方丈記に、似た運命
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人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて
【原文】
人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。
【訳】
人間のやることなすことは、全て愚かなものだ。特に、こんなに危険極まりない都の中に家を建てて、しかも全財産を費やし、ストレスを感じながら生活をすることは、まったくもって意味がない。
【わがまま解釈】
今回の文章は、安元の大火のまとめとなる。
まとめというか、安元の大火を体験した上で、平安京に家を建てることについての考えを書いている。
一行の文章。
だけど、けっこうインパクトは大きいか。
例えば、立身出世のために一生懸命頑張る。
そして、それなりの収入も得て、大きな家を建てる。
別に悪いことではない。
むしろ、「よくやったねー、えらい」と言われるぐらい。
僕だって、それなりの地位や肩書があって、収入もあって、立派な家を建てれば、間違いなく「頑張ったな、俺」って思うはずだから。
ふつーは、こうなのよ。
ふつーはね。
でも、長明さんは違う。
一生懸命頑張って、お金を稼いで、大きな家を建てたところで、「それがナンボのものか」って思っている。
たとえば、出世するために、嫌な仕事も引き受けて頑張る。
当然、ストレスも溜まる。
そして、溜まったお金で、平安京に家を建てるために、全財産を費やす。
しかも、平安京は、災害の都市としても有名だった。
火事だけでなく、河川の氾濫もあった。
しかも、土地の値段も高い。
池亭記を書いた慶滋保胤は、土地が高すぎて買えないので、家を建てることができなかったと書いている。
ひと言で言うと、平安京に住むことに、メリットはない。
誤解を恐れずに書くなら「アホちゃうか?」って感じ。
長明さんは「すぐれてあぢきなくぞ侍るべき」と書いている。
この文章だけど、重要古語のオンパレードじゃない?
「あじきなし」
「すぐれて」
「侍る」
僕なんかも、無条件で覚えた記憶がある。
まー、今では、当然、忘れているんだけど。。。
まず、あじきなし。
あじきなしは、つまらない、おもしろくない、という意味。
今風に言うと、しょーもなーってところか。
次に、すぐれて。
これは、きわめて、特に、という意味。
そして、最後に、侍る。
これは、○○ですね、という意味。
以上をまとめると、長明さん、危険な平安京に全財産をつぎ込んで家を建てて、しかも、ストレスを抱えて生活をすることに対して、
「きわめてしょーもないことですね」
と言っているのね。
方丈記は、長明さんが「蓮胤」という出家者という立場で書いてある。
そして、出家をした者からすると、都で華やかな生活を送ることに対して、一歩引いた目で書くことになる。
実際、長明さんが建てた方丈の庵は、四畳半の大きさだった。
「起きて半畳、寝て一畳」なんて言うけど、そんな感じ。
そして、まさに清貧の生活を送っている。
でも、生活に必要なものは、全てそろっている。
そういう生活に慣れると、平安京の暮らしを羨むこともなかったのかもしれない。
まー、大したことはないなっていうところか。。。
ただ、実際の長明さんの暮らしについて書くと、清貧というよりも貧相な生活をしている。
源家長が書いた源家長日記によると、源家長が、ある日、大原だったかどこかで長明さんにバッタリ会う。
で、源家長、長明さんのやせ衰え具合にビックリしたとか。
やはり、清貧と言えば聞こえは良いけど、生活は苦しかったように思う。
ところで、長明さんの方丈の庵。
四畳半の広さしかないから、当然、狭い。
でも、一人で暮らすなら十分な広さ。
余計なものはない。
そして機能的。
最低限の必要なものが、使い勝手良く設計されていたり、設置されている。
で、長明さんは、これでいいのだと思っている。
今風に言えば、「断捨離」。
それで、僕は、ブルーノ・タウトを思い出した。
ブルーノ・タウトは、ドイツ人の建築家。
戦前、世界的にも有名だったみたいで、期間は短いけど日本でも生活をしている。
そして、外国人から見た日本美について語っている。
ブルーノ・タウトは、親日家だったのか、日本の建築物に対して、高評価を与えている。
◆桂離宮
多分、ブルーノ・タウトが一番評価した建築物ではないだろうか。
これぞ日本美の建物であり、京都の街並みにもとてもマッチしているとか。
ブルーノ・タウトは、「その美しさに見るだけで涙が出る」と日記に残している。
建物の簡素さ、街並みへの融合、人と自然の調和とか、全てにおいて申し分ないと。
「全てにおいて」の部分は、テキトーに書いたけど。。。
◆伊勢神宮
桂離宮と共に、世界的にも評価できる建築物と称賛している。
◆日光東照宮
日光東照宮も日本屈指の建築物だけど、実は、ブルーノ・タウトからは酷評されている。
・すべてが威圧的で少しも親しみがない
・華麗だが退屈だ
・珍奇な骨董品の感じ
なんてボロクソに言っている。
ブルーノ・タウトは、あのきらびやかな感じが気に入らなかったのかもしれない。
そんなブルーノ・タウトだけど、日本にいた時は、群馬県に住んでいた。
そこで住んでいた建物が「洗心亭」という建物。
そして、ブルーノ・タウトは、「方丈の庵より、私の洗心亭の方が少し広い」と書いている。
どうも、ブルーノ・タウトは、方丈記を読んでいたらしい。
分からないけど、方丈記を読み(方丈記以外にも日本の古典を読んでいるけど)、小さな洗心亭に住んだブルーノ・タウトは、方丈の庵を評価していたのではないだろうか。
そんなことを想像したりするのも、歴史のロマンかもしれない。
今回はこの辺で。
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