれないけど、孤独者対策の優先順位が低いということもあるのかもしれない。

次に、長明さん、他人との関わり方について書いている。
例えば、他人に頼りすぎた人生は、もはや、それは自分の人生ではない。
自分の人生であっても、他人が主人公となる。

また、他人の人生に介入し過ぎると、情が邪魔をする。
つまり、相手を思いやるのは良いけど、それも度を過ぎると相手の人生の深みに入ってしまい、自分の人生が苦しくなる。
「情けは人の為ならず、巡り巡って我が身のため」というけど、「情けが仇」となる場合もあるのだ。

さらに、次のように続く。
世間の常識に合わせると、苦しくなる。
かといって、世間の常識に合わせなかったら、あいつはおかしいと言われる。

どこにいても、そこにはルールがある。
また、暗黙のルールというのもある。
ただ、そのルールにしばられ過ぎると、本当にしんどくなる。
振り返ると、僕もそうだった。
そして、そのルールからはみ出すと、「あいつはおかしい」と言われる。
でも、本当におかしいのはどっちなのか。

それで、最終的に、「どこにいたとしても、どういう仕事をしたとしても、この身を休めることはできない」となる。
長明さん、前回もそうだったけど、結局、どこにいったとしても、そこでの環境に応じた苦しみが待っているわけ。
束の間でも、この身を休めることはできない。

それで、話が大きくそれるけど、夏目漱石の草枕の書き出し。

山道を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹差せば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。

まさに、これも同じではないのかね。
分からないけど、夏目漱石も長明さんと同じようなことを思っていたのではないか。

読んだ範囲だと、日本で初めて方丈記を英訳したのは夏目漱石らしい。
夏目漱石は、外国から来ていた先生からの依頼で、方丈記を英訳してそれを渡したんだとか。
ということは、夏目漱石は、方丈記を知っていたのだ。
もしかしたら、夏目漱石は、この部分については方丈記を参考にしたのではないか。
まー、分からないけどね。
でも、僕なんかは、そう思うだけで方丈記が楽しくなる。

ちなみに、夏目漱石は、東京帝国大学の英語の先生だったけど、前任の英語の先生は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だった。
それで、小泉八雲の人気が高かったせいか、夏目漱石の初期の授業は、生徒からの評判も悪かったらしい。
まー、イギリス人の小泉八雲の後だから、夏目漱石も相当やりにくかったとは思うけど。

今回はこの辺で。

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