方丈記に、似た運命
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その所のさまをいはば、南に懸樋あり。岩を立てて、水をためたり。
【原文】
その所のさまをいはば、南に懸樋あり。岩を立てて、水をためたり。林の木近ければ、爪木を拾ふにもともしからず。名ををとはやまといふ。まさきのかづら、あとをうづめり。谷しげけれど、西腫れたり。観念のたよりなきにしもあらず。
春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路をちぎる。秋はひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬はあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。
【訳】
次に、方丈の庵の周囲の様子を説明しよう。南側には、水の通り道となる樋を設置し、流れ落ちる先には岩で囲って水を溜めれるようにした。林が家のすぐそばにあるため、薪には困らない。この辺りは外山と呼ばれている。マサキノカズラが生い茂っているため、道がすぐに分からなくなる。また、谷も草木が茂っている。ただ、西側は、(南側の草木に覆われた鬱蒼とした感じはなく)開けていて見晴らしが良い。出家生活を行うには、悪いところではない。
春には、藤の花が咲く。それは、紫雲のようである。夏には、ホトトギスが鳴く。私は、ホトトギスと語り合い、死後の道案内をお願いしている。秋は、ヒグラシの鳴き声が耳いっぱいに広がる。その鳴き声は、もろくはかないこの世を悲しんいでるかのようだ。冬は、雪景色をしみじみと味わう。雪が積もっては消え、消えては積もる様子は、人間の罪障のようにも思える。
【わがまま解釈】
今回は、方丈の庵の外の様子について。
ひと言で言うと、
「ここから見える景色、ここの環境、さいこー」
ってところか。
自然がいっぱいで、出家生活にはもってこいの場所。
読むだけで情景が浮かぶような感じがする。
南側には「樋」を設置したとある。
「樋」というのは、雨どいのことね。
で、その先に岩で水を貯めるとある。
次に、家のそばに林があるので、薪には困らないとある。
つまり、いまでいうところの電気、ガス、水道のライフラインを確保したのだろう。
この辺りは「日野山の中の外山」と呼ばれる所だと地名を書いている。
ただ、日野は地名だけど、日野にある山といったところだろうか。
そんなに深い山でもなく、いわゆる山里といったところだろう。
そもそも、長明さん、もう60歳ぐらいだし、そんなに山奥で生活することもできないだろう。
この辺りは、周囲を草木が覆っているため歩いた道がすぐに分からなくなるような鬱蒼とした所とある。
その覆い茂る草木は、マサキノカズラというらしい。
で、一応だけど、このマサキノカズラを調べてみた。
すると、面白い話を発見した。
このマサキノカズラは、一般的にはテイカカズラを指すんだそう。
で、このテイカカズラだけど、藤原定家が由来という説があるらしい。
Wikipedhiaによると、
「式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説(能『定家』)に基づく。」
と書いてあった。
なんか、、、、、きもっ!
誰だ、こんな説を言い出したのは?
そもそも、藤原定家が式子内親王を愛したとあるけど、これも、実際は、どうだったか分からない部分が大きいらしい。
まさか、藤原定家も、自分の名前がこんなところで使われるとは思わなかっただろうよ。
次に、家の西側。
こちらは、見晴らしが良いとある。
そして「観念のたより、無きにしもあらず」だそう。
観念というのは、「覚悟する」という意味もあるけど、ここでは、「仏様や菩薩の姿を心に思い描く」なんだとか。
うーん、ぜんぜん違うなー。
ここでは、仏道修行をするぐらいだろうか。
たよりは、ちょっと難しい。
僕は、これ、うまく訳せなかった。
きっかけとか環境とか機会とか、そのへんだと思うけど。
つまり、西側が開けているのは、出家者が仏道修行をする上では、悪くないといったところだろうか。
浄土の教えでは、阿弥陀仏は、極楽にいるとされる。
で、その極楽は、西方にあるんだとか。
よく西方浄土、極楽西方、極楽西方浄土なんて言われたりする。
だから、西側が開けていれば、阿弥陀仏ののお姿が見えて都合がよいという。
知ったかで書いているけど、僕も、ほとんど詳しくは知らないから。
だいぶ話が脱線するけど、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門。
死を前にして、安徳天皇は、まず伊勢神宮のある東に向かって手を合わせる。
次に、阿弥陀様がいる西方に向き直して手を合わせる。
そして、二位の尼(平清盛の妻)が、安徳天皇を抱きかかえると、「南無阿弥陀仏」と唱えながら海へと飛び込む。
安徳天皇、6歳だった。
その後、平家一門は、次々に西に向かって手を合わせると、次々に海へと沈んでいく。
海には、主を失った平家一門の船が漂い、平家一門の赤旗が打ち捨てられた。
その様子は、あたかも竜田川に舞う紅葉のようだったと平家物語に書かれてある。
たった6歳で亡くなる安徳天皇、栄華を誇った平家一門の滅亡といったもの悲しさ。
平家の赤旗と竜田川の紅葉。
その滅びゆく者の極楽浄土の願い。
先帝入水の場面だけど、こういったものの交差を感じる。
すみません、話を戻します。
次に、長明さん、方丈の庵の外の様子を書いている。
春には、家の西側に、藤の花が美しく咲き乱れる。
それは、阿弥陀仏が移動する際に乗るといわれる紫雲のようであると。
藤の花に、阿弥陀仏の姿を思い浮かべたのでしょう。
夏にはホトトギスが鳴く。
で、このホトトギスに、自分があの世に行った際の道案内をお願いしているとある。
本とかどうかは知らないけど、ホトトギスは、あの世とこの世を行き来する鳥なんだとか。
で、秋は、ヒグラシの鳴き声を聞いて、もろくはかないこの世を感じる。
最後、冬は、雪景色をしみじみ味わう。
しかも、その雪が積もる、あるいは、その積もった雪が溶ける様子を、人間の罪障と重なると書いている。
罪障というのは、悟りを邪魔する悪い行為なんだとか。
このあたりは、長明さん、それなりにここでの生活を楽しんでいるように思う。
ちなみに、この春夏秋冬のお話、実は、慶滋保胤の池亭記をヒントにしたと言われている。
本とかどうかは知らないけど。
況むや春は東岸の柳有り、細煙でうだたり。
夏は北戸の竹有り、清風颯然たり。
秋は西窓の月有りて、書を披くべし。
冬は南簷の日有りて、背を炙るべし。
ただ、当時、曹洞宗の開祖である道元も、
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり
なんて詠んでいる。
また、枕草子でも、春夏秋冬を詠んだ文章を残しているとか。
案外、当時は、こういうのが流行っていたのかもしれない。
今回はこの辺で。
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