方丈記に、似た運命

― 懐かしい古典が、今、蘇る ―

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またいとあはれなることも侍りき。

【原文】
またいとあはれなることも侍りき。去りがたき妻・夫持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも彼に譲るによりてなり。されば、親子あるものは定まれることにて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、臥せるなどもありけり。

【訳】
また、逆に、人間のとても美しい姿もありました。離れられないほどの強い絆で結ばれた夫婦の場合は、より愛情が強くて深い方が必ず先に死んだ。なぜなら、自分のことを二の次・三の次にして、まず相手のことを思いやるので、たまたま手に入れた食べ物を相手に譲ってしまう。そのため、親子の場合は、決まって親の方が先に死んだ。また、母親の命がすでに尽きているにもかかわらず、それを分かっていない幼子が母親のおっぱいを吸いながら、そのまま母親にもたれかかっている様子もあった。

【わがまま解釈】
前回は、飢饉の最中で、人間の醜い部分を見てしまったというお話だった。
平たく言うと「平時の道徳は、非常時には通用しない」ということ。
で、今回は、その続き。

それで、今回も、また何か嫌な話かと思っていたら、全く逆だった。
むしろ、人間愛というか、ちょっとした人間の美しいお話。
言わば、奇跡体験アンビリーバボー。

これは、深い愛情で繋がれた夫婦のお話。
こういった場合、愛情が深い方が先に死んだとある。
しかも、必ず。
つまり、「例外なく」ってことだけど、この「必ず」の部分には、長明さんの強い意思を感じるけど、僕だけか。
もしかしたら、「そうあって欲しい」という強い願望もあったかもしれないけど。

というのも、愛情が深い方は、自分のことを後回しにする。
夫婦共に、お互いを思いやる気持ちは強いとは思うけど。
それで、たまたま手に入れた食料も、すぐに相手にあげてしまうらしい。

夫「何とか食べ物をもらってきたぞ」
妻「ありがとう、一緒に食べましょう」
夫「僕はいいから、お前がお食べ・・・」
妻「あなたは食べないの?」
夫「次にまたもらえたときに食べるから大丈夫」

まあ、僕の勝手な想像だけど、こんな会話が交わされていたかもしれない。

ちなみに、我が家だとどうだろうかって思った。

多分、うちの奥さんだと、この期に及んでも、

「なんか、甘いものない?」
「あったら、ある分だけ食べてしまうー」

って言いそう。。。

で、話を戻して、こんな状況で、こういうことができる。
とてもいいなって思う。
これ以上の人間愛、夫婦愛はないと思う。

次に、親子の場合だと、決まって先に親の方が死んだとある。
それは、子を思う親の気持ちが強いからとある。
やはり、親というものは、自分の命を犠牲にしても、子どもを守るのだろうか。

それで、母親はすでに亡くなっている。
ところが、子どもはそれに気付いていない。
で、子どもが母親のおっぱいを吸いながら、もたれ掛かっていると書いてある。

このあたりは、想像するだけで涙ぐんでしまう。
うちにも、幼稚園に通う小さい子がいる。
ヤンチャばかりするけど、親がどういう気持ちで子育てをしているか、ちょっとこのくだり読ませたい気分。
まー、ちょっと愚痴っただけ。

話がそれるけど、仏教では、「この世は苦である」と定められている(らしい)。
これなんかは、ちょっとした爆弾発言だと思うけど。
で、僕たちも、四苦八苦するって言う。
言わない?

「四苦」というのは、生・老・病・死の四つ。
生きること、老いること、病気になること、死ぬこと。

「八苦」というのは、先の「四苦」に、さらに次の「四苦」を合わせたもの。

「怨憎会苦」・・・恨み、憎み、嫌いな奴と会うこと。
「求不得苦」・・・欲しいものが手に入らないこと。
「五蘊盛苦」・・・自分の思い通りにならないこと。
「愛別離苦」・・・愛する者と別れること。

お釈迦さまも、「愛別離苦」と言っている。
やはり、昔から、夫婦であれ、親子であれ、愛する者との別れはつらかったとのだろう。

長明さん、養和の飢饉で、人間の醜い部分と美しい部分を見たことになる。
どちらも、人間には違いない。
ただ、非常時にあっても、美しい心を垣間見たということは、ちょっとした救いだったかもしれないと思う。

僕なんかも、実際にこういう状況になった場合に、ここまで自己犠牲ができるかと言われたら、全く自信がない。
本人は、自己犠牲という感覚はないだろうけどさ。。。

ここからは雑談。

以前、東日本大震災があった。
だいぶ記憶としては薄れているけど。
で、僕の中に、印象に残っているお話がある。
それは、遠藤未希さんのお話。
有名な話なので、中には知っている人もいるかもしれない。

遠藤さんは、宮城県三陸町の職員だった。
で、東日本大震災の日も三陸町の庁舎にいた。
当初、予想される津波の高さは、6メートルだった。
これだと、防波堤は5.5メートルで、遠藤さんがいた建物は12メートル。
その場にいた職員たちは、一旦は、津波が来ても大丈夫だろうと判断する。

それで、遠藤さんは、防災無線のマイクを握ると、町民に避難指示をする。

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
「6メートルの津波が予想されます」、
「異常な潮の引き方です」、
「逃げてください」

ところが、実際の津波は10メートルを超えていた。
予想をはるかに超える津波に、上司が「未希ちゃん、早く逃げて」と言う。
しかし、遠藤さんは、マイクを離さなかった。
自分がこの放送を止めれば、多くの人が犠牲になると思ったのだろう。

地震があったのは、2011年3月11日。
遠藤さんの遺体が見つかったのは、4月23日。
しかも、遠藤さんのご両親、いつ娘が帰ってきてもいいようにと、遠藤さんの部屋を片付け、無事に帰ってくることを願っていたとか。
遠藤未希さん、24歳だった。

こういう話を読むと、僕たちは、多くの犠牲の上に生活をしているのかもしれないと思ってしまう。
合掌。

今回はこの辺で。

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