方丈記に、似た運命
― 懐かしい古典が、今、蘇る ―
― 古典と日本史 ―
方丈記に、似た運命 悲運、鴨長明 日本史、再評価
― 生活再生工場 ―
春秋、子育て大戦争 卵巣嚢腫の体験日記
眼窩内腫瘍の体験日記 社会保険って何ですか
再就職戦線異常あり 役に立たない心理学
ママ友くらぶ
― 元気を出して ―
把針休息 輝くか、狂うか すべて悲しき若者たち
トップページに戻る
卵巣嚢腫(1回目)の手術日記
今回は、妻の1回目の卵巣嚢腫の手術について書きます。
僕の妻は、卵巣嚢腫の手術を3回している。
1回目は24歳の時でした。
2回目は32歳の時でした。
3回目は35歳の時でした。
まー、3回目は、今年なんですが。。。
なぜ、こんなに立て続けに卵巣嚢腫になるのか?
こればっかりは分からないんだとか。
もーね、「なる人はなる」としか言えないんだとか。
多分、この先も定期的になるんだろうね。
ただ、僕の妻は、なんくるないさー的なところがある。
いつも楽観的。
よっぽど僕の方が、緊張してしまう(笑)
ちなみに、この「なんくるないさー」
僕は、楽観的とか、何とかなるという意味だと思っていた。
どうも、これ、違うらしい。
「なんくるないさー」とは、正しくは、「まくとぅそーけーなんくるないさ」なんだそう。
「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」
「なんくるないさ=何とかなるさ」
となるんだとか。
つまり、単なる「何とかなる」ではないらしい。
どうも「毎日努力すれば、道は開ける」といった感じらしい。
実は、とてもありがたい言葉だったんですね。
知らなかったけど。
なんか、南無阿弥陀仏に近い感覚にも思える。
すみません。
話を戻しますね。
僕の妻が、初めて卵巣嚢腫になったと時は、24歳だった。
この時は、結婚はしていなくて、同棲をしていた頃。
で、過去3回の手術の中で、一番大変だった。
僕の妻は、基本的に、心も体も元気なタイプの人間。
まさにストレスフリーなタイプ。
ところが、ある時、「お腹が痛い」と言い出したことがあった。
しかも、決まって、「食後に」お腹が痛いと言う。
で、僕は、自分がお腹が弱いこともあって、特に気にしていなかった。
しかも、この時期、僕の妻は、「○○のおいしい水」みたいなものを飲んでいた。
で、よくね、日本人がヨーロッパに行ったら、お腹がゆるくなる人がいるっていうじゃない?
で、僕は、その水が合わないだけだろうと思っていた。
ところが、ここから状況が急変する。
ある時から、お腹が痛いと言うと、今にも死にそうな感じでもがき出したんですね。
もがいたり、うずくまったり、のたうちまわったり、とにかく大変な痛がり様なわけ。
だいたいは、ご飯を食べた後にこうなっていた。
あと、走ったりとか軽く体を動かしても、痛みが走ることがあった。
それで、とにかく、病院で診てもらうことにした。
ただ、意外と病院を探すのも、大変とは言わないけどめんどくさい。
で、とりあえず、近くの産婦人科で診てもらった。
そして、言われたのが「卵巣嚢腫」という病気だった。
卵巣嚢腫
当然、僕は、初めて聞いた。
そもそも、卵巣も嚢腫も、いまいちよく分かっていなかったし。
しかも、即入院・即手術だった。
で、聞いたところ、右卵巣に腫瘍があるとのことだった。
大きさは忘れたけど、10センチオーバー。
かなり大きく部類だった。
しかも「茎捻転」を起こしていた。
茎捻転と言うのは、卵巣が捻じれることを言うんだそう。
そして、茎捻転を起こすと、本当に激痛が走るらしくて、妻が悶え苦しんでいたのは、この茎捻転が原因だった。
しかも、この茎捻転、卵巣が捻じれて起こるんだけど、そうなると、捻じれた先の部分は血液が運ばれなくなって、そうなると卵巣が壊死してしまうという、ひじょーに危機的な状態らしいのね。
で、うちの奥さん、緊急入院となる。
それで、卵巣嚢腫の手術って、腹腔鏡下手術と開腹手術の2つになる。
腹腔鏡下手術は、腫瘍が小さい時に行われる手術。
この場合、お腹の3か所に穴を開けるだけなので、身体への負担は少なくてすむ。
一方、開腹手術は、腫瘍が大きい場合に行われる手術。
当然、開腹手術の方がお腹を切る分だけ、身体への負担は大きくなる。
一応書くと、僕の妻、腹腔鏡下手術のキズは残っていない。
しかし、開腹手術のキズは残っている。
お腹の下腹部に7センチ程度のキズがある。
で、この1回目の手術は、もう10年以上昔の話。
で、僕も、正直、具体的なことは覚えていない。
ただ、手術前の痛がり方とか、手術後の疲労感だとか、3回の手術の中で一番ひどかった。
なんせ、あれほど普段はうるさい妻が、完全にテンションダウンしていた。
しかも、手術後の回復もあまり良くなかったのか、結局、退院するまでに2週間ほどかかったような。。。
まー、開腹手術なので、入院期間は長くなる傾向にはあるんだけど。
しかも、退院してからも、少しの間、自宅療養をしていた。
家に帰ってからも、動きがとてもゆっくりなのね。
それで、手術後、妻が先生に原因を聞くんだけど、結局、こればっかりは分からないんだとか。
で、「○○のおいしい水が原因って考えられますか?」って質問するんだけど、どうもそれも関係ないらしかった。
食生活も関係なし。
遺伝も関係なし。
で、先生からは、「ふつーに生活するんでOKです」と言われる。
と、まー、こんな感じで1回目の卵巣嚢腫の手術は終わる。
ちなみに書くと、まさか、この後、2回も卵巣嚢腫になるとは思わなかったけど。。。
まー、繰り返す人は、繰り返すみたいなのね。
ただ、この1回目の手術の後、妻は、先生から「今後、妊娠は無理だと思ってください」と言われる。
まー、あくまで、自然妊娠が無理と言うだけの話ですが。
で、もしかしたら、卵巣嚢腫の手術の後だけに、多少のショックはあったかもしれない。
分からないけど。。。
それから、7年後。
妻が、31歳の時。
妊娠をした。
別に、不妊治療とかしたわけでもないけど。。。
まー、こんなこともあるんだねー。
今回はこの辺で。
次のページ>>卵巣嚢腫(2回目)の手術日記
前のページ>>健康保険限度額適用認定申請書の書き方